法律、特に今研究中の民法に関しての本を読んでいて思うこと。
それは人間は本質的に理解できないのではないのか?ということを思います。
それはなぜか?
なぜなら理解するということにおいて、絶対的な法則。
【自分で理解したことが最も理解しやすいこと】という法則性があるからです。
仮に言葉をいくら尽くしても、人は認識的プロセスの全てまで記述することができない。
つまり、いくら説明してもそこには飛躍が存在するということです。
その点で人は本質的に理解できないのではないだろうか?と思います。
今やっている民法理解術第二弾で書いた意思の不存在や瑕疵ある意思表示の件。
あそこでやっていることは、あくまでも理解の一例です。
だって人の理解の仕方を様々だからです。
その点で「自分なりの理解をすること」が大事だと思います。