対文章式記憶術ちゃんのトランプ記憶の実験経過

対文章式記憶術ちゃん(以下対文ちゃん)「今日はお腹いっぱい!もう記憶できない!」
ボブ「そんなこと言わず、、そんな間を空けたらトランプ記憶の成績下がるから。。。」
対文ちゃん「同じもん何個も食えるか!ボケ!」
ボブ「同じものじゃなければいいの?」
対文ちゃん「貴様の作ってくるイメージは新鮮じゃないんじゃい!」
ボブ「じゃあ、じゃあ、これはどう!」
対文ちゃん「全部新鮮じゃないじゃん!一部だけ新鮮にしても食えるか!ホントッセンスねーなー!」
ボブ「そんなじゃあ、全部新鮮だよ!これならどうよ!」
対文ちゃん「食べて進ぜる(ガツガツ」

今日はこのような状態でした。
対文章式記憶術ちゃんが途中へそを曲げてしまって、全然記憶できなくなってました。
たったの16枚ぐらいなのに10枚ミスってしまいました。
このような現象は文章を覚えていく際にもよく起きる現象なので気を付けてください。

なぜこのような状態になるのか?
これにはボブなりの仮説があり、たぶんイメージの作りが「いつもと同じ」であることに起因すると思われます。
これをボブはメモリーアスリートがいう場所に現れる「ゴースト」に対して、イメージの形の「残像」と呼んでいます。
この残像現象自体はたぶん普通の記憶術でもあるのでしょうが、普通の記憶術の場合イメージ自体の新奇性がなくなっても新しい「場所を使うこと」でこれに対処していると思われます。
ということは一番簡単なのは対文章式記憶術ちゃんを使っても、新しい場所を使うことでこの問題は解決されるでしょう。
ただボブは対文章式記憶術のコンセプトに脱場所法を掲げているので、あまりこのような方法を使いたくありません。

そこで対文章式記憶術では、パーツのイメージの“解釈を定期的に変更する”ことを推奨しています。
具体的な例では
〇〇〇
というパーツがあった場合、ボブはいつもはこれを「横棒」というイメージの解釈をしてますが、その解釈をいったん辞めて、「横に伸びる水溜まり」と解釈します。
これが“解釈の変更”です。
この解釈の変更は個人の自由で変更してもらって構いません。
直感的にこのパーツの形はこれに似ている!というようにテキトウでいいのです。
ただしあまりにもパーツの形とかけ離れていると、何のパーツだったか忘れる可能性があります。
それでもそのかけ離れた形でいいという人は、ボブは止めません。
結局思い出せればなんでもいいのです!

さらに“定期的”に解釈を変更する理由としては、常に違う解釈をし直さないといけないということではないからです。
大体残像が出てくると、何か知らんけど全然覚えれなくなるということが自覚されます。
この自覚はサンプル数1のボブには、結構顕著なのですぐに気づくだろうと思っています。
気づいたらそのとき、解釈を変更すればいいのではないか?と今のところ思っているので、定期的と書かせていただきました。
(ボブの場合、本当に全然覚えれる量とかが違ってくるので、自覚しやすいです。みんなそうかはわかりませんが汗)

ここで注意したいのが、一部のパーツのイメージだけ新奇にすればいいのではなく、全部を変える必要がある、ということです。
どうもトランプ記憶の場合、一部のパーツだけ新奇にしても全然覚えれる量が変わりません。
なので、トランプ記憶と同じなのかはわかりませんが、文章を覚える際は全部変更した方がいいでしょう。

あとは皆さんが心配しているであろうスピードが落ちるのではないか?という懸念ですが、たぶん解釈の変更をしなければもっとスピードは速いでしょう。
でも解釈の変更を慣れれば、「一発で」覚えれるようになるので総合的にはむしろ解釈の変更をした方が今のところタイムは縮んでいます。

さて最後に最大の注意として、どうせならば場所法と併用しようぜ!ということを言っておきます。
トランプ記憶で実践しまくっていると、一括で想起できる量は少ないことに気づきます。
たぶん一括でイメージできるトランプの枚数は3~5枚程度です。
これは厳密に一つのイメージにしたときにイメージが一つだと思える量と同じです。
6枚以上の枚数になるとその厳密に一つのイメージだと思えるイメージに付属物がやいのやいのとくっつきます。
そうすると、その付属物はなかなか一括では想起できません。
逐次的に想起していくことはできます。
が、一括では想起できなくなります。
場所法で場所をたどるのは、速さが命です。
ですので、一括で想起できないイメージは場所をたどるのが速すぎると繰り返すことができません。
なので一括で想起できる量だけを置いて、あとは次の場所を頼るようにするのがベストでしょう。

これが今のトランプ記憶の実験をしてて思ったことです。以上!

