超検索能力を獲得する術(すべ)

前の方のブログでパーツを場所に使って、場所巡りならぬパーツ巡りをし、大量の情報の復習を高速で終わらせられる可能性があることを述べた。
今回はその後その実験がどうなったか?からその後の発展を述べることにする。

パーツ巡りとは対文章式記憶術のパーツを組み合わせ、それを何らかのイメージに見立てることから始まる。
復習の際、その見立てたイメージをパーツに分解して、パーツを巡る。
このパーツを巡る作業が実に高速でできることから、この高速さを使って、場所巡りのようなことができないのか?というアイデアから出発している。
普通場所巡り、つまり場所をたどってく作業を高速でするには、ある程度の熟練が必要ですぐにできるようなことではないらしい。
そこで初心者でも高速にたどれるパーツを巡るという作業がピックアップされた。

普通、イメージは他とのイメージの大きさのバランスを無意識にとってしまうので、モノのイメージを場所のように使うのは難しい。
しかしパーツ自体には大きさの決まりがないので、これを場所として利用しても大丈夫だと考えている。

そしてパーツを場所のようにモノのイメージを置いて使ってみた。
結果はパーツにモノのイメージを置いてもいちおう効果があった。
またパーツ巡りの効果もそれなりに安定して働いた。

ここからが今日の話。

一日経ってパーツ巡りをしたら、全てではないにしろモノのイメージが消えていた。
さらに二日経って、そのモノのイメージも対文章式記憶術でパーツを組み合わせて、見立てたイメージだったので、ちゃんと文章に戻せるかを実験してみた。
(なぜ一日経ったときに、文章に戻せるのかしなかったのかは謎。ボブの脳みそがバグってた)
すると、これも全てではないにしろ壊滅していた。
これが普通の記憶術でも同じくらいの忘却なのか、これを知るすべがないので次回からは対文章式記憶術で作ったイメージに加えて、普通の記憶術で作ったイメージで場所に置いたものを用意しておこうと思った。

それはそうとして、パーツを場所に使う際に困ったことが起きることを再認識した。

それはパーツを場所に使うと、同じ形がいっぱい出た場合に干渉を避けることができないことだ。
いくら見立てたイメージであって、色や質感が違うイメージを作ったとしても、大枠の形が同じだと干渉は不可避だと思われる。

そのためパーツにちょっとした細工をする必要があることがわかった。
それがパーツの変化を規則的に与えるというものだ。
例えば色を規則的に変化させ、同じパーツ一個一個を識別できるようにすることなどがこれにあたる。
だが色のみの変化で果たして干渉を防ぐことができるのか?
また対文章式記憶術のパーツでは見立てることをするので、色だと見立てた際に全然反映されないイメージをする可能性があるし、だからといって色に配慮した見立てなどしたらプロトタイプのイメージとほど遠くなり想起が困難になる。
その点から考えるに規則的変化に色を使うのは難しい。

ここでボブはサヴァン症候群などの超人的な人の話を思い出した。
彼らの中には、特定の単語がこの文章中に何回出たか、またその特定の単語が出た文章を検索して来て想起できる能力がある人がいるらしい。
それと今のボブの悩みの解決策が一致していることに気づいた。
今までどうやってこの能力ができるのか?という視点から考えていたが、本当はこの能力がなぜ「必要」だったのか?を問う問い方があることに気づいた。
つまりこの能力を持つ人々は、この能力を意図して持とうとしたわけではなく、必要だったから持って「しまった」と考える方が整合性が高いことに気づいた。

これはようするに文章を覚える上で、同一情報を使い回すと必ず干渉が起きる。
だから同一情報だけど違う情報だと認識させる必要があった。
しかし常に全く違う情報にするのは難しい。
そこで“規則的に”変化させた情報を用意するに至った、とボブは解釈した。
規則的だからこそその語の登場回数がわかる。

またこれらのことから、完全に違うイメージを使っているとも考えにくい。
イメージが規則的に変わっているとは言え、全く違うイメージであればそのイメージが表す意味内容を想起できない可能性が高まる。
その点から考えれば、特定の単語を表す“基礎となるイメージ”とそれらに変化を与える“規則的な情報変化”があると考えた方が理屈が通る。

