理解した表象を“具体化”できないか?(小説版)

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シモニデス先生「この本、完全に理解した!!!!!」
ボブ「うるさい!叫ばなくてもいいよ!」
シモニデス先生「理解したが、、、いつも思うんじゃがー。。。」
ボブ「何?有益なこと?」
シモニデス先生「イメージNote計画で最強に使える方法だと思うんじゃが、、、」
ボブ「じゃが、じゃが、何!?」
シモニデス先生「理解という作用は、心的な表象を伴なっているはずなんじゃ。。。つまり何かしらの情報に還元されている。ということは、直感を用いれば何かしらのイメージに還元できるはずなんじゃ、記憶術的には。。。」
ボブ「あー。。。それ知ってるー。やったことあるー。でも無理臭いことだろう?」

シモニデス先生「そう。なかなか難しい。。
その理由として理解した際の表象って一体「何を」理解したのかわからないということ。
仮に何を理解したかわかる場合は、具体的にイメージできる。
例で言えば、「理解した表象というのは、全体で意味を成すイメージを作り出している」という文章があるとする。
このとき、ただ漫然と文に目を通し、わからない単語がない、という状態では文章にはわからない単語がない、ということを理解した状態であり、文章自体の意味を理解していないので、具体的イメージは作れない。
一方、この文章をかみ砕き、単語一語一語の意味から表象を作るのではなく、単語の連関などから全体の意味を割り出し、全体の意味も使って一つのイメージにしているのだろう、ということを読み取れれば、イメージもできる」

ボブ「その理解が難しいんですけどね」
シモニデス先生「そうじゃな。
記憶術のように、単語一つに対してイメージを立ち上げることは比較的容易じゃが、理解する場合、単語が増えて行けば行くほど、イメージを立ち上げるのが難しくなる。
そこで余分な情報は捨てる。
あるいは途中まで仮のイメージを作り、一つにまとめておく。

今のところの技術レベルはその程度しか実現できていないんじゃ。。。」

ただいまの課題
ノートのようなイメージ作成
少ない情報に大量の情報を詰め込み、その上で想起効率を上げる
関係などの図、メモリーツリーやマインドマップなどを表し、対文章式記憶術に取り込む
顔の量産化体制の仕方を作る
文字のまま記憶
並列的に入力する方法の開発
場所の量産化の仕方の応用
関連付けの発展
場所法の発展