記憶術学基礎論(研究フレームワーク)

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研究フレームワーク以下です。
展開情報/疑問/観察/(疑問)/仮説/検証/批判的思考
という感じです。
基本的に左から右へ進んで行く形です。

展開情報は基本的にテーマを決めるか、決めないか考える必要がありますが、全くテーマすら思いつかない場合は、テーマなしで自由連想する箇所です。
当然テーマが思いつく場合は、テーマに沿った連想をする箇所です。
疑問は単純に前箇所である連想した情報を使って、疑問を作る箇所です。
どう作るかはボブの場合は、連想であったり、展開情報のワードを組み合わせたりしています。
観察は疑問に対して実際どうなっているのか?ということを観察します。
普通のことであったり、奇妙なことであったりを書き連ねていく箇所です。
(疑問)は観察から受けたことを使って疑問を作る箇所です。
なぜ括弧がついているかというと、この疑問を飛ばして次の仮説に行くことがあるからです。
つまり使わない場合があるからです。
その際は別に使わなくても構いません。
そして仮説は観察や疑問や批判的思考など(なぜここで出てくるかは後述)を受けて、仮説を立てる箇所になっています。
ここはセンスと経験だと思っているので、どうしたらいいのかサッパリです。
検証は仮説で立てたことを検証してみる箇所です。
そして最後に検証を受けて、批判的に思考してみる箇所です。
どこどこの検証の仕方が悪いとか、この考えではどうかとかです。

注意としましては一番多かったパターンが、展開情報→疑問→観察→仮説→検証→批判的思考→疑問→仮説→検証→批判的思考→疑問・・・
というように疑問から批判的思考のプロセスが順繰りするパターンが一番多かったです。
また、別に飛ぶ箇所が出ても全然いいと思います。
例えば観察を飛ばすとかありだと思います。

記憶術学基礎論(観察と内観の違い)

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普通に目で見て観察する場合と心的現象を内観する場合とでは何が違うのか?というテーマです。

普通に目で見て観察する場合は、実は対比して見ているのではないでしょうか。
つまり心の中にある観察対象のありようと、今自分が目の前で見ている対象を対比することで、その違いを浮き彫りにしているのでしょう。
例えば、本のない本棚を観察する場合、“普通”ならばここには本が入っているということが観察できるのは、心的にその本棚に何かしらの本が入っている場合をイメージし、それと目の前の本棚を対比しているからだと思われます。
この視覚的な仮説をボブは“視覚的仮説”と名付けています。

もちろん知覚心理学で言われている形の同定から意味の同定という形も存在していると思われます。

これに対して内観の場合、“言語的仮説”が力を発揮するのではないでしょうか。
つまり内観した場合は、それ自体が心的な情報であるため、別の心的な情報と対比させるためには、言語の力によって状況を設定する必要性があるのではないでしょうか。
ここで一番有力な言語は“普通”ならばです。
例えば「心的にイメージした情報が消える」という現象を観て、ボブならば「普通ならば消えないはずだ!」という仮説を作ります。
そしてそれを「なぜ消えるのか?」という疑問に変えて、思考してみています。

このように普通という言葉は、無数の意味を持っています。
人によってその設定の仕方が違います。
なので、かなり曖昧な言葉なのですが、結構天啓を与えてくれます。