この上述の理由で彼らは語の出現回数やその語が使われている文章の検索が容易にできるのではないか?
これがボブが考えている出現回数およびその語が使われる文章の検索ができる理由。

順を追ってこのボブのモデルをまとめると、
まず単語の記銘の際、単語に対応した①基礎イメージを思い出す。
②その語の出現回数からその単語を表す基礎イメージに何らかの規則的な変化を与える。
③それを繰り返し、場所法なんなりで覚えておく。
想起の際は何を問われるかによるので、例えば「ある語の5回目はどういう文章だったか?」と問われたとする。
すると④その語の基礎イメージを思い出す。
⑤その語の5回目の変化したイメージを思い出す。
⑥その変化によって特定された語の周辺情報を思い出す。

このようにして、語の出現回数および語の使われている文章を思い出せるのではないか?と考えた。

ちなみにこの規則的情報変化がかなり難しい問題なので、今のボブにはその解決策を提示することはできない。
なので、日々工夫してみている。

次のイメージがわかるということ

対文章式記憶術では高速でパーツを思い出すという現象がよく見受けられる。
これはボブ的には復習コンセプトの出来損ないなのだが、どうやらそれができるのは場所法の熟練者でないとできないようなのだ。
ここでボブは思った。
この熟練者よりは遅いであろうが、初心者でもそれなりのスピードで想起できる原因と場所法の熟練者がみせるイメージの想起スピードは実は同じ原因かもしれないのではないだろうかと仮説を立てた。

その仮説のもといったん考えてみた。

対文章式記憶術では高速でパーツを思い出せるのは、そもそも全体図というのが見えているからだ。
全体図とはこの場合はパーツをまとめて一つのイメージしたときに現れる、その一つのイメージだ。
これに則って次のイメージが何かを判断している。
つまり次来るであろうイメージが、すぐにわかるから高速で想起できる。

場所法熟練者も同じことをしているという前提なので、この考えによればやはり場所法を使っていると全体図となるイメージが頭の中に存在している、ということになる。
だから次に来るイメージがわかるのだ、としたいところだがたぶん前提がやはり少し違う気がする。
対文章式記憶術で高速でパーツを思い出せる場合と場所法熟練者が高速でイメージを思い出せる場合とではやはり少し違うのではないだろうか。

そう考えても対文章式記憶術で高速でパーツを想起する場合と場所法熟練者が高速でイメージを思い出せる場合とで共通点はあると考えている。
それは“次に来るイメージがわかる”ということだ。

対文章式記憶術の場合はもはやそうだが、場所法熟練者も場所というものが無意識でも高速で思い出せる状態を作り出している。
これは次に来る場所がわかるということではないだろうか。
そのため高速で思い出せるようになるのではないだろうか。

そう考えると対文章式記憶術でも同じようなことをすればまだまだ高速化できる気がする。
反対に対文章式記憶術の全体図というのを普通の記憶術に導入すれば、初心者でも高速にイメージを観て回ることができる気がする。

そしてこれは余談だが、場所法を熟練するのが速い人はモノと場所を概観しているのではないか、とも思った。
つまりモノと場所をより記号化した情報として捉え、それこそ概要のみを抽出した形で捉えているのではないか。
そうすることで、より速く簡単にパターン化して熟達しやすい形にしているのではないか、そう思った。
本当かウソかは結局やっていみないとわからないが。。。

対文章式記憶術の試行錯誤Ⅸ

対文章式記憶術において最もネックになるのは、パーツ一つ一つが消え去るリスクがあるということ。
ボブの作成時の狙いは、対文章式記憶術のパーツを組み合わせて作った一つのイメージのみが忘却というリスクを全負担するということだった。
でも実際はそんなことなくて、組み合わせたイメージを構成するパーツ一つ一つが全て忘却のリスクを背負っていた。
そのため組み合わせたイメージから一つのパーツが消え去るということがよく起きた。
組み合わせたイメージから一つでもパーツが消えるとどうなるか?というと、組み合わせたイメージが消える。
ようするに全部のパーツが消えてしまい、即座にイメージが思い出せなくなる。

