必殺の記憶術と実践の記憶術=理解術

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必殺の記憶術と実践の記憶術はちょっと違うようだ、と最近明確に意識した。
それまでは必殺の記憶術、つまり一回で暗記できるような記憶術を作成できれば、必ず実践でも使えるだろうと思っていた。
でも民法を記憶していくにあたり、何やらそうでもないようだ、という気持ちにされた。
なぜなら周囲の知識との関係が、法律を記憶していく上では重要なようだからだ。
そしてそれはボブ自身も望んでいたことで、記憶ではなく「理解」の分野で扱おうと思っていた。

しかしそれは前倒ししなければいけないようだ、とも思った。
それは民法の記憶という近々の問題をクリアしなければいけないからだ。

とりあえず民法を研究しようと思った。

で、今のところ民法に絶対的な攻略法はない。
でも鍵は見つけた。
それは法律の法益や趣旨、目的だ。
それに加えて共通する理屈を考えること。
さらには抽象化してカテゴリー化だ。

例えば制限行為能力者の場合は、弱者の保護と取引の安全を図るという目的がある。
これは意思表示でも使える目的だ。
では、この目的だけで分類して行ってみるとどうなるのだろう?
当然これだけでは全く記憶に残らない。
なぜか?
これでは二種類分類にしかならず、具体的な個々の法律に転化できないからだ。

これは学習の場面ではよく起こることだ。
上級者は抽象的なまとまりとして、個々の具体的な事柄を把握しているし、導出できる。
具体的には、物理の話になるのだが、滑車の問題や運動の問題などの個々の具体的現象を、上級者はエネルギー保存の法則という一つの抽象的なことで理解してしまう。
反対にエネルギー保存の法則ということから、上級者は具体的な状況を作り出せる。
これと全く同じ現象が、法律の目的にまとめるという働きからもできてしまう。

ここまで聞くと読者の方も、「これってもう記憶術じゃない気がする?」となってくると思う。
そうこれはボブ的には、もう理解術の話になってくる。

ここでここまでの話と全く別の話になるのだが、「理解すれば、記憶など必要ない」という人がたまにいる。
さて、この話は本当なのだろうか?
実はまだ研究の段階なのだが、これは「できる」のではないだろうか?という所まで来ている。
「えっ??できるの?」と思う方も多いのではなかろうか?
これにはコツを知っている人がいるのではないだろうか?
そしてそれができれば、数学などで理解すれば記憶なんてする必要ないと言っている連中と同じことができるのではないかと思っている。
こんなことを言っている連中は、たぶん単にコツが上手なだけなのだろうと思う。
ただし、まだそのコツというのを正確に法則化して言語化できているわけではないのであしからず。

それでは、民法を研究していて発見したことだが、「何を理解するのか?」ということを明確化していくことがまず理解する上では重要だということだ。
つまり、理解することを理解するということだ。
民法を研究していれば、少しわかってくると思うのだが、民法を理解する方法もいくつかパターン化できるということだ。
ようするに民法を理解するための方法をパターン化しておくということが理解の質を上げることになる。
これは民法を理解することに限ったことではなく、何かを理解する方法をパターン化することが、何かを理解する質を上げることになる。

ここでボブが避けている言葉があるのにお気づきだろうか?
それは理解力を上げるということを一言も言っていないことだ。
なぜ言わないのか?
それは理解の質を上げることはできるが、理解力を上げるということは今のところできる方法がないからだ。
強いて上げるなら、何かしらの深い理解をしている先生について学び。
それから理解の方法を学び、パターン化していくこと以外ない。
それでも、その人の理解力以上の理解をもたらすのは難しい。

そのため、理解を定義したとき、ボブはこういう定義をした。
理解とは、自分の知っている知識を足場にして、一歩だけ進み、未知を一歩分だけ知る行為のことだと定義した。
つまり人間は自分が持っている予備知識以上の理解はできないということをこの定義は仮定している。
今のところはボブの作っている理解術では、真の意味で理解力を高めることはできない。

今回はこれで終わりにしたい。
理解術はその内にニュースで発表できるだろう。