現実とイメージの世界の境界を曖昧に

「偉大なる記憶力の物語」に出てくるSという人物は、一回であらゆる物事を覚えられた。
彼がやっていたのは記憶術の場所法なのだが、すでに使用している者ならわかると思うが、場所法を使ったからと言って一回で記憶できるようにはならない。

だが、彼に少しでも近づいた記憶術を再現することは、ボブは無意味だと思わない。
もしかしたら完全に踏襲できれば、一回で覚えれるような記憶術を手に入れることができるかもしれないからだ。
それに技術的な伸びもあるので、ボブの場合はむしろそちらがメインになっている気がする。

本題に入るのだが、Sは自分の記憶術で作り出したイメージをこう言っている。
「現実とイメージの区別ができない」と。。。
これは何気ない一言なのだが、よくよく考えると不思議なことである・

なぜなら普通の人は現実とイメージを行き来するとき、現実からイメージの世界に行った場合、必ず“いきなり”別の場所に立っていて、その世界ではイメージを自分勝手に“生成、改変できる”からだ。
その点で普通の人は、イメージの世界をこれは非現実的だと意識し、これはイメージの世界だと感じるのだと思う。

反対にイメージの世界から現実に戻った場合も、いきなり別の場所に戻り、生成、改変ができなくなる。
その上、“自己の体”という制約ができ、移動に難儀することになる。

このことから
①自己の身体性
②いきなり別の場所にいる
③世界を生成、改変する力

この3つを少なくとも何とかしないとSのように現実の世界とイメージの世界を混同できない。

自己の身体性はクリアが一番簡単かもしれない。
イメージの世界でも自己の身体を必ずイメージし、その制約を受ける。
そして必ず身体から主観的な視点でイメージを見ている状態を意識する。
つまり第三者の視点からイメージをみないようにするということ。

ボブの場合両腕両足胴体にそれぞれ30kg以上の重りをしているイメージをしながら、イメージの世界を走ったり、飛び回ったりしている。
なぜそんな重りを重くするのか?と言ったら、そんぐらいの重りじゃないと全然四肢や体をイメージできないからだ。
これだけの重りだと動くのが遅くなりそうと思う人もいるだろう。
でもあくまでもイメージの世界のお話なので、現実のように遅くならなくてもいい。
ただ重さを感じながら動くことが大事。

いきなり別の場所にいるというのは、普通に考えると難しい。
これにも2つの仮説がボブの中には存在している。
一つ目は知らなかったり、知っていても曖昧であったりする場所を使って、勝手に好きな場所に変換してしまうというものだ。
これを使えば、現在地からイメージの世界が存在している地点に移動することで、すんなりイメージの世界に移行できる。

二つ目はそもそもイメージの世界に入ったり、出たりしていないというもの。
つまりイメージの世界に入ったきりになっている可能性がある。
ソロモンは直観像の能力があった。
この能力を実現するにはスケッチ法とミニチュア構築法がボブの中で仮に存在している。

スケッチ法は脳内で観ている風景をスケッチのように描くというもの。

これに対してミニチュア構築法は、観たものを逐一ミニチュアのように小さなその情景をイメージしていくというもの。

どっちが正しいかわからないが、どちらも細かくイメージして構成していかないと上手くいかない。
ボブ的にはどっちらもミックスで使うのではないか?と最近思っている。

これをしているとわかると思うが、現実の情景を観る時間が極端に減る。
そのためソロモンがもしこの方法で直観像を得ていたとしたら、彼は現実の世界よりイメージの世界をずっと観ていたのではないか?と思った。
ゆえにそもそもイメージの世界の出入りなどなく、ずっとイメージの世界にいたのではないか?

最後に世界を生成、改変する力だが、これはイメージの世界を現実の世界に近づけるのではなく、現実の世界をイメージの世界に近づける方がはるかに簡単だと思う。
だが、完全をきすにはイメージの世界を現実の世界に近づけることも大事だと思う。
つまり現実の世界のようにイメージを生成、改変するときに何かしらの制約をつけるということだ。

現実の世界をイメージの世界に近づける方は、現実の世界にもイメージを投影しまくることでイメージの世界でできることを、現実の世界でもできるような状態にしておくのである。