時計とまどろみの記憶喫茶

ワイ「休む所ないかな?」
スキピ夫「あ、それわかるー」
ワイ「あっ!あそこに喫茶店がある!!」
スキピ夫「それな!」
喫茶店内
ワイ「喫茶店ってさー、スタバックスみたいに呪文みたいな注文しないといけない所あるじゃん。あれ苦手なんだよなー」
スキピ夫「じゃあ!ここ最高に活かしているじゃん!」
ワイ「え!どういうこと?」
スキピ夫「だってほらメニュー見てみてよ!「コとかミとか一文字しかメニュー並んでないよ!」
ワイ「本当や??(汗。メニューにコとかミとかしか書いてない。。」
店員「いら!」
ワイ「この店員今いら、しか言わんかった!(汗」
店員「聞いていましたよ~。そうですよね~。某喫茶店では呪文のように長いサーバントを呼び出しているんじゃないかぐらいの商品名を言わせて、言えない人の恥らいを視姦して楽しむ変態的店もありますからね~」
ワイ「いや~。さすがにそこまで変態じゃないと。。。」
店員「しかしそんな恥をかくことはもうありません!この店は全ての商品が一文字で注文できますからね。HAHAHA」
ワイ「外国人風の笑いしているところ申し訳ないんですけど、全て解決したみたいな感じでいうのやめてもらえません?全然全て解決してないんでー。ていうかもはや何注文できるかわからないし、むしろ長くても何注文しているか少しわかる某喫茶店の方がまだ何かしらマシなんですけど。。。」
スキピ夫「じゃあ、僕、コを」
店員「コ、注文受けたまわりーーー!!」
ワイ「えっ!コでいいの?コが何かわからないのに!!」
スキピ夫「コからわからない!?」
ワイ「一切わからん」
スキピ夫「考えるんじゃない!感じるんだ!」
ワイ「コ以外何も浮かばない!だってコ以外の情報ないじゃん!!」

今日の学び
この例からわかりますか?
ワイの言動、コ以外何も浮かばない、という所より
このワイから得られる情報の原則は、想起“前の連想”、つまり思い出すための連想と想起“後の連想”があるのではないかと現象を分けられます。
これをボブは前連想と後連想と名付けることにします。
前連想は想起に関係ありそうな情報を連想し収束して特定の情報を思い出す作用があります。

ここでボブは前連想で安定的な情報として考えたのが、「自己の状態」と「時間的関連付け」です。
どちらも重要ですが、これを一括した情報として把握できるといいように思います。
自己の状態で時間を把握しようとすると、「腹の減り具合」「尿意」「眠気」という三大要素があります。
これらでだいたいの時間を把握できるかもしれません。

ここで自閉症の人たちが徹底的にスケジュール通り行動しようとするこだわりがあることに思いがいたります。
自己の状態だけだとだいたいしかわかりません。
そこで例えば「11時~14時は昼ご飯の時間」「12時~13時はトイレ」などといった時間ごとに意味を複数個つけておくと、例えばある日の昼ご飯は何だっけ?と思ったとき、この日は病院行ってたからだいたい11時30ぐらいで、昼飯どきだから、そこでコンビニに入ってパスタを買ってたなどなど、ある特定の時間や予定を軸に時間ごとの意味づけから想起条件を絞れます。

日常を覚えたいときに意図的に時間との関連付けや理想的スケジュールの比較や時間的位置を確認するのが効果的かもしれない。
ここで問題になるのが、HSAMの人たちと同様で細かい日常以外の情報(例えば知識)を覚えるのにはそれなりに苦労するということです。
どうやったらこの方法に文章などを入れ込めるかは現在のところ検討されていません。

直感的記憶術の威力

直感と連想の違いは、直感の方が「先入観」といったほかの要素が混ざっている。
でも今のところほぼ直感と連想同じようなものと考えている。

さて前の記事で連想って一回で出力する情報量を大きくできるかもしれない、と述べた。
つまり通常連想という言葉を聞くと、大体の人が単語から別の単語を想起することを思い浮かべるが、別に大量の情報からまた別の大量の情報を想起してもできないことはないことに気づくかもしれない。

これはようするに一回の出力でも直感的でありさえすれば、大量の情報を一回で出力できることを意味する。
これを何に利用するかはまだ考えていない。
が、大量の情報を一回で出力できるようになると、連想でつなげられるイメージの量が格段に上がる。

