自己イメージと超自伝的記憶力

これはTwitter上で先行的に核となるアイデアを載せた。
これは記憶術に関しての様々なアイデアを作る際に、どうもこのアイデアだけはついて回るな~と思うアイデアの一つで、たぶんかなり重要だと思っている。
そのアイデアというのが自己イメージだ。

自己イメージとは心理学などで用いられるセルフイメージといった、自分に対する自己の評価などのことではない。
ボブがここで使っている意味は、単純にイメージの世界での自分のイメージのことで、割と複雑性のないことだ。
この自己イメージは今日あったことなど、直近の自己が感じた体験について回るイメージ。
でも大昔のことになると、そこに自己イメージが存在していることは少ない。
確かに自己の体験とした日常のイメージであっても、ダンダンと自己のイメージは省略されて思い出すようになる。
これがなぜかは知らないが、自伝的な記憶であってもそこに自己のイメージが存在しているわけではない。

この自己のイメージが何故必要なのか?を考えていくと超自伝的記憶力、つまりHSAMの人たちや偉大なる記憶力の物語で登場するSことソロモンシェレシェフスキーという人物に行き当たる。
彼らの話を調べるとどうも自己のイメージがイメージの世界で確実に存在していることがわかる。

ボブの考える理論的な話をしよう。
まず記憶術というのは、情報として“安定的”な情報を使っている節がある。
この安定的とは記銘した情報が想起時も高い確率で想起できるという意味程度の語句だと思ってほしい。
例をいえば、直感的なイメージに変換するというものがある
この直感的というのが大事で、論理をこねくり回して変換した場合と比較されることがある
論理をこねくり回した方は、想起時に想起できる可能性が少ないが、直感的に変換した場合、記銘時の変換がそのまま想起時にも想起できること多いという経験則が成り立つ。
他にも場所法はいったん場所を記憶することで、想起時の安定性を保っていることからもわかる。

この安定的な情報の一つが自己のイメージ。
自己のイメージは意識しないと記銘しにくいというたぐいのものだが、意識すればどんな情報にも付随させることができ、情報としても安定的な情報の一つだ。
この安定的な情報の一つであるという点が、記憶力の強化に必要だと考える理由の一つだ。

しかし考えてほしい。
なぜ自己のイメージが消えて行ってしまうのか?
反対にHSAMの人たちはなぜ自己のイメージを長期に渡り記憶していられるのか?
これには実証された見解はない。
だがボブは一つの仮説を持っている。

その仮説とは「想起時に必ず自己のイメージから、その周辺の情報にアクセスしているからではないか」というものだ。
つまり一般的な人たちは“直接的に”思い出したい対象を思い出しているのに対して、HSAMの人たちは“間接的に”思い出したい対象を思い出しているのではないか、ということだ。
この間接的にというのは、HSAMの人たちはまずその思い出したい対象を記憶した時点の“自己イメージ”を思い出し、次にその自己のイメージに付随している思い出したい対象の情報を間接的に思い出しているのではないか、ということだ。

この方法論だと必ず自己のイメージを経由して、対象を思い出しているので復習の際自己のイメージも復習され、自己のイメージが消えにくくなると思われる。

だがしかし、謎なのは自己のイメージを付随させて想起している蓋然性(がいぜんせい)はボブは高いと思っているが、いったい自己のイメージの何を覚えているのか?がいまだにわからない。
HSAMの人たちは思い出した日の服装などは全く覚えていないことから、自己のイメージといっても全てを想起しているわけではないということがわかる。
また感情をその思い出した日のまま追体験するといっているところから、主観的な視点から体験を思い出していることがわかる。
これは主観的な視点で過去を思い出すと、感情が追体験され、第三者の視点で過去を思い出すと感情が追体験されにくいという研究から考えられることだ。

上述の理由で自己のイメージはかなり重要だと思われるが、この方法を使うのはまだまだ工夫が必要かもしれない。

ソロモン・シェレシェフスキーはただの一般人だとする仮説

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ソロモンは共感覚持ち、直観像を持ち、絶対記憶力、つまり一回で覚えることができる能力があったと言われている。
しかしボブとしては、超人や天才だからとして話を終わらせたくない、という思いがある。
その点のバイアスはあるだろうが、仮説的に彼を天才ではない、誰でもできる技術によって、その超人的な記憶力があったと仮定することにした。
そして、そう言える理由を考えた結果、彼は想起の定速性、定量性、マジカルナンバーを破っていないと考えられるいくつかの理由を見つけた。

想起の定速性とは、どんなに頑張っても、一定のスピードから想起スピードが上がらなくなる現象のことです。
想起の定量性とは、どんなに頑張っても、一回の想起で一定の情報量以上想起できないという現象のことです。
マジカルナンバーとは、主に記憶の場面で使われるのですが、一回で保持していられる記憶量には限界があり、ある数以上の情報の塊しか保持できないという現象のことです。