オーソドックススタイル記憶術の強力な場所法

まずはこちらの記事をご覧ください。

私が思う個人的に覚えやすい場所 | BSAマガジン (brainsportsacademy.net)

こちらは小林瞭氏による場所法を作る際の注意点などが書かれた記事です。

私はこれを参考に仮説を作りました。

それはどういう仮説か?というと、この記事で出てくる自己の感覚上優秀な場所ベスト5の中で語られている「運動を伴った上で経験し、頭の中にインプットした場所が“強い”場所になりやすい一つの要因なのではないか」というものです。
例えば私の場合柔術を習っているのですが、この柔術の練習をしているスポーツジムが強い場所になる可能性が高いという推測が成り立ちます。

これには科学的な根拠があり、運動しながら記憶した場合、その記憶成績は運動を伴わないで記憶した場所より高かったというものがあります。
この根拠より運動を伴ったために、場所も鮮明に記憶することができた、と考えられます。

ここからは私の妄想ですが、日々習慣化するぐらいに運動をその一定の場所で行うとその場所を場所法として利用した際に無意識に運動感覚も思い出しているのではないか、とも妄想しています。

また上述の根拠よりインプットする際にも軽く運動感覚のイメージを持ちながらインプットし、想起の際にその運動感覚も手がかりにするという覚え方がよいのではないか、とも考えています。

上述の方法のどれもがベーシックな記憶術でも使える方法なので、よかったらこの仮説的方法たちも使ってみてください(有効なのかはわからないです)

高必要性による自伝的記憶力の強化

ワイ「あーいい天気ー!」
スキピ夫「そうですネ!」
???「ゴーファイ!!」
後ろを振り返るワイとスキピ夫。

スキピ夫「ミニ四駆やん!」
ワイ「はっ??なぜゴーファイ??なんか混ざっている気がする」
???「イッケー、粉々にしろー!」
ワイ「なんか物騒なこと言っとるー」
???「どうしたー!肉まんの方が粉々に~~~!!」
ワイ「あの人ミニ四駆に肉まんって名付けっているんだが」
???「助けてください!!」

ワイ「なんかセカチューのパロ、一人でやっている危ないヤツがいるんだが。。。関わらんどこ」
スキピ夫「俺のこの手が光って唸る!お前を助けろと轟叫ぶ!!」
ワイ「なんかスイッチ入ってますー??もしもーし??」
スキピ夫「大丈夫!私が来た!!」
???「お~!オールピーーーー!!」
スキピ夫「私の部品でその肉まん、、何とかしよう!タクミくん!!」
ワイ「部品??タクミ??何を言い出しているの?」

スキピ夫「ワイには黙っていたが、私は実はロボットだったんだ!」
ワイ「ロボット??」
スキピ夫「私の全部品でこのミニ四駆を直っす!全身全霊で!命をかけて!」
ワイ「白熱しているところ申し訳ない!ミニ四駆に命かける必要ある?」
スキピ夫「タクミくん、、、今直す!」
ワイ「そのタクミってお前が勝手に言い出してるんだけど、、何?」
スキピ夫「丸い顔、つまりタクミってことだよ。。」
ワイ「謝って来い!それ!!」

スキピ夫「それはそうと部品をドンドン移植して行こう!輸血しないと!!メス!!」
ワイ「輸血ってオイルだし、メスとかドライバーだし、自分を解体しているし」
スキピ夫「ちょっと雑に扱わないで、その部品一個一個に感覚があるの!!」
ワイ「感覚あるの!?機械なの?生物なの?どっち??」
スキピ夫「私が子供の頃の夢は人の記憶に残るような人になることだった。。。今まさにこのミニ四駆の記憶に。。」
ワイ「ロボットだったら子供の頃ないよね!しかもミニ四駆って記憶しないから!!夢破れちゃうから!!」

