対文章式記憶術の光と闇

対文章式記憶術を使っているとなぜこんなこともできない、、、と思ってしまう点などが多々あるので、対文章式記憶術ってー何か便利そうだから、やってみたいっていう方は必ずこの記事を読んでほしい。
作成者であるボブをも悩ませる対文章式記憶術の闇の部分を最初に述べたいと思う。
対文章式記憶術はいちおう働く記憶術ではある。
が、ぶっちゃけまだまだ全然普通の記憶術を上回る成果を出していない。

このサイトトップページにもあるようにメリットとデメリットを紹介しているが、あれとはまた別にスゲー困っていることを述べる。

対文章式記憶術の闇
①資格試験などであれば理解したイメージをそのまま場所に貼り付ける方が効率的
②イメージをまとめることができるが、まとめたからといって短期記憶の負荷が軽くなるわけではない
③プロセスが長すぎて普通の記憶術の方が速いのではないか、と思う場面が多々ある
④想起時にまとめたイメージを観るだけで全ての想起が終わるとは考えにくい

この4つはかなり「えーっ!?」て思うことだと思う。
対文章式記憶術の根幹をなしているコンセプトを破壊しているから。

①は大量の文章の情報があるときに、理解したイメージを作って場所法を使って場所に貼り付けた方が効率的にかつ情報量が少なくイメージできる場合がある。
ただしその資格試験で問われ方にもこれはよります。
例えば一語一句同じであることを求められるような試験では、理解したイメージでは足りません。
理解したイメージでは語とイメージの対応が必ずしも1対1ではなかったり、そもそも語とイメージの対応がないような抽象的語であったりするから。
他にも語とイメージを対応関係で結ばれていても、そのイメージを観る順序などが思い出せない場合がある。

しかしほとんどの資格試験で理解したイメージで足りる場合が多く、その場合は理解したイメージを場所に貼り付ける方が明らかに速い。

②は短期記憶の容量の話をする。
短期記憶の容量は単語と数字で差がある。
単語であれば3つ程度、数字であれば7つ程度を記憶できる。
パーツであればボブの感覚では3~5個というところ。
ここで問題になるのはまとめて見立てるまでしたイメージがどのような扱いを受けるか?というところ。
例えば5つのパーツを組み合わせて、見立ててリンゴのイメージにした場合、このイメージは果たして5つのイメージと数えるのか?それとも1つのイメージと数えるのか?という問題。
答えをいうと6つのイメージとして数えられる。
その内訳はパーツのイメージ5個と見立てたイメージ1個。

つまり見立てたイメージだけの短期記憶容量の負荷ではなく、パーツ一つ一つの負荷プラス見立てたイメージの短期記憶の容量への負荷となる。
これは大問題で、5つまでで短期記憶の容量が限界なのにもう一個入ってしまうことになる。
当然始めパーツが記憶から抜ける。
しかもパーツ一つが抜けるだけで、見立てたイメージも消えるという特性がある。
そのため見立てたイメージが不安定になる。

③はともかくこれらに打ち勝たんとするために多くの工夫を必要とすることとなった。
そうするとプロセスがドンドン長くなっていった。
今完全に①や②を超えるために新しい工夫をちゃんとやっていくと、プロセスは簡単に10工程を超える。
普通の記憶術が大雑把にいうと2工程くらいなのに、10工程を超えるってどういうこと!?てなる。
そのためこのような工程数をドンドン多くするような工夫は今のところ使っていない。

④は特に重大な問題(重大な問題以外取り上げていないが)でそもそもコンセプトが一回の想起で多数の情報を復習した状態にするということだった。
なのに、実際はそれは完全にできない、、とは言わないのだが、全てのイメージができるわけではないというのがボブの通説。
できないイメージに関してはまとめた意味があまりない気がするし、時間の無駄だったようにも思ってしまう。
パッと一回で思いつくというよりも、一個一個のパーツを頭で少しピントを合わせてイメージしていくような感じに近い。
記憶術の達人がモノと場所を一瞬で見て回るのと多分そんな変わらないスピードで、パーツを一個一個見て回っている気がする。
そんな練習しないでパーツを一瞬で見て回れるのは快挙かもしれないが、コンセプトではパーツではなく、一つのイメージを観て終わるところなので、何とも言い難い気分になる。

では次に対文章式記憶術の光の方。

対文章式記憶術の光

①抽象語に対して強い
②階層構造化
③他の用途で使える

で、悪い方が4つなのに良い方が3つかよー!と思うかもしれないが、思いついたのが3つなので許してほしい。

まず①の抽象語に対して強いというのは、抽象的単語に対していつも安定したイメージの変換ができるという意味。
ボブは理解したイメージで構成しようとしても、抽象的な単語が出てきて、それを理解したイメージの中で表せないとなると、ほぼ必ず対文章式記憶術のパーツを利用してしまう。
なぜなら対文章式記憶術のパーツであれば、抽象的単語さえも表せるからだ。
しかもパーツなので、理解したイメージに紛れ込ませやすい。
そのため理解したイメージだけで構成しようとしても、何だかんだで対文章式記憶術のパーツのイメージを使ってしまう。