それでは、彼が凡人だと言える証拠を挙げましょう。
それは「あまり速く話されると、イメージとイメージがぶつかり合って、ぐっちゃぐっちゃになる」という感じのセリフが、「偉大なる記憶力の物語」という本出てくるからです。

ここでわかることは、彼も凡人と同じで、イメージするときに「中央」にイメージが出てくるということです。
そして、この時点で、想起の定速性を破っていないことがわかります。
さらに言えば、もしイメージの定量性を破っているのならば、長文を聞いてある程度のところで、一括してイメージすればいいので、定量性も破れていない可能性があります。
その上、マジカルナンバーを破っているのならば、文字に対して記憶術を用いる必要性もないのです。

この点から考えると、たぶんソロモンは優れた記憶術を持っていただけではないのか?と考えられます。

ソロモンの記憶術・記憶体験②

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偉大なる記憶力の物語で出てくるS、ことソロモン・シェレシェフスキーの記憶体験からの発想。

どうやら、ソロモンはありとあらゆる情報を記憶に取り込んでいたようです。
ここで、特にボブが注目しているのは、ソロモンが記憶した状況を詳細に記憶していて、それを想起の際に再現して、想起したい情報を想起していたらしいということです。

普通、記憶しているときは、ボブは視野が狭くなっていて、周りの状況なんて覚えていません。
それをソロモンは、周りの状況まで覚えているのです。

ここで、ボブが思うソロモンの記銘状況は、「ソロモン自身を含んだ、ソロモンの背後斜め上ら辺から、俯瞰した情景を眺めているのではないか?」という仮説を立てました。
これは解離という精神疾患の人の体験に似た状況をボブは想定しています。
ので、いつも背後斜め上にいるわけではありません。

この方法のよくわからない部分は、ソロモン自身が考えているイメージなどの内心をどう表しているのか?や同じ場所で起きたことをどう分別しているのか?などの疑問が残る点です。

ともかく記銘の際は、記銘したい対象だけでなく、視野を広く保つのが、大事なようです。

ソロモンの記憶術・記憶体験

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偉大なる記憶力の物語に出てくるS、ことソロモン・シェレシェフスキーで新たなる発見が!
ソースは「脳が認める勉強法」という本です。

その本のP89の「ずっと頭の中で見え続けるのです」という記述が気になりました。
なぜ気になったのか?というと、もし仮にイメージの世界であっても、「見え続ける」という言い方はしないのではないのか?と思うからです。
イメージの世界であっても、目を離すという行為はできます。
つまり目を離すという動作はできるが、“見え続ける”のだと考える方が妥当だと考えます。

ここで、ある最強に近い方法をご紹介しましょう!
それは覚えたいイメージがあったら、“視界”に張り付けるという方法です。
これは視界に張り付けるのであって、決して、外界にイメージを張り付けておくのとは違います。
あたかも自分の視界がテレビのモニターのようになっていて、頭の中でその画面に覚えたいイメージをPCのアイコンのように張り付けるということです。

こうすることで、その覚えたいイメージは「見え続ける」のです。

キムピークやSを考えて

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キムピークは小脳が発達していた。
偉大なる記憶力の物語で出てきたSは、瞬間記憶ができた。

対文章式記憶術はSを意識した方法です。
だがしかし、たぶん失敗です。
真似になっていないでしょう。

最近Sの記憶力の本質だと疑っているのは、イメージを一つにするのではなく、その圧倒的な瞬間記憶能力だと思っています。
つまり、瞬間記憶能力を使って、何度もイメージの全体を覚え直しているのではないのか?ということです。

そこにキムピークの小脳の発達をプラスできれば解決できんじゃね?みたいに最近思っている。

最近入った情報によれば、小脳は知覚の情報処理に関わっているということ。
これは簡単に解釈できます。
つまり、この世の理解というのは、全て動作を内包しているからです。
簡単に言えば、リンゴというのを理解するにあたって、リンゴをリンゴと認識するまでのプロセスがあり、これは小脳で処理されているのでしょう。
さらにもっと細かく言えば、リンゴの形を観るときに、目の動きをどう動かしていくか?やそれをどうつなげるか?などの一連の運動情報と知識との照らし合わせなどを行っているのだと思います。

この小脳は結局、情報の入出力と情報の順序付けや体系付けに関係しているのではないか?と思っています。
細かい情報を順序付けて塊にし、それを体系付けているのではないでしょうか?

ここで少し思ったのは、描くという行為です。
嘘か本当かわかりませんが、Sは観た景色をスケッチのように頭に描いたと言われています。
このスケッチを頭の中でするというのも運動です。
さらに対文章式記憶術では見立てることによって記憶に残し、今はまだ少しですが成果を上げています

この考えから、スケッチするときの線を描く運動を、“他のことの運動”に置き換えられないか?ということを思いました。
なかなか言葉では説明しにくいですが、例えば柵などの縦棒を書く際は、キャベツを包丁で縦にみじん切りしている運動を思い出しながら、柵の縦線を頭の中で思い描くのです。

これでどうにかなるかは、全くわかりませんが、いちおうこの仮説も出しときます。