経験的物語法(ノートより

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昔のアイデアノート一冊目に経験的物語法について書かれていた。
ちなみにこれは対文章式記憶術歴前のアイデアです。

経験的物語法は対文章式記憶術のテクニックが大体できる前に作ろうとしてた方法です。
この方法は頭文字法の原理を使うことでよりよくなるとボブは思っていました。
頭文字の本質的な部分は、“連続する”情報の“頭”を記憶することによって、記憶しやすく、思い出しやすい状況にするテクニックです。
これを経験的物語法でもやろうとしていました。

この経験的物語法は一つ欠点があって、文章全てが、それこそそのまんまの経験で説明できないということです。
それに対応するため、嘘経験という技とわざとミスするという技で何とかしようとしていました。

例えば「当事者は債務不履行について損害賠償の額を予定することができる」という文章を覚えたいとします。
「リンゴは猿を利口にすることについて責任者の予定です」みたいにガンガン間違いつつ、聖書を読んでいる自分という嘘のイメージを作り出します。

記憶術のイメージが消えることは悪か?

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最近イメージが消えやすいということは良いことじゃないのか?と思い直している。
なぜか?
最近みた動画の中で、間違うことによって記憶が強化されるというものがあった。
それを観て思ったのは、間違うことをわざと引き起こしやすい状況に置くことによって、短時間で何度も間違い、記憶力の強化につなげようと考えた。

問題はその間違うということが、なぜ記憶力の強化につながるのか?ということだろう。

昔ボブが考えたのは、間違いというのは、答えを覚えなければ、何度出力しても同じような間違いを起こす安定性がある、ということに目を付けたことがあった。
そして、その安定した同じ間違いから答えを知ることによって、安定した間違いと答えが結びつく。
その結果、次に同じ問いにあたったとき、安定した間違いを思い出し、次にその安定した間違いと結びついた答えに行き着くというプロセスがあるのではないか?と考えた。

きっとこの答えも完全な間違いではないだろう。
しかし間違いというのはそもそも記憶術をしている人ならば知っているだろうが、不思議な性質がある。
例えば記憶術で「ドスコイ」という相撲で使われるような掛け声を覚えたいとする。
ボブの場合「ドス=刃物が、コイ=来ている状況をイメージする」とする。
すると、刃物が来ているという状況は、間違いで、本来はドスコイという掛け声を覚えたかったんだ、ということが無意識にわかる。
これをいつも不思議がっているのがボブだ。

正解を忘れた場合でも、ほとんどの場合、「これは何か他の情報を表しているんだ」ということは思い出せる謎。
何を持って、間違いは間違いたり得ているのか?

その他にも間違いというのは、きっと多くの性質があるだろうと思う。