そのための今回の試行錯誤となった。

どうも「見立てる」という行為はまだまだ奥が深いのだな、と今回の件で思った。
どう奥が深いか?というと、今までの「見立て」はパーツのシルエットにフィットするようなイメージを持ってくる、ということをしていた。
だが、今回の「見立て」は、パーツのシルエットを結構無視してイメージの“プロトタイプ”をイメージすることで、パーツ一つでがかいするような状況を避けれることがわかった。
ちなみにプロトタイプとはイメージの典型、つまり即座に連想した最初のイメージのこと。
これは例えば、手鏡という語を観たら、それから即座に連想できるイメージのこと。
今まではパーツを組み合わせてイメージを作り、それが手鏡に似ているってことになったら、プロトタイプのイメージを無視して、その組み合わせたイメージにより近い手鏡のイメージをイメージしていた。
そのため思い出す際にその組み合わせたイメージを思い出せなくなることがしばしばあった。

しかし、今回はプロトタイプのイメージのため、長期記憶からその手鏡を引き出すので、イメージとして安定的で消えることが少なくなった。
これは大きな発見で、「見立て」から「プロトタイプのイメージに見立てる」と名前を変えてもいいぐらいの発見だった。
パーツ一個一個のイメージの形を切り捨てているので、思い出せない状況も生まれるが、それでも覚えてすぐにイメージを忘れることは避けれている気がする。

問題はプロトタイプのイメージだといつも一緒になってしまい、同じようなイメージに「見立て」てしまう可能性が発生するということだろう。

ライトナーシステムインブレイン

ライトナーシステムインブレインとは、脳内でライトナーシステムを走らせることを言います。
ライトナーシステムとは復習を機械的にやる方法で、興味があったらググってもらう方が確実だと思います。

現在本などの文章を脳内ライトナーシステムで回しているのですが、結構忘れるので、さらなる改良をしたいと思っています。
ではライトナーシステムインブレインの特徴はどうなのでしょうか?
ライトナーシステムインブレインを改良するにしても、要素に分解しないと考えられるものも考えられなくなります。
そこで特徴を考えたいと思います。

ライトナーシステムインブレインの特徴
①頭の中で
②直列的閲覧性
③組み換え可能
④隠す(穴埋め)
⑤復習
⑥復習期間の間隔
⑦無関連性(無物語性)
⑧情報の分断・断続性

とりま、復習するにあたり関連性や連続性があった方が記憶を引き出しやすい気がする。
しかも関連性と連続性がこの項目の中では一番簡単そう。
ということで、関連性、連続性を何とかしたい。

このサイトの前の記事で、こだわりを持った場所を作り出すことで、情報を詳細に記憶することが可能ではないのか?と仮説っている。
こだわりを持った部屋とは、簡単にいえば詳細にモノのイメージを覚えている場所のこと。
でもモノのイメージの配置にこだわりを持っていて、自分ルールでモノのイメージを配置しているとさらにベスト。このモノのイメージ一つ一つに変化を与えることで、情報を書こうと画策している。

ボブは対文章式記憶術ができることを前提に述べるが、まず一つ一つの組み合わせたイメージにペグとして対文章式記憶術パーツを一つ与える。
現在111個のパーツ(の組)があり、動詞にも対応している。
このペグに使っている動詞とパーツを組み合わせてイメージを作る。
例えば●は「is」の動詞を含んでいるので、●とisを合わせるとボブ的には座布団になる。
この座布団をペグして、座布団の上に覚えたい内容の組み合わせたイメージがくっつく。

それでいて、その組み合わせたイメージが、こだわりを持った場所のモノと似ているものを配置する。

うーんまだまとまっていなくて上手く説明が不能なのだけど、今日はここまでにする。

トポス型記憶術

これはnoteというサイトにも書いた記事だが、探しきれない人のためにもう一度書いておく。

これは一つの挑戦の形だ。
トランプ記憶などで記憶される記憶術は全ての場合、ざっくりと以下の工程を踏む。
トランプ→モノのイメージ化→場所法、だ。
これはざっくりとなので、分析する人が違えばもっと細かくなるようだ。