②の階層構造化とは、見立てたイメージに名前をつけてそれをまたパーツ化するというようなことをできるのが対文章式記憶術。
ここには必然的に階層構造が生れる。
そうすることで想起しやすくなる。
これだけはコンセプトが的を得た形となっている。

③の他の用途でも使えるは、もうそのまま。
普通の記憶術では使えなかった用途に対文章式記憶術ならできるという場面が多くあることがわかった。
これはボブの記憶術の開発経験上、そう思ったこと。
もしかしたら前提として対文章式記憶術を使用することありきで記憶術を作っている可能性はあるが。。

対文章式記憶術の試行錯誤Ⅷ

久しぶりに対文章式記憶術の今の現状をブツブツ言う。

普通の記憶術のトップの人達は、100個の情報量を復習なしで一回で記憶できるらしい、とのこと。
そのため対文章式記憶術でも一回で100単語覚えれるようにするのが狙い。
現在は50単語ぐらいならそれなりにできる、、というイメージ。
ちな、時間制限はない状態で量に対する抵抗力を測ることが目的。

対文章式記憶術の文章からパーツ化、パーツを組み合わせる、組み合わせたイメージを一つのイメージに見立てるというプロセスがある。
けど、ここからが対文章式記憶術の本領発揮で、その一つのイメージに見立てたイメージを凝縮することで、大量の情報を検索しやすくする方法がある。

これをやり続けることが、対文章式記憶術の真の使い方だとボブは思う。

前の対文章式記憶術の試行錯誤シリーズでも述べていたこと
①対文章式記憶術の意味内容にあるakstnhmyrで語呂を作る
②パーツのパーツ、つまり大パーツを構成する小パーツを作る
③「色」と「材質」を決める
④一組のパーツを2組でミニパーツを作り、見立て、ミニパーツを組み合わせて一つのイメージを作る
⑤意味内容に合うようにパーツを見立てる
⑥連想しやすいような見立てをする
⑦多くのパーツの中に普通の記憶術的イメージを1つ混ぜる

とシリーズ通して様々な方法が出てきた。

このうち今のボブの視点から有用だと思われるものは、③④⑥⑦の四つ。

③は至極簡単で独特な色や模様などを材質込みでイメージする。
例えばキノコみたいな●のパーツの塊になったら、キノコみたいな材質でできていて、薄茶色っぽい色を付けると記憶に残りやすくなる。
なぜかはわからない。
けど記憶に残る。

④は一組のパーツ、それを二つ使って、いったん見立てて一つのイメージパーツにする。
そのイメージパーツを同様の工程で作ったイメージパーツと組み合わせる。
そうして一気に大量の情報を覚えるのではなく、イメージをチャンク化していく。
ようするにイメージの数を区切ることで、最終的な見立てをしやすくするというもの。

さらに⑥は④で作ったイメージパーツのイメージたちをそれぞれ連想しやすいものにするという
ものだ。
例えばリンゴぽいイメージパーツができたら、他もそれとそろえてミカンとか、ともかくリンゴにまつわるイメージにすることで思い出しやすくする。

⑦は試行錯誤の最新の結果で、普通の記憶術で作ったイメージを一つだけパーツに混ぜると記憶を手繰り寄せやすくなるというもの。
これをするのとしないのとでは差が出るのでぜひやってほしい。

以上のことを直列的工程に変えると、
④+⑦+⑥→③、
つまり記憶術的イメージを1つ混ぜて、ミニパーツを作り、それらを連想しやすくし、それを組み合わせて色と材質を決めた一つのイメージにする。

理解したイメージをどう覚えるか?

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理解したイメージが有効なときは多いです。
それは文章を覚える際も同様です。

例えば「私が投げたボールが放物線を描きながら地面に落ちていく」というのを覚える際に、わざわざ対文章式記憶術で一語一語を覚えるより、文章を理解し、それが示す表象を構築した方がいいに決まっています。
対文章式記憶術でそれを無理やり変換するなんて、遅いし頭が悪いです。

でも反対に抽象的なことを言った場合では、この限りではありません。
例えば「理解したイメージが有効なときは多い」などの文章です。
このような抽象的な語が並ぶ場合は、対文章式記憶術で覚えるのはそんなに頭の悪いことではありません。

しかし、これには抜け道があって、例えば上記表現を「理解したイメージ(ブロックを組み合わせている絵の吹き出し)を思い浮かべている裕子が多い」というイメージにしてしまうと完クリです。

そうすると対文章式記憶術でイメージする必要性はあるのか?という疑問が浮かばざる負えないのです。
それならやっぱり普通の記憶術の方がいいじゃんというのが当たり前の評価です。

だからこそ、そこにあがないます!
あがなう方法は色々ありますが、一番簡単なのが名付けです。
例えば上述のボールの方は、「球」という名前を付けてそれを対文章式記憶術で覚えることで、あがなえます。
またブロックの方はルービックキューブを買いに行く様子と考えて、「買い物」という名前を付けて対文章式記憶術で覚えることにすれば覚えられます。

このようにして「理解したイメージ」→「名付け」→「パーツ化」をたどることによって対文章式記憶術はまだ生存していられるでしょう!