例えば今までは「リンゴ」から「ミカン」へと単語から単語へ連想していた。
この方法だと想起するときの問題で「リンゴ」から「ミカン」「ナシ」「スイカ」「バタコさん」と連想していくと「リンゴ」から「ミカン」や「ナシ」を想起するときに、必ずしも全ての単語を思い出せなかった。
これはリンゴの特徴から次の連想の特徴を思い出しているからで、リンゴの特徴を使い回しすぎた結果、連想した全ての単語にはアクセスできないからだ。

これが大量の情報から大量の情報へと連想できる場合、結果が変わってくる。
例えば「喫茶店」から「コップ」「氷」「お茶」へ連想が成り立つ場合、喫茶店には様々な特徴があるため、それらの様々な特徴をそれぞれの単語に割り当てていくことができる。
そのため単語にアクセスできる可能性が上がる。

こんな良いこと尽くめな連想だが、これを応用しているのが記憶術だと思っていい。
ここでボブが改めて思ったのが、「連想」と「想起」の違いって何?ということ。

連想は連想元があり、連想先はランダムで大量の情報を出力することができ、自由で速く、拡散的な出力だ。
それに対して、想起は想起元は必ずしもなく、想起先は意図的で特定のモノや出来事を少量出力することが多く、収束的な出力だ。

こんな分類をしたが、そんなに簡単に連想と想起を切り分けることはできないようだ。

だがボブは思う。
思い出すという作業は収束的思考の一種だが、どう考えても連想のように拡散的に思考する方が苦になりにくい気がするし、大量の情報を思い出せる。
そこで全ての想起現象を連想的にした仕組みを作るといいのではないか?と考えている。

連想はなぜ対称性バイアスを持つのか?

ボブが「対想」と呼んでいる現象がある。
対想とは直感的な連想をしたときに、例えばリンゴ⇒丸いは連想しているので成り立つことはわかる。
しかし丸い→リンゴは必ずしも想起できないことがわかるだろうか?
リンゴ⇒丸いは連想したことによって次回も連想すれば成り立つこともあるだろうことが予想される。
が、丸い→リンゴは意識的に丸い→リンゴという想起をしたならわかる。
でも普通しない。
たぶん事前にテストして、丸いから連想されるものをいくつか書き出してもらったとしても、最初にリンゴが来る可能性少ない。
それなのにリンゴ⇒丸いを連想させた後に、丸いから想起される(あるいは連想される)ものは何か?と問われれば、最初にリンゴを思い浮かべる人が多くなるのではないか?とにらんている。
これが情報が対のように成り立つ想起、つまり対想だ。

この対想は連想の性質であるように思う。
つまり連想はその人が前持って得た予備知識や事前情報に左右されるということ。
また連想自体が子どものときの言語習得能力を支える一つの柱である可能性がある、と思っている。
その理由として子どもの言語習得時の対称性バイアスが対想のシステムに似ているから。
対称性バイアスとは、「リンゴ」というイメージや物をみせて、これは「りんご」だよ!と学習したときに起きる現象。
普通、リンゴのイメージ→りんごの音というように学習した場合、りんごの音→リンゴのイメージというような学習をしない限り、逆の対応付けは学習しない。
しかし子どもはリンゴのイメージ→りんごの音を学習するとりんごの音→リンゴのイメージというのも勝手に学習してしまう。
このことを対称性バイアスと呼んでいる。
これはボブが作った言葉ではなく、ちゃんとした心理学用語だ。

これは非常に連想の対想現象によく似ている。
もしかしたら、子どもが対称性バイアスを持つのは、連想の対想現象を利用しているからではなかろうか。

子どもは大人のように、情報の一部分を切り取って来て連想することはできないのではないか。
そう考えると子どもは情報の塊ごと思い出していると考えられる。
連想するときもりんごの音→リンゴのイメージを「りんごの音が存在している状況→リンゴの物が存在している状況」を連想しているのではないか。
そう考えている。

そう考えると連想ってもしかして単語や単語に沿った単一のイメージばかりに起こるのではなく、大量の情報を含んだ情報の群れでも起こるのではないか、という希望の光が見える。

ノート上の検索系はそのまま記憶術に使える(規則対象外)