スキピ夫「意識が飛びそうだー!何か自分を低い位置から見ている感じがする!!」
ワイ「まって!それミニ四駆に意識移って来てるから!たぶんハガレンの人体錬成の失敗で弟が見た景色と同じことになってるから!!」
???「ありがとう涙。こんな自分を犠牲にしてまでも僕のミニ四駆を助けてくれて!」
ワイ「スキピ夫ヤバいことになっているんで、今お礼言われても!!」
???「僕には返せるものが、顔しかないんだ!お礼にどうぞ!!」
スキピ夫「タクミ君、いくらタクミだからってそんな煙突から出て、絶対すすで汚れているようなパン。しかも賞味期限がわからないパン。大きすぎて中まで火が生通っていないんじゃないか疑われるようなパンをマネして出さなくっていいんだよ。。グフ!」
ワイ「待ってこの人別の涙がこみ上げてきているよ!もしかしてこの人アンパンの人じゃないの??」
???「涙」

こうしてタクミは泣きながら去っていった。
ミニ四駆を置いたままで。。

今日の学び

今回の学びは、自己が存在している記憶、つまり自伝的記憶では自己に必要性がない場合、記憶から忘れ去られる運命にあるということです。
よって、自己の存在が必ず必要な状態を作ることが自伝的記憶にするための第一歩だと考えます。

加えてボブは対文章式記憶術の感覚化という命題もクリアしたいと考えています。
そこで出てくるのが感覚刀痕術です。
これを応用すれば情報の感覚化は思うがままです。
本当は認知したときの感覚を基に感覚化をしたいのですが、認知の感覚って必ずしも一定ではないんですよね。
そこで筋肉などの運動感覚を基にして感覚化を作り出そうと考えました。

しかし自己イメージに感覚刀痕術を応用すればいいというのは早計です。
なぜならもし自己イメージに感覚刀痕術を応用した場合、自己イメージの中だけで完結してしまいます。
ようするに外界の情報が全くいらない状態になります
それだと記憶の情報としては弱いし、応用も利かなくなります。

そこで今回の学びです。
つまりあなたも私もスキピ夫になれ!ということです。
彼がしたように部品を自身の肉体から摘出してくるイメージをすると、感覚も残る上、摘出した部分が穴になり肉体的なイメージも持つことになります。
さらにその自身の肉体から摘出してきた部品を外界で組み合わせることで、モノのイメージとしても残ります。

こうすることが、今のボブが考えた自己イメージと外界のイメージを最も“自然に”関連付ける方法だと思っています。

1000個の情報を30個の情報に圧縮する技術

対文章式記憶術では無理ゲー扱いしてきた1000個規模の情報をわずか30個の情報を覚えることで足らす方法をボブは思いつきました。
対文章式記憶術でも5個の情報を1個の情報に置き換えることを目指しましたが、今回はその比ではありません。
なんせ記憶効率が桁違いです。
まだ思いついたという段階で実証はしていませんが、たぶんできるでしょう!と思っています。

その説明にはまず前の記事で紹介した連想数に関わる問題の説明が必要だと思います。
連想数とはリンゴ→ミカン→バナナという連想があるとします。
リンゴを1、ミカンを2、バナナを3として連想した内容ではなく、連想した数についてのみに注目したのが連想数です。
そして前の記事では連想数を使えば、数に情報を対応させることで様々な文章も記憶できるようになるんじゃないか、とのたまったわけです。

でも昔のボブはどういうわけか、この連想数を使おうとしていなかったのです。
なぜか?は今日考えてたら判明しました。
それは連想数に単語などを対応させて、連想数でその単語を表現するよりも、普通にソロバンの数珠などを使って数を表した方がかなり合理的だということがわかりました。
そういえば昔のボブも同じことを考えて、連想数をお蔵入りさせていたなと思い出したしだいです。

では連想数は何にも使えないのか?と思って今日は考えていました。

すると連想数の足し算や掛け算ができることに気づきました。
足し算は普通に連想同士をつなげればいいとして、掛け算をどうするか?を考えていたら、2×2の行列マス(表)を掛け算に対応させるという思いつきにいたりました。

つまり行にリンゴ、ミカン、列にメロン、バナナと配置して、その連想したリンゴからミカン掛けるメロンからバナナへの連想をした結果として2×2のマス目という形で対応させようと考えました。
このマス目にはリンゴとメロンから連想できるモノAを配置し、同様にリンゴとバナナやミカンとメロンやミカンとバナナの各対応から連想できるモノをイメージしていきます。