このイメージ化と場所法という2つのプロセスがあるので、どんなに速くしてもこれがネックになってくる。
(だが、モノをイメージするのと場所をイメージするのは並列処理できそうなので、実際はネックにならないのかもしれないが。。。)
これを解決するための素人考えが、場所化だった。
つまり、場所自体が情報を表すようにしよう!という考えだ。
ただし場所化は情報を直感的に場所に限定して連想しようとするものだ。

すると以下の工程で済むことになる。
トランプ→場所化
最初の構想ではモノのイメージを場所化しようと考えていたが、それだと結局2つのプロセスから外れることが難しそうだったので辞めた。
やはり直に情報を場所にあてはめることが大事。

この場所化もネックになる所がある。
それは52枚のトランプを記憶した際、「広大な」場所を必要とすることだ。
あまりにも広大になりすぎるとイメージとしては把握しづらい。

そこで場所を何とか上手いこと重ねられないか?などを試す予定でいる。
この方法も例にもれず対文章式記憶術のパーツを応用して場所作りをすることも可能。
だけど、それだと結局2つの工程になってしまうのであまりよろしくはない。
ただ対文章式記憶術のパーツでもできるということは頭の隅に置いておいてほしい。
対文章式記憶術のパーツであれば、広大すぎる場所の問題を少しクリアできるからだ。

またこのトポス型の方法だと条件付きだが、ある嬉しいボーナスがある。
それは直列的に場所を並べたならば、手話のような身振り手振りで場所のイメージを表せることだ。
例えば左から右に「噴水のある広場」「自分の部屋」「図書館」などなどといった情報をボブが身振り手振りで表すとしたら、噴水は「グーから親指を立てて」表す、自分の部屋は「握り拳」で表す、図書館は「本を片手で開く動作」で表すことにする。
すると左から右へ拳を握り、親指を立て、拳に戻り、片手でめくるという一連の動作となる。
以上は全て右手のみで行った。

こうなると実は面白いことができると仮説している。
それは二重でイメージを想起することができるのではないか?というものだ。
さっきのように右手で動作を行いつつ、左手でも違う動作を行う。
すると実質的に2つの情報を想起することになるのではないだろうか。
ボブはそう考えている。

そうなってくると嬉しいのが、二つのことをいっぺんに復習が完了する所だろう。
2つのことがいっぺんに終われば、時間的効率性が上がるので、学習する上ではかなり有用(となる予定)。

ノート術と記憶術の関係とサイトの整理術

サイトを整理したいと思い、ノート術にその活路を見出さんと実はしてきました。
ノート術はそのまま記憶術にも活用できる!というのがボブの持論です。
そのためノート術は別にサイトの整理のみのための研究ではございません。

ノート術を研究はしていますが、どうも全部似たり寄ったりでした。
こうした方がいい、こうやった方が上手くいく、と色々見ましたが結局行き着く所は、ノートを分割して一定の情報を整理していくというものでした。
結局同じじゃん!
これはボブの抽象化能力が低いから起きた惨劇なのかもしれないので、さらに研究したいのですが、今の所そんな感じです。

ただボブもただただ使えない技術を研究していたわけではありません
その一つに一覧性の高い情報を作るというものがあります。
ようはまとめノートです。

このまとめノートを作るにあたり考えているのは、拡大と縮小です。
例えば「・」というものを拡大すると「①」という数字が出てきて、それをさらに拡大すると
o-1-bみたいな情報の羅列が出てくるようにするというアイデアです。
最大まで縮小した情報図では全体を眺める一覧性を極限まで使います。
そして拡大していくと、その情報の詳細が出てきます。

この仕組みをサイトに組み込もうと思っています。

さらに関連性の問題は、軸となる情報の集中する所を作り、そこに相互で乗り入れできるようにリンクを貼るというのが今の所の解決手段です。
これは当たり前といえば当たり前なので、特筆すべき所ではないかもしれません。

ここで注意したいのは、カテゴリーから入れる情報の提示の仕方やタグで引き出せる情報の一覧とはまた別の情報の提示の仕方であった方がいいということです。
これはただいま考え中で、結局カテゴリーやタグのシステムでできるなら、そっちでやった方がいいし、カテゴリーやタグのシステムでは実現しがたいことをなるべくやりたいと思っています。

