ちょっと矛盾していますが、ボブが記憶術を研究開発する上でやっていることです。
何をもって中期的とするかはわかりませんが、短期よりは長いので中期と書きました。
ボブの経験上一つのテーマについて考えまくるのは必須です。
ですが、長時間継続して考えたからと言って、新しいアイデアが降ってくるわけではありません。
では、どうするか?
中期的に考えて、それであまりアイデアが降ってくるような調子にならなかったらいったん辞めてしまいましょう、ということをしています。
その点が断続思考なのです。
それを一日に何度も繰り返しています。
あんまり考えまくっても、生産性が落ちる気がするので、このような思考をしています。
Yearly Archives: 2020
干渉を防ぐための簡易な場所
当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
人間は一回で二つのイメージを思い出すことができません。
そのためか、似たようなイメージを記憶したとき、必ず干渉が起きます。
そこでボブは似たようなイメージを覚えたら、必ずそのイメージ達に共通する名前を付けます。
そしてそれを簡易な場所に置きます。
例えば恐竜のようなイメージが多く出てきたら、「爬虫類」という名前を付けて、それを対文章式記憶術のパーツに直します。
この簡易な場所は、その共通する名前を対文章式記憶術で表したときのパーツの形をボブの場合させています。
そうすることで、次回それと同じようなイメージが出てきたら、爬虫類という名前からその場所の形をすぐに導けるようになります。
そしてその場所に似た情報を置いていきます。
このとき、どこでも任意に置いていいのですが、場所に意味を持たせるといいでしょう。
例えば右上に元になるイメージを置いたけど、次のイメージはそれより小さいから、子分ということで上下関係を表すような元のイメージの下の方に次のイメージを置こう、などなどです。
ここで注意してほしいのは、これは対文章式記憶術だからできる技ということです。
そもそもイメージが被るから、そのために干渉しないよう、他の場所を用意するなんてことしていたら、普通の記憶術ではあまり好まれないことだと思います。
なぜなら、同じイメージを違う2つ以上の場所に置くとそれ自体干渉の元となるからです。
では対文章式記憶術ではなぜ大丈夫なのでしょうか?
それは対文章式記憶術では、あまり場所に頼らなくても大丈夫だからです。
さらに対文章式記憶術では、そもそも見立てたイメージに名前を与え、パーツに還元してしまうことがあります。
このパーツに還元している時点で、イメージとして違うため、同じ情報を表しているにも関わらず、他の場所に置いても大丈夫なのです。
その上、そもそもパーツの組み合わせ方を変えても同じように他の場所に置けますし、見立て方を変えても同様に複数の場所に置ける状態になります。
このようにたぶんに対文章式記憶術の恩恵を受ける形の方法です。
ライトナーシステムを頭の中で
当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
単語カードは素晴らしい発明です。
対文章式記憶術のパーツなどなどの情報も単語カードと普通の記憶術を使って覚えています。
何よりスゴイのは、覚えていない情報だけを何度も繰り返せるということです。
時間的に節約され、大変快適な記憶術ライフを送ることができます。
さて、そんな単語カードをシステムにしたような方法が存在します。
それがライトナーシステムです。
これを使い回せば、かなりの記憶時間を節約できることでしょう。
ライトナーシステム自体の説明はここでは省きますので、どうぞグーグル先生に聞いてください。
今回のテーマはライトナーシステムを頭の中でできるようにするということです。
ライトナーシステムをする上で始め考えたのが日付に対応した場所を作って、その場所に次々と情報を置くことを考えました。
しかしもっと簡略的に、7個の箱のような場所を用意して、それを使って次々に情報を置いていくというのでもいい気がしました。
そこでこれは仮ですけど、黒、白、赤、紫、青、緑、黄、茶、オレンジという順で色だけ設定して、他何も決めていない場所を生成し、そこにイメージを置いていくという形にしようと考えました。
例えば1ページ勉強したら黒の場に入れて、次の日黒の場からそのイメージを復習します。
合ってたら、紫に入れて、間違ってたら、白に入れます。
使い終わった黒の場はオレンジの後ろに今度は配置し直します。
そうすることで、9日後にまた黒の場を使えるようにします。
そんな感じで使おうと思っています。
あと大事なのは、1日後にやるイメージと3日後にやるイメージが一つの色の場に混在した場合などは、わかるように分けておくことです。
最後にこれはボブの場合、対文章式記憶術のイメージでやるので、普通の記憶術では難しい可能性があります。
なぜなら、色の場に置くイメージは全てまとまったイメージをまたパーツに還元し、それを1日単位などで組み合わせて、まとまったイメージにするつもりだからです。
普通の記憶術で作ったイメージだと、組み合わせることができないため、ごった煮状態になることが必至です。
ある意味で対文章式記憶術の恩恵の一つを行使しているからできることなのだと思います。
記憶術学基礎論(両極性の発見)
当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
大体この世のものは両方あることが多いです。
割合はともかく一方があったら、その対極というのが存在していることが多いのです。
例えばボブも記憶術の情報の増加の側面に最初目を奪られましたが、色々試しているうちにどうも反対の情報の減少の側面もあることを発見しました。
情報の増加の側面とは、りんごという言葉にイメージのリンゴを加えることで、情報が増加しているという側面のことで、情報の減少というのは、り、ん、ごという三つの情報をリンゴという一つのイメージに直しているという側面のことです。
さらに他の例で言えば、情報の類似性が高いとどうも働きがいいということもわかったのですが、反対の情報の相違性、つまり多様性が高くないとそれも働かないということもわかりました。
情報の類似性とは、既知の情報と類似していることを使って記憶術を働かせているということで、情報の多様性というのは、その既知の情報が多様でないと働きが悪くなるということです。
類似性はわかると思いますが、多様性というのは、その類似させている情報が多様でないと干渉が起き、記憶術として成り立たないということです。
このように一方が必要だとわかったら、反対のもう一方も必要であることが多いので、両極性に注意すると一つの発見から自動的にもう一つを発見できることがあります。
情報を入力し続けることによる忘却(アガナエ!)