今日はネット上で起きた疑心暗鬼事件が、ネット上の方々のおかげで何とかなったので、それに報いるために今一番大事な情報だとボブが思っている情報を書きたいと思います。
ちなみに、これはTwitter上でもすでにつぶやいたことなので、どうぞ皆さんご自由にお使いください。
と、言ってもこれには答えはボブは持ち合わせておりません。
ボブができるのは、ヒントを書くのみです。

さて一言で言えばノート上の検索系はそのまま記憶術に使える、という題そのまんまのことを書くのです。
ボブはアイデアノートを何冊も持っています。
そこにはアイデアがびっしり書かれています。
そのため、これらに書かれた内容を全て把握したり、検索したりすることはできません。
そこでボブは思いました。
バレッドジャーナルの方法をさらに改良して、アイデアノートを検索しやすいようにしたら、この煩雑なノートたちももっと上手く使えるようになるのではないか?と。

そしてさらに思いました。
もし仮にそんな便利な検索システムを作り上げたら、それってそのまま記憶術の検索システムに転用できるんじゃないか?
むしろ、イメージは3Dでノートは2Dなのだから、イメージの方がノートよりより良い検索システムを作れるのではないか?と、そう思った次第です。

どのようなノートの検索システムをノート上で作れるかは謎ですが、もしかしたらそれこそが最強の記憶術になるかもですね!

検索系Xという仮定

当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

単語を何でも記銘できて、いくら入れても想起できる、という検索系をXと仮定する。
このXの性質を考えて行こうと思います。

ここで重要になるのは、“いくら入れても”想起できるというところでしょう。
これをまず考えてみたいです。
情報をドンドン入れていくとネックになってくるのは、全体像がわからなくなることだと思います。
一体ボブは何を覚えて、それはどこを検索すれば思い出せるのか?という点が量を覚えたときのネックだと思います。
これをどうするのか?
現在の持っているボブの知識では、検索系は「特徴検索」であると言えると思います。
つまり情報の特徴を検索しているということです。
ここで言う特徴とは、他の情報との“差”のことです。
この差が大きければ大きいほど、検索の成功率は上がると思われます。

しかしながら、このような特徴も実際は覚えておかなければならず、特徴が多くなれば結局それだけ量が覚えられなくなります。
つまり結局は特徴を記憶していないと、何も想起できないということになります。
このことから、「特徴をどれだけ多く覚えても、何らかの方法で特徴を少なく覚える技術」というのがXと言えると思います。

複雑な関係性を記述するには?(規則対象外)

系統だった関係性を記述する方法は、鈴なり式があります。
鈴なり式を使えば、ある程度の関係性を記述できます。
しかし鈴なり式はかなり大規模な仕掛けなので、これを実行するには少し工夫が必要となります。
その上で鈴なり式では、かなり複雑な関係性を記述することは難しいでしょう。

そこで今回のテーマ、というわけです。
複雑な関係性を記述する方法というのは、ボブ達記憶術を使う人達が持っている手駒の中では、関連付けしかないような気がします。
この関連付けを複雑化させることで、複雑な関連性に対応して行くことしかないのではないか?と今のところ思っています。
関連付けにも色々なものが存在しているので、これが関連性を記述する方法として適していると、断言できるものはありません。

それとは別なのですが、ボブは関連付けに頼らずに複雑な関係性を記述する方法というのにも興味があるので、そちらも模索したいと思います。

またまた自閉症の方たちの話

当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

自閉症の方たちの話。
たまに周期的に来る自閉症の方たちに多く見られるサヴァン症候群のことを考えるクセの時間がやってまいりました。
今回も乏しい知識から、なぜ自閉症の方にサヴァンが出現しやすいのか?を考えてまいります。

ボブがどうしても気になっている点があります。
それは自閉症の方の直線状におもちゃを並べる遊びというのがあります。
これを今回別のことを考えていて、たまたまこのことをまた考えることになりました。
そこでボブが思ったのは、この直線状並べる遊びは、もしかしたら物体を“量”として捉えることにつながっているのではないか?という仮説です。
つまり、直線状に並べることにより、順番が付く。
そしてその順番の数字を量として捉えることで、全てのものを量として記憶することが可能なのではないか?という大胆な仮説です。

さて、ここで問題なのは、その量があるとします。
1+1は2というのは必ず成り立ちますよね?
でも2は1+1ではないのです!
ここ重要な所です。
なんならテストに出してもいいくらいな場所です。
つまりこの仮説だと情報が複数ある場合、個々の情報は1や2として出力するのは容易なのですが、1+2をやったとき3にはなるけれど、3を1と2だと想起することができないということです。

さあ、この問題をみんなで解きましょう!!