ボブが目指しているのは、情報群を視覚的なイメージとして全て把握できる状態を目指すということです。
そのためにはサイトの情報の現在の直列的提示から、立体的な提示に移行したいと考えています。
この意味は一覧性のある全体を俯瞰した情報も何とか3D化したような情報として提示したいと考えているということでもあります。

これには人間は平面図に対して認知的資源をあまり必要としないという特性を上手く立体図に対して働くようにするということを考える必要があるかもしれません。

現実の身体性以上のイメージに

この前のブログを見てくれればわかると思うが、ボブはイメージの世界でも身体感覚を得たいと思い、挑戦している。
なぜこんなことをやるか?
このブログから見ている方はわからないだろう。
しかしこれにはフッカーーーーーーーーーーーーーい訳がある。

この身体性、身体感覚の導入には、ソロモンシェレシェフスキーという人物が深く関わっている。
この人の登場する本、「偉大なる記憶力の物語」という本を読んだことがあるだろうか?
この中でSとして登場する自分こそが、ソロモンシェレシェフスキーという人物だ。
このソロモンシェレシェフスキーという人物は、絶対的記憶力を持っていたとされている。
ここでボブがいう絶対的記憶力とは、一回で記憶できるという程度の意味だが、一回で記憶できるというのはボブがいったんは手にしたい能力の一つだ。

この人物の話によれば、どうもこの人物はイメージの世界でも身体性、身体感覚があった人物のように捉えられる。
そこでボブはイメージの世界でも身体感覚を得、身体性を獲得する実験をし始めた。
そこで思わぬ発見もしたので、それを述べたい思いもあり、近況も同時に報告させてもらうことにした。

まずボブが最近しているのは、イメージの世界で身体感覚を手に入れいるために四肢にチョー重い重りをつけて、運動するというものだ。
ここでなぜチョー重い重りをつけたのか?というと、200Xという昔やっていたテレビ番組でイメージトレーニングは、現実の自分では挙げられない高重量を、イメージの中ですっごい速さで高速で挙げるイメージをすると筋力が上がるという話を覚えていたからだ。
このことより、ともかく重い重さの重りをつけることにした。

ここでボブは筋トレの経験が活きることになった。
どうもいきなり重りをつけた状態で全身運動をしていも意味がないことに気づいた。
たぶん筋トレと同じで動かしている部位に意識を集中できないと、全然イメージの中の身体感覚が身につかないようだった。
そこでまさに筋トレと同じことをした。

左腕や左腕に近い体感の部分の身体感覚がボブは薄い。
そこで左腕のみにチョー重い重りをつけてアームカールなどをし始めた。
これは最近やり始めたことなので意味のあることかわからないが、とりあえずやってみている。

そして発見したことがある。
それはYouTubeを観ながら、イメトレしていたら起こった。
何が起こったか?というと、観ながら左腕をアームカールなどしていたら、なぜか見た情報が思い出しやすくなった。
そういえば理屈上そうなるなーということを思い出した。

ある研究によれば、BGMを流している状態で記憶した事柄は、そのBGMを流してテストさせると再生成績が上がったという研究がある。
これを“文脈効果”というのだけど、今回でいえば重りを持った状態で記憶した事柄が、当然想起時に重りを持った状態であれば記憶成績が上がることになる。

さらに運動しながらインプットするとインプット効率が上がるなどの研究もあったはず。

このことより、イメトレ中でもそれに酷似した状況が出てくるようだった。
これは一つの記憶術的な発見だと思う。
これを考えるとイメージの世界での身体性の獲得は何かをもたらす気がするので楽しみだ。

またボブの目指す身体性は、現実を超える身体性だ。
これは例えば現実の身体感覚以上の身体感覚をイメージの世界で実現するということ。
できるかどうかわからないので、これも要実験だろう。

現実とイメージの世界の境界を曖昧に

「偉大なる記憶力の物語」に出てくるSという人物は、一回であらゆる物事を覚えられた。
彼がやっていたのは記憶術の場所法なのだが、すでに使用している者ならわかると思うが、場所法を使ったからと言って一回で記憶できるようにはならない。

