高必要性による自伝的記憶力の強化

ワイ「あーいい天気ー!」
スキピ夫「そうですネ!」
???「ゴーファイ!!」
後ろを振り返るワイとスキピ夫。

スキピ夫「ミニ四駆やん!」
ワイ「はっ??なぜゴーファイ??なんか混ざっている気がする」
???「イッケー、粉々にしろー!」
ワイ「なんか物騒なこと言っとるー」
???「どうしたー!肉まんの方が粉々に~~~!!」
ワイ「あの人ミニ四駆に肉まんって名付けっているんだが」
???「助けてください!!」

ワイ「なんかセカチューのパロ、一人でやっている危ないヤツがいるんだが。。。関わらんどこ」
スキピ夫「俺のこの手が光って唸る!お前を助けろと轟叫ぶ!!」
ワイ「なんかスイッチ入ってますー??もしもーし??」
スキピ夫「大丈夫!私が来た!!」
???「お~!オールピーーーー!!」
スキピ夫「私の部品でその肉まん、、何とかしよう!タクミくん!!」
ワイ「部品??タクミ??何を言い出しているの?」

スキピ夫「ワイには黙っていたが、私は実はロボットだったんだ!」
ワイ「ロボット??」
スキピ夫「私の全部品でこのミニ四駆を直っす!全身全霊で!命をかけて!」
ワイ「白熱しているところ申し訳ない!ミニ四駆に命かける必要ある?」
スキピ夫「タクミくん、、、今直す!」
ワイ「そのタクミってお前が勝手に言い出してるんだけど、、何?」
スキピ夫「丸い顔、つまりタクミってことだよ。。」
ワイ「謝って来い!それ!!」

スキピ夫「それはそうと部品をドンドン移植して行こう!輸血しないと!!メス!!」
ワイ「輸血ってオイルだし、メスとかドライバーだし、自分を解体しているし」
スキピ夫「ちょっと雑に扱わないで、その部品一個一個に感覚があるの!!」
ワイ「感覚あるの!?機械なの?生物なの?どっち??」
スキピ夫「私が子供の頃の夢は人の記憶に残るような人になることだった。。。今まさにこのミニ四駆の記憶に。。」
ワイ「ロボットだったら子供の頃ないよね!しかもミニ四駆って記憶しないから!!夢破れちゃうから!!」

スキピ夫「意識が飛びそうだー!何か自分を低い位置から見ている感じがする!!」
ワイ「まって!それミニ四駆に意識移って来てるから!たぶんハガレンの人体錬成の失敗で弟が見た景色と同じことになってるから!!」
???「ありがとう涙。こんな自分を犠牲にしてまでも僕のミニ四駆を助けてくれて!」
ワイ「スキピ夫ヤバいことになっているんで、今お礼言われても!!」
???「僕には返せるものが、顔しかないんだ!お礼にどうぞ!!」
スキピ夫「タクミ君、いくらタクミだからってそんな煙突から出て、絶対すすで汚れているようなパン。しかも賞味期限がわからないパン。大きすぎて中まで火が生通っていないんじゃないか疑われるようなパンをマネして出さなくっていいんだよ。。グフ!」
ワイ「待ってこの人別の涙がこみ上げてきているよ!もしかしてこの人アンパンの人じゃないの??」
???「涙」

こうしてタクミは泣きながら去っていった。
ミニ四駆を置いたままで。。

今日の学び

今回の学びは、自己が存在している記憶、つまり自伝的記憶では自己に必要性がない場合、記憶から忘れ去られる運命にあるということです。
よって、自己の存在が必ず必要な状態を作ることが自伝的記憶にするための第一歩だと考えます。

加えてボブは対文章式記憶術の感覚化という命題もクリアしたいと考えています。
そこで出てくるのが感覚刀痕術です。
これを応用すれば情報の感覚化は思うがままです。
本当は認知したときの感覚を基に感覚化をしたいのですが、認知の感覚って必ずしも一定ではないんですよね。
そこで筋肉などの運動感覚を基にして感覚化を作り出そうと考えました。

しかし自己イメージに感覚刀痕術を応用すればいいというのは早計です。
なぜならもし自己イメージに感覚刀痕術を応用した場合、自己イメージの中だけで完結してしまいます。
ようするに外界の情報が全くいらない状態になります
それだと記憶の情報としては弱いし、応用も利かなくなります。

