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空間を実験してみよう!
と、思って空間のいじれそうな所を発掘して実験にかけるということをしてみています。
で、まず最初に実験してみたのは、数学でいうところの“無限小”の実験です。
これが成功すれば全てのモノのイメージに対してこれを使い、モノ、それ自体が“場”の役割を持たせることできるかもです。
で、どういう実験かというと、場所を無限に小さくしていくと、一体全体どのような性質を帯びるのか?というものです。
それでやってみた結果自分が観測した限りでは位置の情報が潰れます。
と、言っても例えば自室の真ん中より少し横に、バナナを置きます。
で、自室を無限小にしていきます。
すると、自室とバナナの大きさが同じぐらいになるときが来ます。
このときバナナは全力の部屋の位置情報全てを使って対応付けられます。
そして、そのまま自室を無限小化していくと、今度はバナナを場として自室がそのバナナの位置に存在しているという状態になります。
ここで思ったのは、バナナと自室は互いに位置の情報を出し合って関連付けられていたんだな~ということです。
つまりあまり意識しませんが、部屋にバナナがある状態ではバナナの全部の位置を出して部屋の一部の位置と関連付け合っているということです。
ともすると、簡単に言えば、上手く行けば、例えばバナナの半分の位置情報は自室に対応付け合っている状態にして、残り半分はどっかの道端に対応付けるということが可能なのではないのか?と思いました。
ところで、モノのイメージを“場”として使う場合にネックになる要素もわかりました。
それは“自己の介在”です。
例えばバナナだったら“自分”の手の平で握れるぐらいだ、と言った意味のわからない“常識”みたいなものがあります。
自室は“自分”の大きさから割り出した大きさがあったりします。
つまり“自分”を通して考えた大きさが固定観念として存在してしまうようです。
これを捨てる術はないのかも、模索するかもです。