だが、彼に少しでも近づいた記憶術を再現することは、ボブは無意味だと思わない。
もしかしたら完全に踏襲できれば、一回で覚えれるような記憶術を手に入れることができるかもしれないからだ。
それに技術的な伸びもあるので、ボブの場合はむしろそちらがメインになっている気がする。

本題に入るのだが、Sは自分の記憶術で作り出したイメージをこう言っている。
「現実とイメージの区別ができない」と。。。
これは何気ない一言なのだが、よくよく考えると不思議なことである・

なぜなら普通の人は現実とイメージを行き来するとき、現実からイメージの世界に行った場合、必ず“いきなり”別の場所に立っていて、その世界ではイメージを自分勝手に“生成、改変できる”からだ。
その点で普通の人は、イメージの世界をこれは非現実的だと意識し、これはイメージの世界だと感じるのだと思う。

反対にイメージの世界から現実に戻った場合も、いきなり別の場所に戻り、生成、改変ができなくなる。
その上、“自己の体”という制約ができ、移動に難儀することになる。

このことから
①自己の身体性
②いきなり別の場所にいる
③世界を生成、改変する力

この3つを少なくとも何とかしないとSのように現実の世界とイメージの世界を混同できない。

自己の身体性はクリアが一番簡単かもしれない。
イメージの世界でも自己の身体を必ずイメージし、その制約を受ける。
そして必ず身体から主観的な視点でイメージを見ている状態を意識する。
つまり第三者の視点からイメージをみないようにするということ。

ボブの場合両腕両足胴体にそれぞれ30kg以上の重りをしているイメージをしながら、イメージの世界を走ったり、飛び回ったりしている。
なぜそんな重りを重くするのか?と言ったら、そんぐらいの重りじゃないと全然四肢や体をイメージできないからだ。
これだけの重りだと動くのが遅くなりそうと思う人もいるだろう。
でもあくまでもイメージの世界のお話なので、現実のように遅くならなくてもいい。
ただ重さを感じながら動くことが大事。

いきなり別の場所にいるというのは、普通に考えると難しい。
これにも2つの仮説がボブの中には存在している。
一つ目は知らなかったり、知っていても曖昧であったりする場所を使って、勝手に好きな場所に変換してしまうというものだ。
これを使えば、現在地からイメージの世界が存在している地点に移動することで、すんなりイメージの世界に移行できる。

二つ目はそもそもイメージの世界に入ったり、出たりしていないというもの。
つまりイメージの世界に入ったきりになっている可能性がある。
ソロモンは直観像の能力があった。
この能力を実現するにはスケッチ法とミニチュア構築法がボブの中で仮に存在している。

スケッチ法は脳内で観ている風景をスケッチのように描くというもの。

これに対してミニチュア構築法は、観たものを逐一ミニチュアのように小さなその情景をイメージしていくというもの。

どっちが正しいかわからないが、どちらも細かくイメージして構成していかないと上手くいかない。
ボブ的にはどっちらもミックスで使うのではないか?と最近思っている。

これをしているとわかると思うが、現実の情景を観る時間が極端に減る。
そのためソロモンがもしこの方法で直観像を得ていたとしたら、彼は現実の世界よりイメージの世界をずっと観ていたのではないか?と思った。
ゆえにそもそもイメージの世界の出入りなどなく、ずっとイメージの世界にいたのではないか?

最後に世界を生成、改変する力だが、これはイメージの世界を現実の世界に近づけるのではなく、現実の世界をイメージの世界に近づける方がはるかに簡単だと思う。
だが、完全をきすにはイメージの世界を現実の世界に近づけることも大事だと思う。
つまり現実の世界のようにイメージを生成、改変するときに何かしらの制約をつけるということだ。

現実の世界をイメージの世界に近づける方は、現実の世界にもイメージを投影しまくることでイメージの世界でできることを、現実の世界でもできるような状態にしておくのである。

時系列バイアスと完成形バイアス(仮)

バイアスと名付けているが、これがバイアスなのかと言ったらちょっと違う感じもするが仮として名を付けておく。

この現象は時系列バイアスの方は、なぜか動作の始点、開始時をイメージに残しておく場合が多いというもの。
例えば投球で、なぜか人間はボールを投げ終わりをイメージせずに、投げ始めをイメージしがちというもの。
これはバイアスと名付けても何ら問題がないと思う。

