手話とその意味

書くのは久しぶりです。
でも今回のことは書いてもほぼ問題ないと思ったので、規則なしで書かせていただきます。

まずここで書いたことは思いつきで検証は勝手にしてください。
ボブも勝手に検証していますが、ボブの検証結果は芳しくないものでした。
でも夢があるので、今の現時点ではもう少し検証するつもりです。

この思いつきをした経緯は、「言語なき思考」という結構古い本を読んでて思ったことがきっかけです。
言語なき思考は、生まれ持っての聾者を対象にした研究の話です。

ほぼ全くその研究とは関係なくボブはこう思いました。
生まれ持った聾者の人は、文章を読んだとき、どう文を理解しているんだろうか?と思いました。

普通の人は文を読むと追唱と言って、心の中で文を音声化して読んでいます。
これが速読できる人だとあまりないことが知られていますが、このように音声の言語を介して文の意味を理解しています。

では聾者の人もこの論法で言えば、心の中で手話をして文章を理解しているのではないだろうか?ということになります。
ここでボブは二つの説があると思います。
それは心の中で手話をするとして、視覚的な情報として手話しているのを見ている場合と身体感覚として手話しているのを感じている場合とがあると思います。

どちらの場合が正解なのか知りませんが、ボブは手話しているのを見ている場合は、じゃあ今度はどうやって文章の情景を理解しているのだろうか?と思いました。
そう考えると手話のイメージ化をしながら、同時に手話が指し示す情景をイメージ化していることが可能であるということになります。

そこでボブは対文章式記憶術のパーツを組み合わせながら、そのパーツが指し示すイメージも同時に情景としてイメージするように訓練し始めました。

で、今のところの手ごたえは情報量が膨大すぎてむしろ忘れる、というところまではわかりました。
しかも同時にやっているわけではなく、少し時差があってその二重イメージ化をやっています。
はっきり言って旗色悪すぎます。
でもやっているのが面白いので、まだ続けていきたいと思います。
飽きたら辞めますww

統合と展開の結びつき(つぶやき)

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対文章式記憶術にはパーツを組単位でバラバラに展開して、そのパーツの組に理解したイメージの特徴を反映させるという過程を入れようという試みをたいぶ前からやっている。
つまり理解したイメージを対文章式記憶術に取り入れようという考えだ。

しかしそうすると展開したイメージと統合したイメージの両者が出来てしまう。
そうすると完璧に手順が煩雑化する。
その上、その展開したイメージと統合したイメージの両者の結びつきに関しても不安定になってしまう。

さらに抽象的な文章に対しては、その文章の構造しか描けないので、必ずしも一見して理解することができない。

色々な問題があるのだが、上手く行く方法を模索中。

問題をまとめると
①二重記述問題
②手続きの煩雑化問題
③統合と展開の結びつき問題
④抽象文に対する理解的特徴とは何か?の問題