そこで今回の学びです。
つまりあなたも私もスキピ夫になれ!ということです。
彼がしたように部品を自身の肉体から摘出してくるイメージをすると、感覚も残る上、摘出した部分が穴になり肉体的なイメージも持つことになります。
さらにその自身の肉体から摘出してきた部品を外界で組み合わせることで、モノのイメージとしても残ります。

こうすることが、今のボブが考えた自己イメージと外界のイメージを最も“自然に”関連付ける方法だと思っています。

時計とまどろみの記憶喫茶

ワイ「休む所ないかな?」
スキピ夫「あ、それわかるー」
ワイ「あっ!あそこに喫茶店がある!!」
スキピ夫「それな!」
喫茶店内
ワイ「喫茶店ってさー、スタバックスみたいに呪文みたいな注文しないといけない所あるじゃん。あれ苦手なんだよなー」
スキピ夫「じゃあ!ここ最高に活かしているじゃん!」
ワイ「え!どういうこと?」
スキピ夫「だってほらメニュー見てみてよ!「コとかミとか一文字しかメニュー並んでないよ!」
ワイ「本当や??(汗。メニューにコとかミとかしか書いてない。。」
店員「いら!」
ワイ「この店員今いら、しか言わんかった!(汗」
店員「聞いていましたよ~。そうですよね~。某喫茶店では呪文のように長いサーバントを呼び出しているんじゃないかぐらいの商品名を言わせて、言えない人の恥らいを視姦して楽しむ変態的店もありますからね~」
ワイ「いや~。さすがにそこまで変態じゃないと。。。」
店員「しかしそんな恥をかくことはもうありません!この店は全ての商品が一文字で注文できますからね。HAHAHA」
ワイ「外国人風の笑いしているところ申し訳ないんですけど、全て解決したみたいな感じでいうのやめてもらえません?全然全て解決してないんでー。ていうかもはや何注文できるかわからないし、むしろ長くても何注文しているか少しわかる某喫茶店の方がまだ何かしらマシなんですけど。。。」
スキピ夫「じゃあ、僕、コを」
店員「コ、注文受けたまわりーーー!!」
ワイ「えっ!コでいいの?コが何かわからないのに!!」
スキピ夫「コからわからない!?」
ワイ「一切わからん」
スキピ夫「考えるんじゃない!感じるんだ!」
ワイ「コ以外何も浮かばない!だってコ以外の情報ないじゃん!!」

今日の学び
この例からわかりますか?
ワイの言動、コ以外何も浮かばない、という所より
このワイから得られる情報の原則は、想起“前の連想”、つまり思い出すための連想と想起“後の連想”があるのではないかと現象を分けられます。
これをボブは前連想と後連想と名付けることにします。
前連想は想起に関係ありそうな情報を連想し収束して特定の情報を思い出す作用があります。

ここでボブは前連想で安定的な情報として考えたのが、「自己の状態」と「時間的関連付け」です。
どちらも重要ですが、これを一括した情報として把握できるといいように思います。
自己の状態で時間を把握しようとすると、「腹の減り具合」「尿意」「眠気」という三大要素があります。
これらでだいたいの時間を把握できるかもしれません。

ここで自閉症の人たちが徹底的にスケジュール通り行動しようとするこだわりがあることに思いがいたります。
自己の状態だけだとだいたいしかわかりません。
そこで例えば「11時~14時は昼ご飯の時間」「12時~13時はトイレ」などといった時間ごとに意味を複数個つけておくと、例えばある日の昼ご飯は何だっけ?と思ったとき、この日は病院行ってたからだいたい11時30ぐらいで、昼飯どきだから、そこでコンビニに入ってパスタを買ってたなどなど、ある特定の時間や予定を軸に時間ごとの意味づけから想起条件を絞れます。

日常を覚えたいときに意図的に時間との関連付けや理想的スケジュールの比較や時間的位置を確認するのが効果的かもしれない。
ここで問題になるのが、HSAMの人たちと同様で細かい日常以外の情報(例えば知識)を覚えるのにはそれなりに苦労するということです。
どうやったらこの方法に文章などを入れ込めるかは現在のところ検討されていません。

