実証を軽視する人と重視する人の気持ちがわかりました、こと(規則対象外)

今まで実証性を軽視する人に対して怒りを感じていました。
だって、実証しないといけないのが、記憶術の研究でしょ?
日々現実師範に「この無能が!出直してこい!」
とダメ出しを食らっているからです!

そんで怒りを感じながら、色々頭の中で愚痴っていたら、あるときふと思いました。
それは自分も物理学のあるコミュで、実証さていない自分なりの仮説を言ったときに、周りの対応は冷たかったのを思い出しました。
ある人には、長年をかけて天才たちが作り上げた理論を、そんな簡単に否定できるはずない!
と、こんな感じのことを言われました。
で、そのとき思ったのは、なぜ自分の作った仮説をそんなに否定するのか?
そんなんだから、いつまで経っても新しいことができないんだ!
そう思いました。

その次に思ったのは、自分の中にも実証性を軽視する自分がいることに気づきました。
今までボブは、実証性を重視する立場から物事を言ってたし、観ていた。
でも、ボブの中には実証性なんてどうでもいいという立場のボブも存在している。
こうしてボブは実証性を軽視する人に怒りを覚えなくなりました。

ボブも科学的に証明された現象ばかりに目を向け、実証性を軽んじるけど、自分を内観して出した結果の現象から、新しい何かを生み出せない。
そんな人をみると歯がゆい気持ちになったことを思い出しました。

というわけで、ボブが少し脱皮した話でしたww

極小化学と平面化学

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極小化問題というのが、記憶術には存在している。
それとともに、平面化問題というのも存在している。
極小化問題とは、イメージを極小化すると忘れやすくなるというもの。
同様に平面化問題とは、イメージを平面化すると忘れやすくなるという現象です。
どちらも忘却術として採用してもいいぐらいのクソ現象。

でもどちらも使えるとめっちゃ有用性が高いものでもございます。
極小化学では、それを無理やりできるようにしてしまおうという分野です。
平面化学も、どうようです。
そこで、なぜ消えるのか、忘却するのかを仮説を立てることにします。

極小化学の忘却現象への仮説
①イメージを小さくすることで、イメージの特徴が潰れるからなのでは
②復習の際に小さいイメージのままで復習してしまうからなのでは
③最終的なイメージの形が、時間を置いた想起の際に採用されがちだからなのでは

平面化学の忘却現象への仮説
①イメージの奥行がないから情報量として少なくなるからなのでは
②イメージの奥行が位置情報の特徴を付け加えていたからなのでは
③想起の際、平面だと捉えにくい
④想起の際、平面系の他のイメージと干渉しやすくなるのでは

と、結構似たり寄ったりな仮説もありますが、こんな感じが今の限界です。

つながりとしては平面は奥行きを極小化したものだと考えることができるので、根本的な原理は極小化でも言えるのではないか、と思っています。

新しい記憶術に向けて

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偉大なる記憶力の物語に出てくるS、ことソロモンの方法を仮説して、真似して取り入れることを進めている。

そのため、以下の方法を対文章式記憶術に取り入れて実証実験を進めた。

①自己を含めた第3者の俯瞰した視点からの記銘(いわば解離の状態)
②個々のパーツへの具体的イメージの当てはめ
今まで、●というパーツのイメージだったのを、ダンゴムシなど、個々のパーツのイメージに具体的なイメージを与える
③見出すことをしたり、空白を空けた統合
❶❷❷という形のイメージを、❶ ❷❷というように間に空白を空けて、一つのイメージに見立てると、一斉忘却に対応できるのではないか?という方略です。
④理解よりの統合したイメージ
理解して導いたイメージに近くなるように、統合したイメージを見立てる
⑤要所要所を重点的に情報を付加する
全てのイメージに感情や運動感覚などを載せるのではなく、要所要所に少しだけそれらを付加する
⑥情報を視界に張り付ける
⑦入れ子型復習
これは秘密です!

ということをしています。

①の解離状態を作り出すのは、いまいちこれと言ってメリットがないです。
①を検証してみても、実際は現在いる場の情報と関連付けて、覚えたい情報を合わせることと何も変わらない気がします。
これはどういうことか!

