自伝的記憶術

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人間が想起するとき、実は2種類の想起の仕方があります。
一番王道であろう想起の仕方は、外界に存在していた対象の情報を想起することです。
では邪道な方は?というと、自己の状態を起点にして、その対象を想起するというものです。

王道の方は良いとして、邪道な方はどうかというと、例えば王道の方が教科書を読んで、「想起には王道、邪道の2種類が存在している」という文章を思い出すとします。
王道の方は、その「想起には王道、邪道の2種類が存在している」という文章“だけ”を思い出そうとするのに対して、邪道の方はそれを覚えた“自己の状態”やそれを覚えた“状況”を思い出し、それを起点にして「想起には王道、邪道の2種類が存在している」という文章を思い出すということです。

これはまだまだ検証段階なんで、実際に効力があるかはわかりません。
逐一試しているのですが、どうも以下の点が必要なようです。
①環境は同じ場所に座って勉強した場合、あまり差が出ないので、自己の状態、例えば「腹が痛い」や「頬杖をついていた」と言った自己にまつわる明確な差と覚えたい対象を関連付ける必要があります。
②自己の状態を“規則的”に変化させて、モニタリングする必要があります。
これは例えば、「腹が痛い」→「腕を組み」→「頭を上げる」といったランダムに自己の状態をチョイスしてくるのではなく、「腹の右側が痛い」→「腹の中央は何ともない」→「腹の左側は違和感がある」といった自分の中で直感的に規則性が成り立つように自己の状態をチョイスする必要があります。
③一つの自己状態だけを拾うのではなく、“2つ”以上の自己状態を覚えたい対象にくっつける。
これは例えば「腹の痛み」などの一つの情報だけで覚えたい対象と結びつけるだけだと、いつかは自己の状態を使い切り、結びつけれなくなるということから、「腹の痛み+自分の情動」などといった2つ以上の事柄と結びつける必要があるということです。
④軸となる情報とランダムな情報と覚えたい対象と結びつける
上述の発展形です。
まず軸となる情報を決めます。
その上でランダムな情報とその軸となる情報の一組を作り、その上で覚えたい対象と結びつけます。
具体的には、軸となる情報を「感情」として、ランダムな情報、例えば「腹の痛み」や「腕の動作」などなどと結びつけます。
こうすることで、思い出すとき「何の感情だっけ?」と思い出し、「では、詳細は?」といった形で個々の「腹の痛み」は何とかだったとか、このときの「腕の動作」は何とかだったとか思い出します。
つまり階層構造化できるということです。
ランダムな情報の方も順序がわかるような仕組みを作る必要がありますが、ボブの方法を聞いてもなかなかわかりにくいと思うので、ここでは述べません。

さて、こんな工夫をしていますが、実際情報のペグによって整理はできますが、整理しても時間が経過をすると、ペグの方は思い出せるけど、何をペグしたのか思い出せないという状況に陥ります。
それが最大の悩みです。
そこを解決しない限りは、あまり使用をおススメしません。

情報を入力し続けることによる忘却(アガナエ!)

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人間は情報を見たり、聞いたりすることにより、大半を忘れるという。
そこで今回はその忘却に少しでもアガナエる方法を提示しようと思います。

まあ、普通超自伝的記憶の人達も本読んでも、自分に関わりないことだとドンドン忘れるらしいです。
では、反対に聞くけど、本なのに自分に関わることだとなぜ忘れないのか?
その仮説は
①感情が動くから
②自己が関わっている様子を描けるから
③想起のスケジュールに組み込めるから

ではないかと仮説ってます。
①はいいとして、②はたぶん彼らがやっている想起法というのが、自己を軸にして想起する方法だからだと思われます。
③はそうして②でイメージした情報を何らかのスケジュール化して思い出す方法を持っているのではないか、と一番謎で現在わからないところです。

さて話は戻りますが、そうそうアガナエる方法ですね。
今回は本の内容に限定しますが、出来事を少し情報を覚える度に挟むとアガナエるのではないか、と思っています。
つまり仮説です。
例えば1ページ読んだら、外に目をやって今の自分の変化を軸に印象に残ることを探す。
そしてその後、変化を見つけたらすぐさま1ページの記憶術的イメージと結びつける。
そう外界の情報を意識的にイメージと結びつけまくるのです。

まだ仮説なので本採用になっていませんが、できればこの自分を含めた外界と本の内容を結び付ける規則性などを研究したいですね。

自伝的記憶について

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Twitter上でもつぶやきましたが、HSAMの人は自己の介在していない記憶に関しては忘れる傾向にあるらしいです。
でも考えてもみてください。
自己の介在していない記憶なんて存在しているのかな?
答えはNO!です。

確かに世の中には意味記憶や本の自分の存在しないストーリーなどなどは存在しますが、全て「自分」という五感を通して処理しているはずです。
なのに、自伝的記憶じゃないから忘れるー。
あり得ないですね!

つまり彼らの言っている自伝的記憶ではないものというのは、少なくとも「自己の介在いない記憶」ではないということです。

彼らに存在していると思われるのは、相互反応性と言えるものだと思います。
相互反応性とは、自分の反応と周囲の何かの反応が相互に起きることです。
彼らはきっと自己を記銘、想起の起点としているのだと思います。

つまり普通の人は、「外で見た景色を記銘し、想起しよう」とします。
けれど、HSAMの人は「自己の内面や身体的感覚などを記銘し、そして外のことと結びつけて記銘しようとしているのでしょう。それは想起のときも、まず自己のそのときの内面や身体的感覚を想起し、そして外のことを想起しようとしている」のだと仮説ってます。

つまり普通の人が外の情報を起点としているのに、彼らは“自己”を起点として記銘、想起しているのだと思います。

こう考えると彼らはメタ認知を駆使して、自己の内面の微妙な変化をすくい続けているのだろうと思います。。。

デカルト式場所法と自伝性

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デカルト式場所法を研究していて思ったことがあります。
昔自己介在性という言葉を使って片づけたことです。
しかし再度再考したいと思います。

どういうことか?
場所を要素に分け続けましょう。
例えば自分の自室を3×3マスに分けましょう。
このとき、場所としての働きは?
部屋の大きさにもよりますが、ボブの部屋では働いています。

じゃあ、もっと細かく自室を9×9マスに分けましょう。
このとき、場所としての働きは?
ボブの部屋ではわずかにある。
このとき注意してほしいのは、何もない空間に1マスだけ分けた場所を置いたときをイメージしてください。

ここで場所の性質は一つわかりますね。
つまりマス目が狭くなっても、ある程度なら「他のマス目と連続して繋がっている場合」は、場所としての働きを損なわない。
反対にマス目が他のマス目と繋がっていない場合、場合によってはすぐに場所の効力を失うということです。

じゃあ同じことを東京ドームでやってみましょう!
すると9×9マスでも全然へっちゃらでした。

この結果は自伝的記憶の一つの性質を表しているのだと思います。
場所に限定した自伝的記憶とは何か?
これをはっきりさせたいです!