そんなことを考えていたら、この掛け算ってもっと重大なことができることに気づきました。

2×2だと4マスができ、要素の数も4つで全然おいしい話ではないのですが、3×3だと9マスに対して要素の個数6個で少し得をします。
では4×4だと16マスできるのに対して要素の個数は8個でおいしい話になっていきます。
なので、10×10であればマスの数は100マスなのに要素の個数は20個です。

ここで要素って何と思うかもしれません。
ここでボブが使っている要素とは、(スマホだと崩れるかもしれない情報です)
  A列  B列
C行リンゴ ミカン
D行メロン バナナ

という2×2の表があったとき、A列、B列やC行、D行に入る共通項のことです。
共通項とはリンゴ、メロンだったら茎がある、といったことでこの場合はA列の所に「茎がある」と入ります。

このように16個の情報があったら、まず4×4の行列マスに置いて、そこから共通項を行列的にみて導き、その共通項だけを覚えるというものがあります。
4×4であれば共通項は8個だけになり、覚えている量を減らせます。

タイトル回収です。
10×10×10の行列マスを創れば、1000個の情報を覚えるのにわずか30個の情報を覚えるだけで済みます。
これがタイトルのカラクリです。

この30個の情報を連想数で覚えるのはどうかと思っているしだいです。

最速の記憶術開発プロジェクト

どんなことも記憶できるような最速の記憶術はかなり困難だが、メモリースポーツなどに利用できるような最速の記憶術はできるかもしれないという話。
そもそもどんな対象でも記憶できる可能性はかなり低いように思う。
サヴァン症候群の人たちが持つような驚異的な記憶力は、ある“特定分野”に対して強く出ることが多い。
これは記憶術的に言えば、「変換表」のシステムが特定の分野のみに特化して変換できるような組み立てをすることが多いから、他の分野では応用が利かないのではないかと言える。
まあ記憶術的にってところがミソで、記憶術的な方法をとっていない場合はこの限りではないのだが。。。

そんなこんなで、特定の分野や情報に対してなら、特定の変換ルールを用いることで高速で記憶できるようになると考えている。
がしかし、ここで目指すのは最速の記憶術であり、訓練を要するような記憶術ではないことを強調したい。
訓練をあまり要さずに最速にできる記憶術があれば、はっきり言って普通の記憶術は必要なくなる、、、と思う(たぶん)

さー最速の記憶術を考えよう!となったときに皆さんだったらいったい何を使うだろうか?
ボブがガシガシ考えたのがトポス型記憶術だった。
これが最速の記憶術であろうとボブは思っていたが、たぶんもっと最速にできる。

最近の基礎研究から直感と連想とすでに記憶していることなどなど(他にもあるかもしれないので、などなどとしている)が、実際出力する情報を自由にランダムにしていい場合に限り、凄まじい速度で出力できることがわかった。
ただこのランダムさは入力した情報を再現するときに都合が悪い。
なぜなら必ず特定の情報を出力するとは限らなくなるからだ。

ここで最速でできる情報を表す方法がある。
それは視点移動だ。
これはボブの中で最速だと思っている。
もし直感と連想で視点移動して、それで特定の情報を表せた場合、間違いなく最速の記憶術の可能性が高い。
イメージの切り替えをすることもなく、モノのイメージに依存することがない。
まさに最速の記憶術ではないだろうか。

ただこの方法は52枚のトランプを覚えることはできるかもしれないが、大量に覚えて長期記憶にするのは難しい。
なぜなら大量に覚えた際の干渉には耐えないと考えるからだ。
あくまで少量の限られた分野のみに対応する方法だとボブは今のところ思っている。

直感的記憶術の威力

直感と連想の違いは、直感の方が「先入観」といったほかの要素が混ざっている。
でも今のところほぼ直感と連想同じようなものと考えている。

さて前の記事で連想って一回で出力する情報量を大きくできるかもしれない、と述べた。
つまり通常連想という言葉を聞くと、大体の人が単語から別の単語を想起することを思い浮かべるが、別に大量の情報からまた別の大量の情報を想起してもできないことはないことに気づくかもしれない。

これはようするに一回の出力でも直感的でありさえすれば、大量の情報を一回で出力できることを意味する。
これを何に利用するかはまだ考えていない。
が、大量の情報を一回で出力できるようになると、連想でつなげられるイメージの量が格段に上がる。

