統合と展開の実践上の問題点(つぶやき)

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民法で統合と展開を実践してみようと考えて、さあやろうとしていたら、何と民法だと文章とか定覚える場合にしか出てこないことに気づきました。
しかも定義覚えるにしても、実際単語を覚えておくことで大体足りることが多かったのです。
単語単位だとどう考えても展開することが難しかったです。

ちなみに統合と展開というのは、統合が対文章式記憶術で作ったパーツを組み合わせて、統合したイメージのことです。
もう一つが展開で、理解したイメージの特徴をパーツを広げて、パッと見でわかるように並べたものという感じで理解してください。
今、この展開を取り入れようと四苦八苦している状態です。

どう考えても理解したイメージや文章の構造というものがいらない状態なので、使いようがない。
これは「単語の展開問題」として登録しなくては!

統合と展開の結びつき(つぶやき)

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対文章式記憶術にはパーツを組単位でバラバラに展開して、そのパーツの組に理解したイメージの特徴を反映させるという過程を入れようという試みをたいぶ前からやっている。
つまり理解したイメージを対文章式記憶術に取り入れようという考えだ。

しかしそうすると展開したイメージと統合したイメージの両者が出来てしまう。
そうすると完璧に手順が煩雑化する。
その上、その展開したイメージと統合したイメージの両者の結びつきに関しても不安定になってしまう。

さらに抽象的な文章に対しては、その文章の構造しか描けないので、必ずしも一見して理解することができない。

色々な問題があるのだが、上手く行く方法を模索中。

問題をまとめると
①二重記述問題
②手続きの煩雑化問題
③統合と展開の結びつき問題
④抽象文に対する理解的特徴とは何か?の問題

対文章式記憶術とテストの合成

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セルフレクチャーテストという名前でブログを書いているのですが、その中で最も革命的だったのが、テストの質問を覚えることで目的となる情報を出力できるようにするというものでした。

実際問題これは運用をまだほとんどしていない方法です。
ですので、効果も効果見込みということで、実証していません。
その大きな理由として挙げられるのが、対文章式記憶術との合成が上手くいかないからというものがあります。

ボブは対文章式記憶術を主に使って、勉強などの記憶をしています。
そのためテスト形式化すると手順が煩雑化して、スピードが落ちますし、何より混乱します。

そこでテスト形式の情報をどう煩雑にならないようにするか?という問題が出ています。
解決するために一番有力であろう情報は、場所に関する情報の何かに使うことです。
そうすれば解決できると思うのですが、何分場所はカテゴリー化も推し進めている最中なので、これまた折衷案を考えなければならない状態です。

長編物語法攻略法③

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対文章式記憶術において描いてない情報は何か?
それは理解した場合のイメージとイメージの位置やイメージとイメージの関係だとボブは思いました。
特にイメージとイメージの関係性の情報は皆無です。
なぜなら対文章式記憶術は、「まとまりの良さ」こそが最強だと思い、それが機能するように工夫されてきたからです。

それでは、そのようなイメージとイメージの関係性をどのように実現したらいいでしょうか?
これはなかなか歯ごたえのある問題だと思います。
普通の関連付けでさえ、対文章式記憶術のパーツというイメージの間では存在し得ないからです。

順序関係も切り捨てられていますし、イメージとイメージの関連性も切り捨てられている。
正確にはイメージとイメージの関係を「組み合わせる」という関係性一択にしていると言えます。
また「見立てる」ことや「見出す」ことは、「=化」という関連付け方の拡張でしかありません。
=化とは、語呂合わせなどで作った語を、イコール、これは何か?という操作をすることでイメージに仕立てることで、普通の記憶術でも行われていることです。

ボブはその中でも情報同士の“作用関係”に着目することにしました。
つまり「料理をしている人がいる」というイメージであれば、「料理する」という行為に着目するということです。
さらに「いる」ということも作用なので、着目します。
帰納法などであれば、その帰納法の作用の仕方に着目しようと思います。

問題はどのようにそれを記述するか?
つまりどのようにそれを視覚的情報として表すか?ということが問題です。
作用特有の何かがないと難しい気がします。
またパーツで表すのは芸がない気がするのです。

大統一理論《記憶術版》

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前の方のブログで人や物などのイメージの仕方と場所をイメージする仕方を統一することに成功した。
使ってみた感じも上々だった。

そこで思ったのが、物理学には大統一理論という電磁気力、弱い力、強い力、重力という自然界に存在する4つの力を統一しようという機運がある。
それを記憶術でもできるようにしようと考えたのが、記憶術版の大統一理論だ。

記憶術は今発見されている働きとして大きく分けて4つの働きがある。
1つが、人や物などで何をイメージするか?
2つ目が、イメージ同士をどう関連付けるか?
3つ目が、どういう場所をイメージするか?
最後が、どう復習するか?