当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
人間は情報を見たり、聞いたりすることにより、大半を忘れるという。
そこで今回はその忘却に少しでもアガナエる方法を提示しようと思います。
まあ、普通超自伝的記憶の人達も本読んでも、自分に関わりないことだとドンドン忘れるらしいです。
では、反対に聞くけど、本なのに自分に関わることだとなぜ忘れないのか?
その仮説は
①感情が動くから
②自己が関わっている様子を描けるから
③想起のスケジュールに組み込めるから
ではないかと仮説ってます。
①はいいとして、②はたぶん彼らがやっている想起法というのが、自己を軸にして想起する方法だからだと思われます。
③はそうして②でイメージした情報を何らかのスケジュール化して思い出す方法を持っているのではないか、と一番謎で現在わからないところです。
さて話は戻りますが、そうそうアガナエる方法ですね。
今回は本の内容に限定しますが、出来事を少し情報を覚える度に挟むとアガナエるのではないか、と思っています。
つまり仮説です。
例えば1ページ読んだら、外に目をやって今の自分の変化を軸に印象に残ることを探す。
そしてその後、変化を見つけたらすぐさま1ページの記憶術的イメージと結びつける。
そう外界の情報を意識的にイメージと結びつけまくるのです。
まだ仮説なので本採用になっていませんが、できればこの自分を含めた外界と本の内容を結び付ける規則性などを研究したいですね。
マス目の場の構造
当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
マス目の場とは、縦3×横3のマス目を使った場のことです。
つまり行列マスのことです。
このマス目を場として色々使おうと画策して来ましたが、みなさんなぜボブが3×3マスばかりで、その実現をしようとしていたかお分かりでしょうか?
それは人間の認知能力で無理なくイメージできるのが、3×3マスだからです。
この無理なくというのは、ボブ調べですが、これ以上、例えば5×5マスになると少し無理が生じます。
しかしそれを打破する方法が今回ボブのテーマです。
マス目の場の“構造”となっているように、マス目自体に構造を持たせることでボブは解決を図ることにしました。
構造の一つが“高さ”です。
例えば5×5マスでも
⑤④③②①
④④③②①
③③③②①
②②②②①
①①①①①
という配置にします。
①~⑤は高さを表します。
①が一番低く。
⑤が一番高いです。
このようにすると高さによって位置に特徴が付き、そこに置いたイメージの位置が分かりやすくなります。
構造と言っている限りはこのように高さだけが、構造ではないので、ガンガン発想を柔軟にして、色々試してみるといいと思います。
この方法を使えば、中間プットの理想形であるノートのような記憶術につながるかもしれません。
記憶術学基礎論(観察と内観の違い)
当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
普通に目で見て観察する場合と心的現象を内観する場合とでは何が違うのか?というテーマです。
普通に目で見て観察する場合は、実は対比して見ているのではないでしょうか。
つまり心の中にある観察対象のありようと、今自分が目の前で見ている対象を対比することで、その違いを浮き彫りにしているのでしょう。
例えば、本のない本棚を観察する場合、“普通”ならばここには本が入っているということが観察できるのは、心的にその本棚に何かしらの本が入っている場合をイメージし、それと目の前の本棚を対比しているからだと思われます。
この視覚的な仮説をボブは“視覚的仮説”と名付けています。
もちろん知覚心理学で言われている形の同定から意味の同定という形も存在していると思われます。
これに対して内観の場合、“言語的仮説”が力を発揮するのではないでしょうか。
つまり内観した場合は、それ自体が心的な情報であるため、別の心的な情報と対比させるためには、言語の力によって状況を設定する必要性があるのではないでしょうか。
ここで一番有力な言語は“普通”ならばです。
例えば「心的にイメージした情報が消える」という現象を観て、ボブならば「普通ならば消えないはずだ!」という仮説を作ります。
そしてそれを「なぜ消えるのか?」という疑問に変えて、思考してみています。
このように普通という言葉は、無数の意味を持っています。
人によってその設定の仕方が違います。
