理解したイメージをどう覚えるか?

当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

理解したイメージが有効なときは多いです。
それは文章を覚える際も同様です。

例えば「私が投げたボールが放物線を描きながら地面に落ちていく」というのを覚える際に、わざわざ対文章式記憶術で一語一語を覚えるより、文章を理解し、それが示す表象を構築した方がいいに決まっています。
対文章式記憶術でそれを無理やり変換するなんて、遅いし頭が悪いです。

でも反対に抽象的なことを言った場合では、この限りではありません。
例えば「理解したイメージが有効なときは多い」などの文章です。
このような抽象的な語が並ぶ場合は、対文章式記憶術で覚えるのはそんなに頭の悪いことではありません。

しかし、これには抜け道があって、例えば上記表現を「理解したイメージ(ブロックを組み合わせている絵の吹き出し)を思い浮かべている裕子が多い」というイメージにしてしまうと完クリです。

そうすると対文章式記憶術でイメージする必要性はあるのか?という疑問が浮かばざる負えないのです。
それならやっぱり普通の記憶術の方がいいじゃんというのが当たり前の評価です。

だからこそ、そこにあがないます!
あがなう方法は色々ありますが、一番簡単なのが名付けです。
例えば上述のボールの方は、「球」という名前を付けてそれを対文章式記憶術で覚えることで、あがなえます。
またブロックの方はルービックキューブを買いに行く様子と考えて、「買い物」という名前を付けて対文章式記憶術で覚えることにすれば覚えられます。

このようにして「理解したイメージ」→「名付け」→「パーツ化」をたどることによって対文章式記憶術はまだ生存していられるでしょう!