自己イメージと超自伝的記憶力

これはTwitter上で先行的に核となるアイデアを載せた。
これは記憶術に関しての様々なアイデアを作る際に、どうもこのアイデアだけはついて回るな~と思うアイデアの一つで、たぶんかなり重要だと思っている。
そのアイデアというのが自己イメージだ。

自己イメージとは心理学などで用いられるセルフイメージといった、自分に対する自己の評価などのことではない。
ボブがここで使っている意味は、単純にイメージの世界での自分のイメージのことで、割と複雑性のないことだ。
この自己イメージは今日あったことなど、直近の自己が感じた体験について回るイメージ。
でも大昔のことになると、そこに自己イメージが存在していることは少ない。
確かに自己の体験とした日常のイメージであっても、ダンダンと自己のイメージは省略されて思い出すようになる。
これがなぜかは知らないが、自伝的な記憶であってもそこに自己のイメージが存在しているわけではない。

この自己のイメージが何故必要なのか?を考えていくと超自伝的記憶力、つまりHSAMの人たちや偉大なる記憶力の物語で登場するSことソロモンシェレシェフスキーという人物に行き当たる。
彼らの話を調べるとどうも自己のイメージがイメージの世界で確実に存在していることがわかる。

ボブの考える理論的な話をしよう。
まず記憶術というのは、情報として“安定的”な情報を使っている節がある。
この安定的とは記銘した情報が想起時も高い確率で想起できるという意味程度の語句だと思ってほしい。
例をいえば、直感的なイメージに変換するというものがある
この直感的というのが大事で、論理をこねくり回して変換した場合と比較されることがある
論理をこねくり回した方は、想起時に想起できる可能性が少ないが、直感的に変換した場合、記銘時の変換がそのまま想起時にも想起できること多いという経験則が成り立つ。
他にも場所法はいったん場所を記憶することで、想起時の安定性を保っていることからもわかる。

この安定的な情報の一つが自己のイメージ。
自己のイメージは意識しないと記銘しにくいというたぐいのものだが、意識すればどんな情報にも付随させることができ、情報としても安定的な情報の一つだ。
この安定的な情報の一つであるという点が、記憶力の強化に必要だと考える理由の一つだ。

しかし考えてほしい。
なぜ自己のイメージが消えて行ってしまうのか?
反対にHSAMの人たちはなぜ自己のイメージを長期に渡り記憶していられるのか?
これには実証された見解はない。
だがボブは一つの仮説を持っている。

その仮説とは「想起時に必ず自己のイメージから、その周辺の情報にアクセスしているからではないか」というものだ。
つまり一般的な人たちは“直接的に”思い出したい対象を思い出しているのに対して、HSAMの人たちは“間接的に”思い出したい対象を思い出しているのではないか、ということだ。
この間接的にというのは、HSAMの人たちはまずその思い出したい対象を記憶した時点の“自己イメージ”を思い出し、次にその自己のイメージに付随している思い出したい対象の情報を間接的に思い出しているのではないか、ということだ。

この方法論だと必ず自己のイメージを経由して、対象を思い出しているので復習の際自己のイメージも復習され、自己のイメージが消えにくくなると思われる。

だがしかし、謎なのは自己のイメージを付随させて想起している蓋然性(がいぜんせい)はボブは高いと思っているが、いったい自己のイメージの何を覚えているのか?がいまだにわからない。
HSAMの人たちは思い出した日の服装などは全く覚えていないことから、自己のイメージといっても全てを想起しているわけではないということがわかる。
また感情をその思い出した日のまま追体験するといっているところから、主観的な視点から体験を思い出していることがわかる。
これは主観的な視点で過去を思い出すと、感情が追体験され、第三者の視点で過去を思い出すと感情が追体験されにくいという研究から考えられることだ。

上述の理由で自己のイメージはかなり重要だと思われるが、この方法を使うのはまだまだ工夫が必要かもしれない。

場所法熟練者を考察し、新たに記憶術に応用(できるかも?)

