行為による関連付けは究極接触

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行為による関連付けは、究極的には接触だとボブは思います。
ただし、接触という関連付けを多用しているにも関わらず、人間はそれを単一の関連付けの連続だとは思わないのです。
これはなぜか?
これを厳密に分析したいのです。

例えば、こんな状況はどうだろうか?
「ボブがウサギを殴った」と「ボブがウサギを蹴った」という場合です。
これはボブとウサギを連発しているので、その点で干渉する可能性がありますが、行為としては全く別個のものだとボブは認識しています。

でもこれって本当でしょうか?
「殴った」というのは、結局突き詰めれば、ウサギを「触っている=接触」と捉えられます。
それは「蹴った」場合もそうです。
ウサギを結局「触っています=接触」しています。

これにはさっと考えて、二つの仮説を思いつきました。
①「殴る」と「蹴る」だと特徴が違うため、接触で等価だとしても、等価に見えないため
②接触という行為のみ特別で、接触しても問題にならないため

これを色々考えて行こうと思います。

②の接触がそもそも行為としてノーカウントや特別だとすると、対文章式記憶術で組み合わせるということがなかなか説明が難しくなります。
対文章式記憶術では、この接触という行為に依存してしまっているため、上手く行かないのだろうと思っています。

①がどうやら確からしいとボブは思っています。
さらに仮説を付け加えるとしたら、接触という行為は他の特徴と併せても、全く邪魔をしないのではないかと考えています。