連想対称性は物語性に宿るのか?

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連想対称性とはAからBという連想が存在するとき、BからAという連想は必ずしもできるとは限らないという欠点を補う方法です。
そのとき用いるのが、AとBという要素が存在している物語性と位置です。

ここで今回重要になってくるのが、この対称性は物語性の付与によって起きているのか?
それとも場所の位置に対称性が付与されているのか?
ということです。

物語性を付与すると大体が場所も存在してしまっているので、物語単体での調査は難しいのですが、物語性だけ付与して、周りを黒塗りにする方法を用いて検討してみることにしました。

場所単体の検討に関しては、場所に要素となるイメージのみを置いて、どうなるかみて行きたいと思います。

連想は言葉に宿るのか?それともイメージに宿るのか?

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連想は言葉に宿るのか?
それともイメージに宿るのか?ということを考える気になった。
なぜそんなことを考えたかというと、分離脳の実験や思考はなぜ自由なのか?ということを考えてたら、気になりました。

だってだって、思考って自由過ぎると思いませんか?
思考のように出し入れ自由な想起って、類をみない気がします。
その種が連想ではないか?と疑ったわけです。

で、結局連想は言葉に宿るのか?
それともイメージに宿るのか?
これは答えはどっちにも宿るみたいです。
そんなの当たり前じゃんとか、思っているそこのあなた!
それがたぶんほとんどの人がやっているのは、言葉に宿る連想の方だと思われます。
なぜそんなのがわかる?と言う方がおられるかもしれません。
でも実は言葉に宿る連想とイメージに宿る連想はどうも違うみたいです。

それでは何が違うのか?
それは言葉の連想の方はイメージがドンドン変わるのに対してイメージに宿る連想の方が“イメージがドンドン、形が変化する”という違いがあります。

簡単に言えば、リンゴ⇒ミカン⇒オレンジ⇒ジュース⇒水などが言葉に宿る連想です。
しかしイメージに宿る連想は、リンゴ、から枝が生えてきて、太い幹を作って、雲まで伸びて、豆の木みたいになって、、、というようにドンドン形や状況が足されていくという特徴があります。

実際に確かめたことはないのでわかりませんが、たぶんほとんどの人が言葉に宿る連想の方を使っているのではないでしょうか?

規則性を見つけることも記憶術

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現行の方法論だと、対文章式記憶術はランダムに与えられた単語に対して、それがまとめると“何を”示しているか?という観点から規則性を見出しています。

しかし結構昔に言ったように記憶術はこれだけではないのです。
つまり“何”だけではなく、“なぜ”の記憶術も存在していておかしくないです。
また、“類似”していることでも、記憶術は作れるし、“どういう規則”に則ってそれが出現しているのか?というIQが高い人が得意そうな記憶術も作れます。

今回のピックアップは“どういう規則”に則って、ランダムに出てくる単語が出現しているか考える記憶術です。
一見矛盾しています。
つまりランダムなのに規則性を見出すという矛盾です。

でもどんなにランダムに出てきても、その一部には規則性が存在していることはボブの経験上あるのです。
しかもランダムに出てくる単語に、ある一定の範囲で変換できるとしたらどうでしょうか?
その方法が今のところ対文章式記憶術の副産物である集合内変換です。
例えば「生命、自由、幸福」という三単語があったします。
これを生命=lifeでlifeとplay,japaneseも一つのパーツを表し、集合を作っているとボブは考えます。
このことから、生命は「遊ぶ」という単語に集合内で変換できると考えます。
同様に幸福も、showという単語に変換できます。

このことから、「自由に遊ぶショー」という場面をイメージします。
このように無理やり単語を変換して、規則性を与えることが対文章式記憶術ではできます。

それでも「どのような規則」に則ているのか?という記憶術には程遠いので、より暇なとき考えたいです。

イメージはカラフルではダメなのか?

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基本的にイメージにそのイメージが本来持つ色以外の色を付けると、大体情報量の増加のみで終わり、あまり役には立ちません。

けれども、直感による色付けがどの程度有効なのかはわかっていません。
対文章式記憶術ではパーツを組み合わせるので、一部の隣接するパーツに直感的に色付けし、カラフルにすることが可能です。
その上で自然な形で見立てれば、もしかしたら情報の増加を抑えられるかもしれません。

普通のイメージでも、場所に置いた際にわざとごった煮して、その隣接するイメージの一部に直感的に色を付け、カラフルにしてはどうしょうか?