高IQの人が場所法を熟練しやすい理由。
高IQの人はどうやら類推などの能力があるようだ。
そのためか、高IQの人はかなり飽きっぽいようでもある。

なぜ類推などの能力が、飽きっぽさにつながるか?というと、全てのことが“類似”しているように見えるからだとボブは考える。
ボブはここで類推能力というより、類似探索能力の方をピックアップしたい。
たぶんこの能力は類推と深い関わりがあるし、類推よりは簡単だと思われる。

この類似探索能力がたぶん高IQの人の熟練しやすい理由なのではないか、と仮説っている。

場所法熟練者は物語法と深い関わりがある説
場所法熟練者はその場所に置く、という単純な行為によりイメージを定着できるらしい。
しかしボブはこの置くという行為に、物語法的性質が存在しているのではないか、と仮説っている。
メモリースポーツのアスリートたちが述べていることでボブが興味深かったのは、場所法の場所とモノのイメージの捉え方だった。
メモリーアスリートがいうには、場所を順々にイメージしながら、順々にモノのイメージを観ていくだけらしい。
ニュアンスから、置くというより同時並列的に場所とモノのイメージを観ているぽい感じがした。
そして想起の際は場所を想起し、そのとき観ていたモノのイメージを思い出す感じとのことだ。

もはや置いてさえいないのか?!と思った。

このことからどうも場所と関連付けている、というよりはまさに順番に場所とモノのイメージを観ている私の自伝的物語を作り出し、想起しているようにボブは思った。
自伝的物語法は、ボブにとっても意味のわからないもの。

物語法自体に効果があるのは記憶術を使ったことがある人ならばだいたいわかるだろう。
だが、なぜ日常ではこの物語法のような効果が起きないのか?がわからない。
ようするに物語法には効果があるが、人生という物語にはどうしてこうも物語法と同様の効果がないのか?ということ。
もし仮に日常でも物語法と同様の効果を得られた場合、かなりその影響は大きいものだろう。

ここで場所法熟練者はきっと場所法を使う際にこの自伝的物語法なるものを開眼しているのではないか、とボブは疑っている。
その理由は先ほど言ったように、場所法がもはや場所法じゃないからだ。

場所法と対文章式記憶術パーツの共通点と相違点
場所法がなぜ速く想起できるようになるのか?というのは対文章式記憶術パーツのイメージがなぜ速く想起できるのか?という点と似ている。
何が似ているか、というと場所法も対文章式記憶術パーツも連続性を持っている。
連続性とは次に何が来るか?ということが前のイメージの状態から即座に連想できるということ。

でも相違点もある。
対文章式記憶術パーツでは全体が全てわかっている。
しかし場所では部分的な範囲でしか様子がわからない。
様子がわからない所は、移動していくことで連続性から思い出される。
だが、このときでさえ場所の全てを頭に思い浮かべているわけではない。
そういう違いがある。

現実の身体性以上のイメージに

この前のブログを見てくれればわかると思うが、ボブはイメージの世界でも身体感覚を得たいと思い、挑戦している。
なぜこんなことをやるか?
このブログから見ている方はわからないだろう。
しかしこれにはフッカーーーーーーーーーーーーーい訳がある。

この身体性、身体感覚の導入には、ソロモンシェレシェフスキーという人物が深く関わっている。
この人の登場する本、「偉大なる記憶力の物語」という本を読んだことがあるだろうか?
この中でSとして登場する自分こそが、ソロモンシェレシェフスキーという人物だ。
このソロモンシェレシェフスキーという人物は、絶対的記憶力を持っていたとされている。
ここでボブがいう絶対的記憶力とは、一回で記憶できるという程度の意味だが、一回で記憶できるというのはボブがいったんは手にしたい能力の一つだ。

この人物の話によれば、どうもこの人物はイメージの世界でも身体性、身体感覚があった人物のように捉えられる。
そこでボブはイメージの世界でも身体感覚を得、身体性を獲得する実験をし始めた。
そこで思わぬ発見もしたので、それを述べたい思いもあり、近況も同時に報告させてもらうことにした。

まずボブが最近しているのは、イメージの世界で身体感覚を手に入れいるために四肢にチョー重い重りをつけて、運動するというものだ。
ここでなぜチョー重い重りをつけたのか?というと、200Xという昔やっていたテレビ番組でイメージトレーニングは、現実の自分では挙げられない高重量を、イメージの中ですっごい速さで高速で挙げるイメージをすると筋力が上がるという話を覚えていたからだ。
このことより、ともかく重い重さの重りをつけることにした。