ソロモンの記憶術・記憶体験②

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偉大なる記憶力の物語で出てくるS、ことソロモン・シェレシェフスキーの記憶体験からの発想。

どうやら、ソロモンはありとあらゆる情報を記憶に取り込んでいたようです。
ここで、特にボブが注目しているのは、ソロモンが記憶した状況を詳細に記憶していて、それを想起の際に再現して、想起したい情報を想起していたらしいということです。

普通、記憶しているときは、ボブは視野が狭くなっていて、周りの状況なんて覚えていません。
それをソロモンは、周りの状況まで覚えているのです。

ここで、ボブが思うソロモンの記銘状況は、「ソロモン自身を含んだ、ソロモンの背後斜め上ら辺から、俯瞰した情景を眺めているのではないか?」という仮説を立てました。
これは解離という精神疾患の人の体験に似た状況をボブは想定しています。
ので、いつも背後斜め上にいるわけではありません。

この方法のよくわからない部分は、ソロモン自身が考えているイメージなどの内心をどう表しているのか?や同じ場所で起きたことをどう分別しているのか?などの疑問が残る点です。

ともかく記銘の際は、記銘したい対象だけでなく、視野を広く保つのが、大事なようです。

なぜ勉強するのか?(規則対象外)

なぜ勉強するのか?
この問いには、様々な答えがあると思います。
正解がどれなのかボブにはわかりません。
だけど、ボブが考える答えはあります。
これが正しい答えかはボブにはわかりません。
そんな答えを言ってみます。

なぜ勉強するのか?
ボブが思う最大の目的は、「答えのないところに、答えを出すため」と思っています。
この世の中には、答えのないことなんていっぱいあります。
でも、だからと言って、そこに答えを出さない、ということにはボブはならないと思っています。
いちおう、答えらしきものを出して置く。
そんで、その答えを使って何かする。
ボブの中ではそんな感じです。

それが最大の目的だとすると、なぜ勉強するのか?
そこにも勉強していくと、仮説、答えらしきものを出して置けるようになると思います。

その答えを出すために下位目標があるとボブは思っています。

勉強の内容自体は、例えば数学を学んでも、みなさん数学を使わないような人生の方が多い気がしますね。
でもね。
ボブが考える勉強の内容に関しての有用性は、「応用」していくことだと思っています。
例えば数学自体は、ボブは全くできないけど、数学の考え方が利用できる場面は、ボブの人生では多くありました。
具体的には、公式。
公式があって、そこに当てはめられるように式変形していく。
そうすることで、問いを解くことができる。
そんな感じのことはいっぱい人生にあると思います。
ボブもやりました。
例えば記憶術の開発で、「一個のイメージは覚えれる」という公式がありました。
そこで、一生懸命、ボブは式変形したわけです。
そうすることで、対文章式記憶術という解が生まれたわけです。

つまり、数学的に言えば、抽象化することが大事、というわけです。
そしてそれを一般化して、実生活で利用できるか考えて、あとはトライアンドエラーを繰り返しまくって、色々改善していく、ということです。

これが勉強における内容をどう捉えるのか?というところのボブが思うところです。

そしてボブが思う勉強自体の目標は、勉強の仕方の勉強が大事だと思っています。
つまり、勉強を通して、どんな勉強の仕方をしたらいいのか?を考えるのが、勉強自体の目標です。
ようするに、記憶術や記憶戦略を編み出すのが、なぜ勉強するのか?という部分の一つの目標だと思います。

以上、なぜ勉強をするのか?でした。

ソロモンの記憶術・記憶体験

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偉大なる記憶力の物語に出てくるS、ことソロモン・シェレシェフスキーで新たなる発見が!
ソースは「脳が認める勉強法」という本です。

その本のP89の「ずっと頭の中で見え続けるのです」という記述が気になりました。
なぜ気になったのか?というと、もし仮にイメージの世界であっても、「見え続ける」という言い方はしないのではないのか?と思うからです。
イメージの世界であっても、目を離すという行為はできます。
つまり目を離すという動作はできるが、“見え続ける”のだと考える方が妥当だと考えます。

ここで、ある最強に近い方法をご紹介しましょう!
それは覚えたいイメージがあったら、“視界”に張り付けるという方法です。
これは視界に張り付けるのであって、決して、外界にイメージを張り付けておくのとは違います。
あたかも自分の視界がテレビのモニターのようになっていて、頭の中でその画面に覚えたいイメージをPCのアイコンのように張り付けるということです。

こうすることで、その覚えたいイメージは「見え続ける」のです。

内的アウトプットの記憶術≪線描法による観察≫

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内的アウトプット=中間プットとは、インプットとアウトプット以外の頭の中で(=内的)アウトプットするということを内的アウトプット、もしくは中間プットと名付けて、取り扱っています。

外界の情報を内的アウトプットをし、線で描くためには、まず情報収集が重要だと思い線で自由に何かを描くということをして、その法則性をその線の消え方などから導き出そうと考えたのが、線描法という方法です。