この中で統一するのが難しいと思われるのは、復習だろう。
一つだけ毛並みが違う。
1から3が全部記銘時のことなのに復習は想起時のことだという違いは大きな違いだろう。

さて、前のブログでは対文章式記憶術のパーツを場所や部屋などに転換することで、人や物などのイメージ以上に場所に近いイメージとして記憶に残せるようになった。
つまり1と3の統合だ。

次に統合したいと考えるのは関連付けだろう。
関連付け自体大体が行為や概念による括りなどだから、イメージではないことが多い。
その点をどうクリアしていくのかが問題となる。

個人的には対文章式記憶術のパーツ同士にも有効な関連付けの開発の方が先にできないのかと考えてしまう。
つまり、対文章式記憶術のパーツを組み合わせるという芸当は、単にイメージをブロックと同じ原理で、組み合わせる、ようするに接触、あるいは一つの見立てるイメージの形に空間上で配置するだけだからだ。
ここにはまだ関連付けるという余裕がある。

それはそうともしかしたら、関連付けまで統合できると、記憶力が爆上がりするかもしれない。
そうでないかもしれない。
やってみないとわかりません!

場所法の不思議(主観的視点)

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場所をイメージしているときによく言われるのが、自分の見ている視点を俯瞰視点ではなく、主観的視点にするとよいというのを聞く。
しかしボブはバカなので、そんなのガン無視して自己を斜め真上の所から俯瞰している状況をイメージするように“わざ”としましたw。

結果はやはり通説の通りでした。
俯瞰しているような視点だと場所に配置したイメージが消えやすいという感覚がありました。

ここで不思議なのが、主観的視点になるとなぜ有効に場所が機能し出すのか?という点です。
昔ボブは「自己介在性」という謎仮説を立てました。
でもそれなら、自分が完全に存在しているような客観的視点でも同じようなことが起きると思いますが、それはなかった。

そこで次の矢を用意しました。
それは自己を半透明化して、半透明な自分の少し後ろから主観的視点からみたり、俯瞰的視点からみたりを自由にできるようにしてみようと思いけり。

もし仮にこの場合の主観的視点が上手くいかない場合、それは自分が存在していることに問題があることになります。
反対に上手くいくようなら、主観的視点がそもそも効果の源泉ということになります。

さてどうなるだろう?

場所の比較思考実験

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場所さえも位置に依存している。
だから場所は最強の独立性を持っているのではないだろうか?
(依存は何か他の情報に依存しているとその情報が消えたとき、一斉に消える。一方独立していると一斉に消えることがない)
つまるところ一斉に忘却しない方法というのは、位置に依存した情報となる。

では、位置に依存した情報とは何ぞや?
例えば場所を細かく切り刻んでいく。
そうしていくと場所さえも床や壁や天井と言ったいくつかのパーツに分けられる。
しかし場所はパーツに分けてなお、一斉に忘却しない。
つまり位置によって情報を固めているからではないだろうか?
でも“構造”こそが場所の記憶には不可欠な要素だともボブは思っている。

例えば、天井や床をそれぞれ別々に見せて、これを覚えろと言われたとき、たぶん場所の要素だと言え、普通の人にはかなり覚えにくいだろうと思われる。
しかしいざ、それが部屋という四角い構造の中で使われている様子を覚えろ!となると普通の人でさえも強い記憶力を持つだろう。

つまりボブが今のところ場所の記憶力を支えているのは以下だ。
①位置の判定が可能な大雑把な大きさのあるもの
②わかりやすい構造
③情報量の多さ
④曖昧に覚えてていい情報