例えば今までは「リンゴ」から「ミカン」へと単語から単語へ連想していた。
この方法だと想起するときの問題で「リンゴ」から「ミカン」「ナシ」「スイカ」「バタコさん」と連想していくと「リンゴ」から「ミカン」や「ナシ」を想起するときに、必ずしも全ての単語を思い出せなかった。
これはリンゴの特徴から次の連想の特徴を思い出しているからで、リンゴの特徴を使い回しすぎた結果、連想した全ての単語にはアクセスできないからだ。

これが大量の情報から大量の情報へと連想できる場合、結果が変わってくる。
例えば「喫茶店」から「コップ」「氷」「お茶」へ連想が成り立つ場合、喫茶店には様々な特徴があるため、それらの様々な特徴をそれぞれの単語に割り当てていくことができる。
そのため単語にアクセスできる可能性が上がる。

こんな良いこと尽くめな連想だが、これを応用しているのが記憶術だと思っていい。
ここでボブが改めて思ったのが、「連想」と「想起」の違いって何?ということ。

連想は連想元があり、連想先はランダムで大量の情報を出力することができ、自由で速く、拡散的な出力だ。
それに対して、想起は想起元は必ずしもなく、想起先は意図的で特定のモノや出来事を少量出力することが多く、収束的な出力だ。

こんな分類をしたが、そんなに簡単に連想と想起を切り分けることはできないようだ。

だがボブは思う。
思い出すという作業は収束的思考の一種だが、どう考えても連想のように拡散的に思考する方が苦になりにくい気がするし、大量の情報を思い出せる。
そこで全ての想起現象を連想的にした仕組みを作るといいのではないか?と考えている。

連想はなぜ対称性バイアスを持つのか?

ボブが「対想」と呼んでいる現象がある。
対想とは直感的な連想をしたときに、例えばリンゴ⇒丸いは連想しているので成り立つことはわかる。
しかし丸い→リンゴは必ずしも想起できないことがわかるだろうか?
リンゴ⇒丸いは連想したことによって次回も連想すれば成り立つこともあるだろうことが予想される。
が、丸い→リンゴは意識的に丸い→リンゴという想起をしたならわかる。
でも普通しない。
たぶん事前にテストして、丸いから連想されるものをいくつか書き出してもらったとしても、最初にリンゴが来る可能性少ない。
それなのにリンゴ⇒丸いを連想させた後に、丸いから想起される(あるいは連想される)ものは何か?と問われれば、最初にリンゴを思い浮かべる人が多くなるのではないか?とにらんている。
これが情報が対のように成り立つ想起、つまり対想だ。

この対想は連想の性質であるように思う。
つまり連想はその人が前持って得た予備知識や事前情報に左右されるということ。
また連想自体が子どものときの言語習得能力を支える一つの柱である可能性がある、と思っている。
その理由として子どもの言語習得時の対称性バイアスが対想のシステムに似ているから。
対称性バイアスとは、「リンゴ」というイメージや物をみせて、これは「りんご」だよ!と学習したときに起きる現象。
普通、リンゴのイメージ→りんごの音というように学習した場合、りんごの音→リンゴのイメージというような学習をしない限り、逆の対応付けは学習しない。
しかし子どもはリンゴのイメージ→りんごの音を学習するとりんごの音→リンゴのイメージというのも勝手に学習してしまう。
このことを対称性バイアスと呼んでいる。
これはボブが作った言葉ではなく、ちゃんとした心理学用語だ。

これは非常に連想の対想現象によく似ている。
もしかしたら、子どもが対称性バイアスを持つのは、連想の対想現象を利用しているからではなかろうか。

子どもは大人のように、情報の一部分を切り取って来て連想することはできないのではないか。
そう考えると子どもは情報の塊ごと思い出していると考えられる。
連想するときもりんごの音→リンゴのイメージを「りんごの音が存在している状況→リンゴの物が存在している状況」を連想しているのではないか。
そう考えている。

そう考えると連想ってもしかして単語や単語に沿った単一のイメージばかりに起こるのではなく、大量の情報を含んだ情報の群れでも起こるのではないか、という希望の光が見える。

