直感と連想の違いは、直感の方が「先入観」といったほかの要素が混ざっている。
でも今のところほぼ直感と連想同じようなものと考えている。
さて前の記事で連想って一回で出力する情報量を大きくできるかもしれない、と述べた。
つまり通常連想という言葉を聞くと、大体の人が単語から別の単語を想起することを思い浮かべるが、別に大量の情報からまた別の大量の情報を想起してもできないことはないことに気づくかもしれない。
これはようするに一回の出力でも直感的でありさえすれば、大量の情報を一回で出力できることを意味する。
これを何に利用するかはまだ考えていない。
が、大量の情報を一回で出力できるようになると、連想でつなげられるイメージの量が格段に上がる。
例えば今までは「リンゴ」から「ミカン」へと単語から単語へ連想していた。
この方法だと想起するときの問題で「リンゴ」から「ミカン」「ナシ」「スイカ」「バタコさん」と連想していくと「リンゴ」から「ミカン」や「ナシ」を想起するときに、必ずしも全ての単語を思い出せなかった。
これはリンゴの特徴から次の連想の特徴を思い出しているからで、リンゴの特徴を使い回しすぎた結果、連想した全ての単語にはアクセスできないからだ。
これが大量の情報から大量の情報へと連想できる場合、結果が変わってくる。
例えば「喫茶店」から「コップ」「氷」「お茶」へ連想が成り立つ場合、喫茶店には様々な特徴があるため、それらの様々な特徴をそれぞれの単語に割り当てていくことができる。
そのため単語にアクセスできる可能性が上がる。
こんな良いこと尽くめな連想だが、これを応用しているのが記憶術だと思っていい。
ここでボブが改めて思ったのが、「連想」と「想起」の違いって何?ということ。
連想は連想元があり、連想先はランダムで大量の情報を出力することができ、自由で速く、拡散的な出力だ。
それに対して、想起は想起元は必ずしもなく、想起先は意図的で特定のモノや出来事を少量出力することが多く、収束的な出力だ。
こんな分類をしたが、そんなに簡単に連想と想起を切り分けることはできないようだ。
だがボブは思う。
思い出すという作業は収束的思考の一種だが、どう考えても連想のように拡散的に思考する方が苦になりにくい気がするし、大量の情報を思い出せる。
そこで全ての想起現象を連想的にした仕組みを作るといいのではないか?と考えている。