ライブラリー家

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せっかく覚えた文章なりイメージなりをライブラリー化しておかないのは、単なる記憶術の垂れ流し状態なので、何とかしてライブラリー化したいと記憶術を開発する上で昔から思っていました。

しかしライブラリー化はなかなか進みません。
今でもいいアイデアがないのです。
普通に記憶術でイメージした事柄さえもライブラリー化できないでいます。
なぜこんなことになるのでしょうか?
それは昔覚えたイメージなり、なんなりを必要なとき想起できないからです。
普通に記憶術でイメージしたイメージさえも多種多様なのです。
ですから、一回出たイメージであっても、相当頻出しない限り、思い出せずに終わります。
しかも多種多様であるため、ほとんど一回イメージしたイメージと同じということはあまりないのです。

そこで昔の人の知恵で「抽象化」や「分類」するという手があります。
抽象化、分類することによって、一見違うように見えるイメージなり、情報なりが同じものに見えてライブラリー化できるはずなのです。

けれど、ボブがこれを知っていて開発し切っていない理由があります。
それは抽象化や分類しすぎると、元の情報に再現する精度が低くなるからです。
もし仮に抽象化して分類された場合でもあまりにも抽象化しすぎていたり、大枠すぎる分類をしたりした場合、その抽象化した情報に当てはまったり、分類されたりしたとしても、一個二個の情報であればいいのですが、10個も同じ抽象化、分類に当てはまると最早全て元の情報に再現するのは無理になります。
だからといって、抽象化しなさすぎる。
あるいは小さい枠への分類であれば、再現する精度は高まりますが、前述した通り同じ情報に見えずそもそも目的を失います。

その上、どの時点の情報を抽象化、分類するのかも謎です。
例えば対文章式記憶術で言えば、①文章を抽象化、分類するのか?②パーツを抽象化、分類するのか?③組み合わせを抽象化、分類するのか?④イメージを抽象化、分類するのか?と①から④の時点が存在し、ボブにはどれも重要にみえます。

ライブラリー家②

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記憶術で作った情報をライブラリー化して、次の記憶するときに活かす!ということをめっさしたいです。
だが、前回のブログで書いたように、ライブラリー化するには
①過去に出た情報と類似しているという認識が必要
②ライブラリー化した情報から特殊な個々の場合を導ける
ということが少なくとも必要だと考えました。

これは一部記憶術の帰納法の問題に似た所があると今日思いました。
つまり特殊な個々の場合の複数個から類似点を見つけ、一般的な場合を構成するというのが帰納法ですが、一般的な場合から特殊な個々の場合を導けるとは必ずしも言えないのです。
これを解決できれば、記憶術に帰納法を使えるのです。
ようするにライブラリー化して分類した情報から複数の覚えた情報を思い出せるということです。

唯一突破口になりそうなのが、連想対称性です。
連想対称性とは、例えば海から川を連想した場合、海から川という流れは連想で保証されていますが、川から海というのは必ずしも連想で想起できる保証はないのです。
そこで川から海でも連想できるようにしようとしたのが、連想対称性です。

この連想対称性に加えて、場所の切り貼りをして、一カ所にまとめることができると完璧な気がします。
ただこれにはマンガのコマ割りの技術が使えるのではないか?と今は思っています。

ボブの独り言(備忘録)
場所には経験からくる物語性がいくつも存在している。
これを用いれば新しい物語法が生まれるのでは

ライブラリー家③

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今まで記憶術の訓練する度に垂れ流し状態だったイメージを垂れ流さずに蓄積する方法を錬成できないだろうか?
イメージを蓄積し、ライブラリー化していけば、いつかはライブラリー化した情報のみで全てを説明できるようになるのではないのか?
そんな期待を込めて、記憶術のライブラリー化を推し進めることにしました。

そして今日ついに仮説の段階ながらも、記憶術のライブラリー化する方法を見つけたかもしれないです!