ここでボブは筋トレの経験が活きることになった。
どうもいきなり重りをつけた状態で全身運動をしていも意味がないことに気づいた。
たぶん筋トレと同じで動かしている部位に意識を集中できないと、全然イメージの中の身体感覚が身につかないようだった。
そこでまさに筋トレと同じことをした。

左腕や左腕に近い体感の部分の身体感覚がボブは薄い。
そこで左腕のみにチョー重い重りをつけてアームカールなどをし始めた。
これは最近やり始めたことなので意味のあることかわからないが、とりあえずやってみている。

そして発見したことがある。
それはYouTubeを観ながら、イメトレしていたら起こった。
何が起こったか?というと、観ながら左腕をアームカールなどしていたら、なぜか見た情報が思い出しやすくなった。
そういえば理屈上そうなるなーということを思い出した。

ある研究によれば、BGMを流している状態で記憶した事柄は、そのBGMを流してテストさせると再生成績が上がったという研究がある。
これを“文脈効果”というのだけど、今回でいえば重りを持った状態で記憶した事柄が、当然想起時に重りを持った状態であれば記憶成績が上がることになる。

さらに運動しながらインプットするとインプット効率が上がるなどの研究もあったはず。

このことより、イメトレ中でもそれに酷似した状況が出てくるようだった。
これは一つの記憶術的な発見だと思う。
これを考えるとイメージの世界での身体性の獲得は何かをもたらす気がするので楽しみだ。

またボブの目指す身体性は、現実を超える身体性だ。
これは例えば現実の身体感覚以上の身体感覚をイメージの世界で実現するということ。
できるかどうかわからないので、これも要実験だろう。

超自伝的記憶術

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超自伝的記憶力を持った人の話で、一つ重要なことを思い出した。
それは超自伝的記憶力の人の中には、現在観ている光景と過去に観た光景の2つを同時に観ながら暮らしている人がいるということです。

これはボブの場合、パラレル思考の研究の話になるのですが、2画面を同時に観るということをしたときと同じような感じだと思われます。
この2画面同時に観ると、普通にただ漫然と2画面同時に観てもなかなか頭に入って来ず、ただ情報が流れていくだけの状態になります。

しかしながら、2画面同時に観ながら、2つのことを互いに関連付け合うと、これが変わって来ます。
例えば片方で手術をするようなドラマがやっているときに、もう片方でコーヒーのCMがやっているとします。
このとき、手術しながらコーヒーを飲んでいるイメージをすると、なぜかはわかりませんが、頭に入って来ます。
しかし頭に入ってくるのは、その関連付けを行った一時的なものなので、すぐに次の場面でまた関連付けをしなければ、また頭に入ってきません。

このようなせわしない映像の関連付けを行い続けているのかな?とボブは超自伝的記憶力の人を思いました。

さらに思ったのは、この2画面関連付けを行うと、例えば店などで席に座っている場合に、ほぼ自分が静止している状態であるにも関わらず、頭の中では、朝に経験した場面を動かしているので、全然静止していないイメージが描けます。
人間の記憶は、動いている方が印象に残るので、静止している状態でも動きを付けられるのは、かなりラッキーです。

このようなことが今回の気づきでした。

対文章式記憶術の試行錯誤(つぶやき)

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そもそもパーツがダブルことによるイメージの消えやすさなどをクリアしないと速攻でツミゲーになる。
パーツごとにパーツの概要の形状を維持しつつ、単語の表すイメージに見立てる。
これで大体解決するはずでござる。

でもって、文章を覚えるとき、どう考えてもまだ足りない感があるので、関係性構造化で、まず文章の展開図をパーツで作って、それを使って一気に組み合わせに行く。
あとは、想起の際統合したパーツのイメージを展開図なるように配置しながら想起する。
これでどうじゃろ?