メタ検索情報の究極的存在地

当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

あるイメージを覚えました。
そしたら、そのイメージを引き出すための検索情報が存在しているだろうと思われます。
そしてその検索情報をさらに検索するための情報が存在しているとも思われます。
しかしここで不思議なのは、それまたそれを検索するための情報も存在しているのではないか?という疑問が生じます。
そしてこの構図は、延々と存在しているようにすら思えるのです。

こうして考えると、では脳みそはこの問題をどのように解決しているのか?という疑問になります。
実際ボブたちは、検索するための情報を意識することがないのですが、このようなメタ検索情報があっては、確実に想起する度に時間がかかりまくります。
なのに現実のボブたちは、そんなことを気に留めずに様々なことを想起しています。

ここで昔のボブは、最終的なメタ検索情報は外からの刺激にあると結論しました。
しかしそれだけでは訳が分からないのが、「思考」です。
思考は常に外界からの情報を必要としません。
確かに、心理学の実験で外からの情報を全てカットすると、人間は思考することすらままならない、という状況になります。
でもここでボブが述べているのは、短期的に情報がない状態でも思考は存続するということです。

さてメタ検索情報は一体どのようなものなのか?
解き明かされる日は来るのでしょうか?

マトリョーシカ的構造は可能か?

当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

マトリョーシカ的構造とは、例えば自伝的記憶にするために、記銘している環境や自己の状態をも含め記憶していった場合に起こる現象です。
例えばレストランで「今日はお天気ですねー」ということを自伝的記憶化しつつ覚えたとします。
すると、それを喫茶店でまたまた自伝的記憶化しながら、「レストランで「今日はお天気ですねー」という会話をしている様子」というのを思い出すわけです。
これをさらに自宅の机で思い出した場合、今度は「喫茶店で・・・」となり、まさにマトリョーシカ的構造が出てきてしまいます。

ボブがこれを検証してみた結果、なかなか難しいという結果になりました。
ですが、色々問題のある検証だったので、あまり参考にならないという反省もありました。
なぜなら、ガスのような吹き出しのようなイメージを作り、そこにイメージをおいていくということをしてしまったからです。
前ブログにもありますが、ここでガスのような場には、置いたイメージを不安定にさせる効果があるということが図らずしも発見されたわけです。
そこでまたまた可能かどうかをみるために検証にかけたいと思います。

もしかしたら成功する可能性があります。
これが効率的な暗記法であることが証明されれば、超自伝記憶力の人たちもこれに類似した方法を使っている可能性が高まります。
これは一石二鳥の検証なのです。

ルート仮説

当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

人間はルートを覚えていることが多いのではないか?
そんなことから生まれた仮説です。

今現在多大なサンスコストを払っている対文章式記憶術の延命活動に必死になっているわけですが、前のブログでも書いたように、今まで意味とパーツの対応をイメージして来ました。
でも、最近は意味と場所や空間の対応をイメージする記憶術を開発し始めました。
その中で思ったのが、人間ってルートを結構覚えていることが多いよな、ということです。

その中でルート仮説が生まれました。
ルート仮説というのは、例えば自宅から近くの公園までのルートをイメージして、その真ん中辺りに何かしらのイメージを据える感じです。
この方法で出てくるイメージは、例えば自宅から近くの公園までであれば、公園に行って穴掘りをして遊ぶための服装をする、と言ったヒントをイメージ上で作り上げます。

さて、この方法の最大の肝はそこではありません。
この方法の最大の肝は、自宅から近くの公園までのルートをイメージの中で直接的な道を勝手に作ってしまうことです。
そうつまり、この方法をとると、イメージの中で道が多岐に渡って存在している状態になります。

道の作り方は間にある家をぶっ潰して、貫通させて道を通す方法もありますし、空に向かって道を開設したり、地下に潜る道を開設したりする方法もあります。
これらの方法で道を作ってみたらどうなるのか?
これが近々のボブの課題です。