なので、かなり曖昧な言葉なのですが、結構天啓を与えてくれます。
ミクロとマクロな関連付け&関連付けの理想
当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ミクロとマクロな関連付けが存在していることに気づきました。
ミクロとは例えば「い」の斜め線一本に対して関連付ける場合です。
つまり小さい特徴を見つけ出して、関連付ける場合です。
もう一つのマクロな関連付けというのは、例えば「い」の全体を使って関連付ける場合です。
全体を一つの特徴として見做して関連付けるということです。
では微細な特徴に関連付ける場合と全体を特徴と考えて関連付ける場合のどちらがいいのか?というと、「他の特徴と被っていないならどうでもいい」とボブは考えます。
ようするに、特徴を細かくみていった場合に、その特徴がすでに関連付けとして使った特徴と似ている場合、それは干渉の元になるのでやめなしょう、ということです。
そしてそれとは別なのですが、関連付けの最終的理想は、情報の取捨選択を自在にできるようにすることだと最近思いました。
例えば、全く別々のページに実は一つの表にまとめられるような情報がバラバラに載っていた場合に、その情報を自在に拾い上げて、その表を作るようなことができたらいいなーと思っている次第です。
情報数保存則と対文章式の実現
当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
圧縮目指した者からの一つのお話。
対文章式記憶術でパーツを組み合わせて、何かに見立てる。
そしてそれに名前を付けて、またパーツに還元する。
たぶん使っている人は、当たり前のように使っていると思います。
でもこの圧縮が成立するのは、当たり前ではないのです。
実は圧縮って本当は情報数を減らさないと成り立ちません。
全情報を持ったまま、複数の情報を少ない情報に直すことなどできないのです。
もし仮にできてしまうと、最強の記憶術ができることになりますが、今のところ無理なのです。
では、対文章式記憶術では何の情報を捨てていると思いますか?
それは「順序」です。
順序を捨てているため、対文章式記憶術は見かけ上、圧縮が成立しているのです。
そのためトランプ記憶とか、数字の羅列暗記なんかには向きません。
これらは全て順序を伴なった記憶だからです。
って言っても、全くの無力というわけでもありません。
工夫すれば何とかはなります。
例えば工夫として、パーツの順序ごとに赤、紫、青、緑、黄、茶の順序でパーツに色付けするなんて方法もとれます。
でもこれじゃあ、6個の順序しかできないなーと思われた方もいるはず。
もし仮に茶まで行ってしまったら、また赤に戻ればいいのです。
6順序違えば、同じ色があったとしても感覚的にわかると思います。
と、こんな方法があるというだけで、これはボブ的にはスマートじゃないと思っているので、今のところ本採用していません。
自伝的記憶について
当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
Twitter上でもつぶやきましたが、HSAMの人は自己の介在していない記憶に関しては忘れる傾向にあるらしいです。
でも考えてもみてください。
自己の介在していない記憶なんて存在しているのかな?
答えはNO!です。
確かに世の中には意味記憶や本の自分の存在しないストーリーなどなどは存在しますが、全て「自分」という五感を通して処理しているはずです。
なのに、自伝的記憶じゃないから忘れるー。
あり得ないですね!
つまり彼らの言っている自伝的記憶ではないものというのは、少なくとも「自己の介在いない記憶」ではないということです。
彼らに存在していると思われるのは、相互反応性と言えるものだと思います。
相互反応性とは、自分の反応と周囲の何かの反応が相互に起きることです。
彼らはきっと自己を記銘、想起の起点としているのだと思います。
つまり普通の人は、「外で見た景色を記銘し、想起しよう」とします。
けれど、HSAMの人は「自己の内面や身体的感覚などを記銘し、そして外のことと結びつけて記銘しようとしているのでしょう。それは想起のときも、まず自己のそのときの内面や身体的感覚を想起し、そして外のことを想起しようとしている」のだと仮説ってます。
つまり普通の人が外の情報を起点としているのに、彼らは“自己”を起点として記銘、想起しているのだと思います。
こう考えると彼らはメタ認知を駆使して、自己の内面の微妙な変化をすくい続けているのだろうと思います。。。