自己イメージと超自伝的記憶力

これはTwitter上で先行的に核となるアイデアを載せた。
これは記憶術に関しての様々なアイデアを作る際に、どうもこのアイデアだけはついて回るな~と思うアイデアの一つで、たぶんかなり重要だと思っている。
そのアイデアというのが自己イメージだ。

自己イメージとは心理学などで用いられるセルフイメージといった、自分に対する自己の評価などのことではない。
ボブがここで使っている意味は、単純にイメージの世界での自分のイメージのことで、割と複雑性のないことだ。
この自己イメージは今日あったことなど、直近の自己が感じた体験について回るイメージ。
でも大昔のことになると、そこに自己イメージが存在していることは少ない。
確かに自己の体験とした日常のイメージであっても、ダンダンと自己のイメージは省略されて思い出すようになる。
これがなぜかは知らないが、自伝的な記憶であってもそこに自己のイメージが存在しているわけではない。

この自己のイメージが何故必要なのか?を考えていくと超自伝的記憶力、つまりHSAMの人たちや偉大なる記憶力の物語で登場するSことソロモンシェレシェフスキーという人物に行き当たる。
彼らの話を調べるとどうも自己のイメージがイメージの世界で確実に存在していることがわかる。

ボブの考える理論的な話をしよう。
まず記憶術というのは、情報として“安定的”な情報を使っている節がある。
この安定的とは記銘した情報が想起時も高い確率で想起できるという意味程度の語句だと思ってほしい。
例をいえば、直感的なイメージに変換するというものがある
この直感的というのが大事で、論理をこねくり回して変換した場合と比較されることがある
論理をこねくり回した方は、想起時に想起できる可能性が少ないが、直感的に変換した場合、記銘時の変換がそのまま想起時にも想起できること多いという経験則が成り立つ。
他にも場所法はいったん場所を記憶することで、想起時の安定性を保っていることからもわかる。

この安定的な情報の一つが自己のイメージ。
自己のイメージは意識しないと記銘しにくいというたぐいのものだが、意識すればどんな情報にも付随させることができ、情報としても安定的な情報の一つだ。
この安定的な情報の一つであるという点が、記憶力の強化に必要だと考える理由の一つだ。

しかし考えてほしい。
なぜ自己のイメージが消えて行ってしまうのか?
反対にHSAMの人たちはなぜ自己のイメージを長期に渡り記憶していられるのか?
これには実証された見解はない。
だがボブは一つの仮説を持っている。

その仮説とは「想起時に必ず自己のイメージから、その周辺の情報にアクセスしているからではないか」というものだ。
つまり一般的な人たちは“直接的に”思い出したい対象を思い出しているのに対して、HSAMの人たちは“間接的に”思い出したい対象を思い出しているのではないか、ということだ。
この間接的にというのは、HSAMの人たちはまずその思い出したい対象を記憶した時点の“自己イメージ”を思い出し、次にその自己のイメージに付随している思い出したい対象の情報を間接的に思い出しているのではないか、ということだ。

この方法論だと必ず自己のイメージを経由して、対象を思い出しているので復習の際自己のイメージも復習され、自己のイメージが消えにくくなると思われる。

だがしかし、謎なのは自己のイメージを付随させて想起している蓋然性(がいぜんせい)はボブは高いと思っているが、いったい自己のイメージの何を覚えているのか?がいまだにわからない。
HSAMの人たちは思い出した日の服装などは全く覚えていないことから、自己のイメージといっても全てを想起しているわけではないということがわかる。
また感情をその思い出した日のまま追体験するといっているところから、主観的な視点から体験を思い出していることがわかる。
これは主観的な視点で過去を思い出すと、感情が追体験され、第三者の視点で過去を思い出すと感情が追体験されにくいという研究から考えられることだ。

上述の理由で自己のイメージはかなり重要だと思われるが、この方法を使うのはまだまだ工夫が必要かもしれない。

情報を減少させるということ

記憶術を使っているとあまり意識していないかもしれないですが、情報数が減少しています。
これは細かく説明するとメンドーなので、記憶術を使うと情報が減少すると考えてもらっていいです。

実は記憶していることで情報数を減少させられると、かなりお得です。
これは昔「神の記憶術」というシリーズで述べました。
なぜ情報数が減少するといいのか?というと、例えば「リンゴ」というイメージを一つ覚えるだけで、「ニュートンが重力を発見する」という文章を覚えれるとかなりお得ですよね。
これが情報数が減少している簡単な例です。