他方で完成形バイアスというのは、対文章式記憶術のパーツを組み合わせていく中で、大体完成形のイメージしか覚えていないことが多いというもの。
なぜかその途中経過を覚えていないことが多い。

これらの理由として考えられるのは以下だ。
①今までの経験上、記憶から構成しやすいイメージにしている傾向がある
②何を記憶しておくか問われ方の違いから、このような差が出ている

①の説明では時系列バイアスを、今までその人の経験は全て時系列に沿った形で進展してきた。
そのため、時系列的に構成しやすい開始時のイメージを覚えていることが多いと説明される。
①の説明で完成形バイアスは、記憶の構成のしやすさから完成形をイメージしておけば他全ての構成要素もイメージでき構成しやすいので完成形をイメージしたと説明される。
どちらもありそう、という感じだったのだが、ある実験をしてみて実は違うのではないか?とも思った。

その実験とは、対文章式記憶術のパーツを組み合わせて一つのイメージを作る。
そしてその作ったパーツを使って、組み合わせ方を変えることでまた別のイメージを作った。

この結果予想では、始めの組み合わせたイメージが記憶に残るだろうと思っていた。
なぜならこの場合どちらも完成形バイアスとしては同値で、時系列バイアスの結果のみ残るからだ。
しかし結果は違った。
最初の組み合わせたイメージも組み合わせ方を変えたイメージもどちらも残ってしまったのだ。

このことより、これは②に書いたように何を記憶しておくか問われ方の違いから、差が出たのではないか?とも考えられた。

つまり運動を覚えておくことが求められた場合は、時系列に最初を選ぶことは①の時系列バイアスの説明で上手くいく。
対して、対文章式記憶術のパーツの場合、パーツの組み合わせ方の運動を覚えよ、と言われた場合でもない限り、パーツの運動を覚えることは合理的ではない。
そのため無意識に完成形を覚えたのではないか?ということだ。

ようするに、
1⃣よく見ている記憶への還元
2⃣何を記憶すべきかという選択性
によってこれらの現象は説明できるのではないか?と考えた。

影を使って日時と場所を付加するには

昔々、影を使って一つのイメージが表す情報量を爆上げしようと考えていた。

でもこの方法だと結構難しかった。
なぜなら地面に映る影は、その影の元となるイメージと必然性を持たなかったからだ。
本来人間はイメージの中では影の存在を描かない生き物なので、シカトするはずのイメージを持たせても必然性がない限り、簡単に忘れてしまう。

けれどこの方法は“できれば”かなり有用ではある。
例えば影を使ってそのイメージを覚えた時間を入力しておく。
すると、その影からイメージを「時間」という形で思い出す手がかりになる。

では、どうやってその時間を表すのか?
それは時計と同じだ。
影の元となるイメージの一周を18時間(寝ている時間を除いている)や24時間と考えて区切る。
そのイメージの直感的に見出す正面を(例えば犬などのイメージであれば、顔のある方など)、0時として時計回りに18や24の区切りをする。

これで時間を表すことができるようになったが、次に考えるのは「分」だろう。
秒は無理だとして、分は表したい。
そこで活躍するのが影の長さである。
60分を3分割して、20分ごとに影の長さを「短」「中」「長」に振り分けて、影で表す。

これが影時計法の全貌なのだが、これは前述の通り上手く行かなかった。

ただし実は影を平面から立体化して少し盛り上がらせるとなぜか上手くいくようになる。

さて、ここまででボブはこの影時計法を採用しそうでしょ?
でも使わなかったんだなー。

なぜなら情報量をただただ多くするだけのものとなり、全体の量が覚えられなくなったからだ。
この意味は、例えばあなたの記憶容量の限界が100だとする。
今まで一つのイメージを10の記憶量で覚えていたので、最終的に100÷10で10個だけ覚えられた。
しかしこの影時計法を使うと普通のイメージより2倍思い出しやすかったが、一つのイメージに20の記憶量を必要とするので、最終的に100÷20で5個だけしか覚えられなくなった。

この結果をどう受け取るかはあなた次第だが、ボブはこれなら10個覚えて2回繰り返した方がいいと受け取ったため、影時計法を辞めるに至った。