そんでスパイスにコマ割り使って、少しだけ圧縮していく。
そうすることで、イメージに新奇性を与え、干渉を防ぐ感じ??
問題はまだコマ割りの仕方をはっきり決めていない。
その場で、行けるかどうか判断してコマ割りしているから時間がかかる。

最後は場所法どす!
なんせカテゴリー化以外の研究があまりされていない感があるから、しばらくはカテゴリー化一本を使って練度を上げることに集中するかな?
でも入れ子状想起もなかなか面白そうだから、検証は続けていくことにする。

自伝的記憶術

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自伝的記憶とは、自己が存在しているような記憶です。
エピソードの記憶でも普通の人はそれを、自己を抜いて思い出したり、自己を第三者の視点から観ているようなイメージにして思い出したりします。
ですが、自伝的記憶とは、自己の主観的視点でエピソードを思い出すこととボブは認識しています。

さて自伝的記憶にした場合、想起の際に不可思議なことが起きます。
それはノートを見て覚えようとしている私を思い出す私を思い出す私・・・みたいに延々とマトリョーシカ的構造が現れます。
これをボブはどうやって超自伝的記憶力の人やっているのか知りたいです。
どうも何らかの方法でやっているのだろうことはわかります。
以下そのための条件です。
①頭の中でイメージしたイメージを何らかの状態で現在の自己の環境に出しているのでは
②その何らかの状態は、干渉をしない形でイメージされているのでは
この2つを今のところ考えました。

さらに静止している場、つまり長い間ずっと同じ位置にいる状態と移動している場、つまり道などを移動を繰り返している状態では、イメージの仕方が少し異なると思われます。
移動中であっても、人間は動画を覚えるようにイメージを生成することは難しいのではないでしょうか。
確かにイメージでも極めて短い時間の動画は可能です。
でも基本的にイメージは写真だと思っていいと思います。

そのことより移動中の自伝的記憶というのは、主観的視点の写真が、イメージを移動しながら置かれていくという形なのではないでしょうか。
これは仮説なので、何とも言えないのが現状です。

一方移動しない、静止した状態ではどのようにしているのか、というのはボブ的には少し見解を固めつつあります。
それは次の機会に紹介します。
その機会にはたぶん検証もかなりしているかもしれません。

マトリョーシカ的構造は可能か?

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マトリョーシカ的構造とは、例えば自伝的記憶にするために、記銘している環境や自己の状態をも含め記憶していった場合に起こる現象です。
例えばレストランで「今日はお天気ですねー」ということを自伝的記憶化しつつ覚えたとします。
すると、それを喫茶店でまたまた自伝的記憶化しながら、「レストランで「今日はお天気ですねー」という会話をしている様子」というのを思い出すわけです。
これをさらに自宅の机で思い出した場合、今度は「喫茶店で・・・」となり、まさにマトリョーシカ的構造が出てきてしまいます。

ボブがこれを検証してみた結果、なかなか難しいという結果になりました。
ですが、色々問題のある検証だったので、あまり参考にならないという反省もありました。
なぜなら、ガスのような吹き出しのようなイメージを作り、そこにイメージをおいていくということをしてしまったからです。
前ブログにもありますが、ここでガスのような場には、置いたイメージを不安定にさせる効果があるということが図らずしも発見されたわけです。
そこでまたまた可能かどうかをみるために検証にかけたいと思います。

もしかしたら成功する可能性があります。
これが効率的な暗記法であることが証明されれば、超自伝記憶力の人たちもこれに類似した方法を使っている可能性が高まります。
これは一石二鳥の検証なのです。

対文章式記憶術の検証と成長

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対文章式記憶術の検証を毎日のようにしています。
今ボブは大体25単語で構成された文章を、5分以内に覚えられます。
最大で32単語ぐらいのスピードです。

これに加えて、自伝的記憶化するために、覚えたときの自己の状態や環境を混ぜて覚えようとしています。
基本的に自伝的記憶にするために自己の状態を軸にして感覚刀痕術を使いながら覚えています。
つまり、具体的には自己の感情を軸にして、腹にイメージが刺さったなどと言った方法を使っています。

これだけだと単なる感覚刀痕術なので、すぐにキャパオーバーしてしまうので、ここに場所法的な要素を取り込んでイメージしています。
例えば、自室の床が巨大な自分の腹でできているなどです。
このイメージの利点は、自室の床にイメージを置いたり、刺したりすることで感覚刀痕術的な効果が期待できるということです。

このとき感情も例えば苦しみっという感情で全て装飾しておくことで、想起の際感情を想起して、細かいところを場所や感覚に頼って想起できるわけです。
でもやっぱり感覚刀痕術のキャパの拡張になっているかは微妙なところです。