これが今のところの思考実験の成果。

場所は最強の独立性

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対文章式記憶術では一斉想起の副産物で一斉忘却という現象がしばしば見受けられます。
これは一つのパーツのイメージにその隣接したパーツのイメージが依存しているからだとボブは考えます。

ちなみに依存というのは、依存先のイメージが消えるとその依存しているイメージも一緒に消えることだと思ってください。
反対に独立という場合、独立しているイメージは他のイメージが消えても一緒に消えることがないということです。
例えるなら、「万歳した人」というイメージをした場合、万歳は人に依存していて、反対に人は独立していると言えます。
つまり人が消えると万歳まで消えますが、万歳が消えても人は存在し続けます。

パーツは相互に依存していると思われます。
そのため一斉忘却が起きます。
でも理想的にはパーツ一個一個が全て独立していることが望ましく、その上で一斉想起だけを性質として持つということをしたいのです。

そこでパーツ一個一個にも犬やリンゴと言った具体的イメージを与えることにしたり、パーツ一個一個を離して配置し、その上で見立てたり、見出したりすることにしました。

ここで一つ疑問なのが、位置に依存する力が大きくなると、そのパーツ一個一個にも独立性が生まれるということです。
また場所はイメージが消えたからと言って、場所が消えるわけではなく、かなり最強の独立性を持っていると言え、それがなぜなのかわかりません。

そのため以下の疑問が浮かびました。
場所を記憶から消すにはどうしたらいいのか?
全て場所の情報にできないのか?

です。

視覚と身体の結びつきは常にイコールなのか?

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IDというアニメを最近観まして、最初の方の話に場所がバラバラで、普通の人にはそのバラバラのままの場所として実体験するというシーンがあるのです。
が、謎の人物には例えばバラバラに切られた道があった場合、そこを普通に走って行って、まるでバラバラの道をつながった道をただ単に走っているような描写が存在します。

そこでボブは思いました。
場所法でも同じような性質を持たせたらどうなるのだろうか?と。。
つまり切り立った断崖を下から見上げているようなシーンをイメージして、ただ単に断崖の方に走って行って、断崖にぶつかりそうになったら、いきなり断崖の上に立っているというような状況を作れると思います。

ボブがここで言いたいのは、何もそのようなバラバラな場所を作れ、ということではありません。
簡単に言えば、視覚を無視して、身体的な感覚で世界を結び付けたらどうなるの?という話です。
例えば目の前にはリンゴがありますが、リンゴの遥か彼方には、バナナが存在しています。
そこでボブはリンゴを取ろうとしているのですが、リンゴに手を伸ばしたらバナナを取ってしまった、という身体的感覚も作れるわけです。
ようするに、身体的感覚と視覚的感覚をノットイコールで結ぶわけです。
すると、どうなるのでしょうか?という問いです。

もし仮に成功するとイメージの世界がより自由になると思います。
その上で、知的障害がある方で、超人的な記憶力がある方の一つの仮説にもなります。
その二つの意味はとても大きな利益だと思います。

ライブラリー家の理想

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ライブラリー化をした先の理想は、どのようなものだろうか?
そのことをあまり精確に考えていないことに気づきました。
そこで今回はライブラリー化した先で、このような利用を可能にしたいという理想について述べてきたいと思いました。

対文章式記憶術を使う前提で述べさせてもらいます。

対文章式記憶術では、偏ったイメージ、出現頻度の高いイメージというのが存在します。
しかしほとんどの場合、対文章式記憶術で作ったイメージというのは、全て“多少”の違いがあります。
その上、ほぼ間違いなくそのイメージは複雑になります。
ここは一個のイメージがどの程度のパーツで構成されるかによります。
でも大体複雑です。

そこでライブラリー化した過去のあらゆるパーツによるイメージの構成の仕方を使って、今現在目の前にある文章の情報を解釈しようと考えています。
つまり「あれ?これは昔みた○○○というパーツの構成に似ているな!だからこれは○○○との相違だけをみて記憶しておけばいい!」という感じで、ライブラリー化した情報を使いたいのです。
ようするに覚えたことの再利用をしたいのです。
そしてその覚えたことによって省エネしたいのです。

ボブメモ
プロトタイプイメージとその相違点の整理の仕方
ライブラリーから出力した際の表現方法