そしてやってみた結果が、まだ一枚のイメージしかやっていないのですが、どうやら、何か“まとめやすいイメージの形でまとまる”という性質があるようです。
これはたぶん既知の記憶していることから、任意に近しい形というのをチョイスしてくるみたいです。

次にやってみた結果は、“わかりにくいイメージの形は、わかりやすいイメージの形に変換されていく”ということです。
ボブはわざとマルではなく、少し輪が開いたマルをイメージしておいたのが、時間が経ってから思い出すと、完全なマルになって想起されました。

さらにもう一つ。
普通イメージの線の量が増えて行くと、当然マジカルナンバーの制約により、次から次へと消えて行くのですが、線と線をつないで、例えば三角などにすると、線は3つ使っているのに、なぜか“一つのモノとして判定される”ようになります。

最後に、短期記憶の不思議です。
短期記憶ってマジカルナンバーで消えた情報も少しの間なら、すぐに復元できるというのが不思議です。
これは“認識の限界と短期記憶が実際に覚えている量の限界が違う”のでは。
あるいは“短期記憶が二重構造をしているから”では。
もしくは“短期記憶中の記憶に対しても感覚記憶が働いているから”では。

と夢想してしまいました。

内的アウトプットの記憶術≪育て方≫

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今回のテーマはー、内的アウトプットの育て方というテーマで育てて行きましょー↑。

さて内的アウトプットと言いましても、どのようにしてこれを育てるのか?考え方を知らないと全く考えようがないですね?

そこでボブが提案するのが、内的アウトプットをしながら、「頭の中で単純な線を描いてみよう!」というものです。
まず僕らが知りたいのは、線たちがマジカルナンバーを超えるとどのように消失していくか?(マジカルナンバーは知らない人はググってね)
あるいはマジカルナンバーには全く反応しないのか?です。

反応したならどのように線が消えるのか?
または改変されるのか?です

全く反応しないなら、どうして反応しないのか?を考えるといいでしょう。

というように色々試行錯誤してみると、たぶんですが、たぶん内的アウトプットの力が伸びると思います。

こうして今日も中間プット(=内的アウトプット)学は発展して行きますです。

ちなみにボブがこの内的アウトプットで線を描くということを始めた結果、直線が弧を描いたり、半円が消えたりと摩訶不思議なことが起きましてそうろう。

内的アウトプットの記憶術

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この内的アウトプットに故意忘却を混ぜることで、さらなる飛躍があるんじゃないの?というのが、今回のテーマです。

故意忘却とは、トップページで紹介されている忘却術を使用しないことを前提に、意識的に任意の対象を忘却しようとすることで、逆に任意の対象を意識上らせる方法です。

この方法で、眼前にある景色を覚えることにチャレンジしました。

まず色々試した結果、以下の法則性があることを観測しました。
①忘却がある程度進んだイメージに故意忘却すると、本当に忘れる
②覚えたい対象を一気に広範囲に渡って、故意忘却しようとしても曖昧にしか覚えれない
例えば、駅前の全体の景色を故意忘却すると、詳細には覚えられない
③覚えたい対象をより具体的にしないと、故意忘却したとき、想起できない
例えば、駅前のあのとき、あの一瞬を故意忘却しようとすると覚えているが、あのときの一日全部を故意忘却すると、全然思い出せない

そこで、眼前にある事柄のより具体的でより狭い範囲の情報を故意忘却することにしました。
つまり、四角を覚えたい場合、縦線を消す(=故意忘却)ということをしました。
こうすると、少し覚えていました。

このことから、以下の仮説ができました。
加法と減法の仮説
加法、つまりイメージに落書きを加えることで覚える方法と減法、つまりイメージを部分的に減らすことで覚える方法があるのではないか?という仮説です。

あと色々方法を考えたんですけど、挙げるとキリがないので、今回は辞めておきます。

抑圧という想起の仕方

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中間プットをさらに強化するため、復習法の開発を推し進めていました。

そして以前読んだ本で、、、確か正しい勉強法と間違った勉強法が対比された本でした。
その本に覚えようとするのは間違いで、“忘れよう”とするのが正しいと書いてあったのを思い出しました。

そこでボブは、目の前にある情景の覚えたい部分をわざと消して、忘れるように頭の中で思い描いてみました。
すると結構覚えていました。

この故意に忘れるという技は、当然記憶術で使われるような混同のテクニックなどを用いたら、本当に忘れてしまうでしょう。
その点を含んで、どうしたら効果的に想起を抑圧し得るのか?というのが今後の研究課題として浮き上がりました。

この方法の根拠は、白熊を思い浮かべないようにしてください、と言われると白熊を思い出してしまうという研究があります。
人間のイメージは「ない」という状態をイメージすることができないので、このような現象が起きるらしいです。