その方法を説明するにあたって、ボブが思ったこと。
⓪ライブラリー化って「無理やり」今思いつく情報に当てはめればいいじゃん!
ということです。
この発想がなければ、ライブラリー化は難しいと思います。
それで以下が方法です。
①任意のイメージとその近くにある別のイメージを比べる
②①のイメージ同士の類似点と相違点を導く
③相違点をちゃんと言語化し、その相違点を覚えておく
④次に入ってきたイメージをその言語化した前の相違点へ当てはめる
⑤それとともにそのイメージの相違点を導く
⑥⑤で導いた相違点をちゃんと言語化し、その相違点を覚えておく
⑦④⑤⑥を繰り返す
と言った感じです。

まだ暫定的な方法なので詳細は内緒です。

自閉症から来るサヴァン症候群に習う記憶術(再考)

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前のブログで整理の仕方を提示したのを、ボブはうろ覚えしています。
しかしやっぱりスッキリしない結論だと思い、また再考することにしました。
そう、ボブにはサヴァン症候群のことを考える波があるようなのです。
そして今日はそれが来てしまいました。

さー、ではどのようにしたら、彼らに近づけるのでしょうか?
はっきり言って、ボブにはわからない。
けど、わからないなりの無駄なあがきをしてやりましょう!

①ネテロ式記憶術をしている可能性がある
②拘りを持った情報の配置をしている
③情報の接着剤的役割を果たす“何か?”がある
④自己の経験的物語で全てを解釈する

という4つを挙げることにします。

ここからの彼らはボブの予想です。
例えば「花を食べるために、公園に散歩に行く」という文章があったとしましょう。
彼らはまず花=花屋の花を指さす母親の姿、食べる=8時の食卓にあるマイスプーン、公園=14時にいつも通るルート、散歩=12時に太陽が光っている玄関外の風景
というように解釈しているとしましょう。

このような情報を
サヴァンの方たちは何か自己の経験で解釈しようと試みているのでしょう。
ボブの場合、公園にピクニックに行った経験を参照します。
つまり、「太陽が光っている日に、いつも通るルートの傍で、マイスプーンを使って指さす母親と一緒にピクニックをしている」情景を思浮かべました。

このように一個一個の情報に拘りを持っていて、それが複数個に及べば、その拘りの一つを組み合わせて情景を構成することができます。
さらに彼らはきっと、このような寄せ集めの拘りを繋ぐための“儀式”を持っているのではないでしょうか?
例えば花の代わりに、タコさんウィンナーがあり、それを持っているとか、いつも通るだけの道なのに食事をしているので、代わりに正座しているとかなどなど代わりの儀式を入れることで、彼らは情報を接着しているのではないでしょうか?
当然それらの一つ一つの情報は拘りを持った配置になっています。

ライブラリー家④

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ライブラリーとは、今まで記憶術の練習で垂れ流していたイメージを蓄積していって、次のイメージをする際に、その蓄積したイメージを使ってイメージするのをいくらか省略するための情報群のことです。

このライブラリー化には相違性と類似性を用いればできるかも、、、ということを「ライブラリー家③」で述べました。

それではどうやってライブラリー化した情報を蓄積していくのかを述べていませんでした。
まだ実験中ですが、筆頭としてはニュートラルネットワークモデル的なものをボブの場合イメージしています。
次々にできていく情報の相違性を必死にパーツ化し、類似性を表すような形にします。
つまり、ツボのような形をしているという類似性の場合、その相違点であるいくつかの情報をパーツ化し、ツボの形にパーツを組み合わせます。

と、ここで注意点ですが、対文章式記憶術“では”そのようなことをしているということです。

そうしてできた相違点と類似点をドンドン蓄積し、次の記憶に備えようと今のところ考えています。
つまり仮説です。

ライブラリー家検証

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検証してみて意味がないなら、その方法論、ときには現象までをも棄却するのです。
今回ライブラリー化に向けて、類似点と相似点を使い、相似点を一つの単語にし、パーツ化し、それを類似点のある形に近づくようにパーツを組むということをしてみました。

はっきり言いましょう!
これがなかなか難しかったのです。
意味が一個しかないイメージであれば全然大丈夫なのですが、イメージが少しでも損失すると上手くいかない対文章式記憶術では無理でした!
いくら相似と類似の情報があろうが、それだと概要しかイメージできないので、頻繁にメンテナンスする必要性がありました。

でも、イメージの概要を覚えておくだけも意味があるようには思います。
なぜならイメージが完全に固まっている情報だと、当てはめには上手くいかないからです。
と、いうことで、もっと概要イメージを蓄積しまくって、実際に使えるかどうかを、、、実用に足りるかどうかを、、、みて行きたいと思います。