推論という観点で同じものを観る

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昔、赤い玉、黄色い玉、青い玉という三つの玉がある。
この玉の内、2つの玉を使った場合、その残された玉の情報だけで、2つの玉のそれぞれを覚えておくことなしに、覚えられるという研究をしていた。
具体的には、赤、黄の玉を使った場合、残された青の玉だけを覚えておくことで、赤、黄の玉という2つの情報を覚える必要性がなくなるというものです。
これは一種の情報量の減少法則だとボブは今まで考えてきた。

でも今回ボブが思ったのは、情報量減少ではなく、純粋に推論の一つの形だとボブは思った。
確かに情報量の減少現象でもあるのだけれど、これは一種の推論ともみなせる。
この現象の含蓄は、“絶対存在しているモノを取り除いた場合、後からでもその取り除いたモノを復元することができる”というものでしょう。

ここで問題になるのが、「絶対存在しているモノ」という前提を取り払った場合、どうやってそこに存在しているモノを推論するの?ということです。
例えば、A、B、Cは絶対存在しているが、X、Yは絶対存在しているわけではないと言った場合、ここで取り除いた文字は何か?という問題があった場合に、A、B、Cについては取り除いた後の情報があれば、必ず正解できる。
しかしX、Yについては必ずしも正解できないという状況になる。

これをどう乗り切るか?
そしてそれをどう記憶に結びつけるか?という問題があります。