不自然さという概念はあるのか?【小説版】

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前回の続き
不自然さという概念で、イメージの記憶の世界は判断しているのか?
不自然さとは、あるイメージを思い出した場合に、現実世界では見られないような状態になることで、思い出せないという現象の判断基準のことです。
例えば、鳥が魚をくわえて空を飛んでいるというイメージを覚えた場合、時間が経って鳥が忘却し消えたとき、魚が宙を浮いているというイメージを脳が回避して、魚も一緒に忘却するということです。
この一緒に忘却する現象を一斉忘却と名付けています。

この研究をする目的
対文章式記憶術のパーツたちで構成したイメージの一斉忘却を防ぐため

シモニデス先生もボブ氏もさらなるヲタクをせんとし、この不自然さがあるのかないのかを追及するようです。

ボブ「ボブの知識でも不自然さというのは、忘却が進むと不自然な情報が取捨されて、自分にとって自然な形の記憶になるという研究があるのですが。。。」
シモニデス先生「うーん。だが、不自然さが許容されないと考えるのも早計じゃな。なぜなら、不自然な状況というのは、記憶術では重宝されるイメージじゃからな」

ボブ「もしかしたら“自分で”作った不自然なイメージというのは一斉忘却をしないのかしれませんね?」
シモニデス先生「ということは、自分で天井にイメージを置くのは、許容されるということじゃな?しかし、天井に置くのは、普通より記憶しにくいの?」

シモニデス先生「仮説じゃが、記銘時の情報と想起時の情報に差が出ると一斉に忘却されるのではないかのー?」
ボブ「それだったら、インディアンに伝わる昔話の実験などでは、物語を聞いたときと、しばらく経ってから思い出してもらったとき、大きな隔たりがありましたが、それはどう説明するのですか?」

シモニデス先生「では、こういうのはどうじゃろう?
“意味のわからない情報は、既知に当てはめて解釈してしまう”というのはどうじゃ?」
ボブ「なるほどー。鳥と魚の例であれば、鳥が忘却して消えてしまうと魚が宙に浮いてしまう。それはそのイメージを描いた人にとって“意味のわからないこと”。だから消えると?」

シモニデス先生「そうじゃ。対文章式記憶術のパーツでも、真ん中のパーツが忘却によって抜けた場合、“意味がわからなくなる”だから、一斉に忘却すると考えるのはどうかの?」
ボブ「今のところ、それがもっともな仮説ですね。ということは対文章式記憶術ではどうしないと行けないのでしょうか?」

シモニデス先生「できれば、パーツ一つ一つでも何かしらの意味のあるイメージを与える。その上で関係性を表すようなことができれば完璧なんじゃが。。。」
ボブ「ここからは実験してみないとわかりませんね」

天井と不自然さという概念【小説版】

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前回スピードカードをやってて発見したこと。
関連付けの部分効果
関連付けの部分効果とは、対文章式記憶術で特に起きる不思議現象で、直接関連付けされたパーツの部分だけが、なぜか覚えているというものです。

これをどうやらシモニデス先生とボブは今日もヲタクしているようです。

シモニデス先生「関連付けの部分効果を使えば、依存性、つまりパーツたちが一斉忘却をする現象を食い止められるかもしれん」
ボブ「ウッホウッホホ!」

シモニデス先生「関連付けで独立性、つまり一斉忘却をしない現象を起こせるのであれば、なぜ関連付けで一斉忘却がなくなるのか?を考えればよいわけじゃ」
ボブ「ウホ♡」

シモニデス先生「一つの仮説じゃが、独立したイメージ同士が、独立した行為の情報で連続性を与えているからではないか?とも思ったのじゃ。ここから導き出せるのは、2つのパーツを何か一つのイメージに見立てるというのは、独立性を与えるという面から言えば失敗じゃ」
ボブ「ウッホー↑!」

シモニデス先生「ここでちょっと閃いたんじゃが、昔考えた“必要性連鎖”という現象が本当に存在しているのか?という検証になりそうじゃ」
ボブ「何?必要性連鎖だと(イケボで)」

シモニデス先生「そうじゃ。ボブがチョー昔に生み出した仮説的現象じゃ」
ボブ「説明しよう!必要性連鎖とは、四角い箱が2つある。その二つを一つは地面に置き、もう一つはその地面に置いた箱の上に置くのである。このとき忘却はどうなるのか?という思考実験である」
シモニデス先生「うむ。このとき、地面に置いた方の箱が先に忘却すれば、地面に置いた箱の上に置いた箱は浮くことになり不自然になる。反対に地面に置いた箱の上に置いた箱が先に忘却しても何も不自然な所はない」
ボブ「このとき、“不自然さ”は受容されず、前者の忘却は箱が浮くことなく両方の箱の忘却につながるというのが、この状況の仮説です」
シモニデス先生「これが依存性と独立性の問題に非常によく似ているのじゃ」

ボブ「この他にも例えば鳥が魚をくわえながら、空を飛んだ場合、鳥が先に消えてしまうと魚が宙に浮いてしまう。反対に魚が消えても問題なくイメージできる。この前者が“不自然さ”が受容されない例の一つと考えられます。つまり魚が宙に浮いているのは“不自然”だから、魚も消してしまおうという判定基準があるのではないのか?ということです」

シモニデス先生「そう。それが対文章式記憶術につながるわけじゃ。つまり仮にパーツで構成したイメージの真ん中のイメージが抜け落ちたとしても、“不自然さ”は受容されないため、全部消えることが予想されるのじゃ」

ボブ「もし仮にイメージの記憶の世界に“自然さ”や“不自然さ”という概念が判定基準に入っているとしたら、天井に人や物を置くのは、即座に「できない」ことがわかるようになります」
シモニデス先生「実際どうなんじゃろうなー?」