これを全ての単語で行いたいと考えます。
これが対文章式記憶術のパーツ化であり、まとめ、一つのイメージに見立てるというものです。
これはボブにとっては出来損ないです。
本当はパーツなんかの切れ目がない一つのイメージが大量の情報を含んでいる、という状態にしたいのです。

そんなこんなをしていたら、生まれつつあるのがイメージの解釈抽出法です。
この方法の基礎理論は、一つのイメージであっても、それを言葉で説明した場合、大量の言葉の情報を必要とするということからです。
例えば「リンゴ」という一つのイメージであっても、「赤くて、甘くて、ちょっと酸っぱい果実で、少し丸みを帯びていて、ハートのようになっていて、、、」というようにいくらでも言葉が出てきます。
これは言葉が実際のモノのイメージを記述するにはざる過ぎるためなのかもしれません。

これは簡単に言えば、一つのイメージから無限に言葉の情報を増加させることができます。
もっと細かく写実的に記述していけば、情報が爆発するでしょう。

さて情報を爆発させるのはいいとして、これをどう記憶力を上げることに使うか?です。
膨大な情報にしていけば、例えば文章でも特定の語に近い語を見つけられるかもしれない。
色々考えた結果、「連想」「記述」「経験」「知識」によって特定の情報を引き出すことにした。

連想はまあそのまま連想していくこと。
記述は上述のように写実的にイメージを言葉で記述していくことで情報量を増加させること。
経験は経験したことから情報量を増加さていくこと。
知識はそのままで経験に似ているが、本などによって得た情報によって情報量を増加させること。

これらによって情報を爆発させていくことにしました。
今のところ爆発させれば、特定の情報もついてくるんじゃね?という予想でやっています。
どうやって他の情報と差を付けるのかは謎なところがありますが、何とかなるでしょう。

対文章式記憶術の最新戦術

対文章式記憶術についてはこのサイトのトップページで説明しています。

最新戦術は2個あります。
一つは「規則的情報変化」
もう一つは「パーツ巡り」

規則的情報変化とは簡単に言えばパーツの一部を少し加工して同じパーツ同士で被らないようにしようというものです。
当然干渉も起きないです。
これを規則的に加工をすることで、少ししか覚えなくてもよくするという工夫が入っています。
だから規則的情報変化という名前がついています。

もう一つのパーツ巡りは、規則的情報変化を前提として、被らなくなったパーツを使って、そのパーツを場所として利用しようというものです。
なぜそんなことを思いついたのか、というと、見立てまでやったパーツを巡る際、かなり高速でパーツを巡ることができるからです。
これを場所の代わりに使ったら、場所法を熟練していない人でも高速で場所巡りと同じことができるのではないか、と考えました。

これを完全に機能させるためにはまだまだ工夫が必要になります。
どのような工夫が必要かということを問題として捉えた場合、2つの問題があります。

①規則的情報変化で付加する情報は一体どのようなものにしたらいいか?という問題です
②パーツを場所として利用する場合、どのような内容のパーツを場所として利用したらいいのか?という問題です。

①はどのような情報だったら、情報の増加の影響を最小限にできるか?ということがネックです。
情報の増加は様々なところで述べておりますが、自分の記憶容量の限界値が100だとすると、普通の記憶術では一つのイメージにつき、10使うと仮定します。
そうすると容量100÷1イメージあたり消費10なので10個のイメージを覚えれます。
それに対して1イメージあたりの情報を増加させた場合、思い出しやすさも2倍高くなりますが、1イメージにつき20の容量を消費すると仮定します。
すると容量100÷1イメージあたり消費20なので全体として5個のイメージしか覚えられなくなります。
これが情報の増加の悪影響です。

この悪影響だけを取り除くあるいは最小限に抑えるのが必須事項となります。

②は文章の冒頭や題名、題目などを対文章式記憶術でイメージ化し、場所として利用してもいいのですが、どうせなら文章の構造などをパーツ化し、それを場所として利用したいのです。

なぜ目次などに載っている小見出しなどだとダメか?というと、小見出しなどをイメージ化したとき、そのイメージに含まれているパーツの数が、必ずしもその小見出し全ての文章を乗っけるほどの数ではない可能性があるからです。

これらの問題をクリアしたい!
というかしないとあまり使えない記憶術の気がします。