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こんなイメージがあったらどうでしょうか?
例えば「ボブがイルカを投げる。投げたイルカはフラフープを通って、ウサギを食べる」というイメージです。
この場合「影響を与えているという認識」フラフープではなく、ウサギのはずです。
ですがフラフープにも間違いなく関連付けが起きます。
これはなぜなのでしょうか?
フラフープの形が、イルカの“形に類似しているから”だと思いました。
確かにあり得るな、と思い、フラフープの形を四角にしてみましたが、状況は変わりませんでした。
でも確かにちょっとは影響あるかも、とは思いました。
もしかして「影響を与えていないという認識」も実は関連付けにはどっちの認識も関係なくされるのではないか?と思いました。
試しにボブは「ボブと花を横に置く」イメージをしました。
でも「影響を与えていないという認識」と「影響を与えているという認識」の差はよくわかりませんでしたw。
それじゃあ、行為としての認識が必要なのではと思いました。
つまりフラフープを通過しているという行為として意味づけされることに意味があるのではないだろうか?と。
それでは、イルカが投げられて、飛んだイルカの頂点の横にレンガのイメージを置いた場合はどうでしょうか?
これはなかなか難しいですが、ボブにはそのイルカが棒高跳びの棒のようなレンガを飛んだ場合より関連付けがしにくく感じます。
まだわかりませんけど、行為としてカウントされるかどうか、というのも仮説ではあります。
理解したときのイメージもイメージをある形にすると自動的イメージが関連付けられる気がしますが、これと同じなのでしょうか?