高必要性による自伝的記憶力の強化

ワイ「あーいい天気ー!」
スキピ夫「そうですネ!」
???「ゴーファイ!!」
後ろを振り返るワイとスキピ夫。

スキピ夫「ミニ四駆やん!」
ワイ「はっ??なぜゴーファイ??なんか混ざっている気がする」
???「イッケー、粉々にしろー!」
ワイ「なんか物騒なこと言っとるー」
???「どうしたー!肉まんの方が粉々に~~~!!」
ワイ「あの人ミニ四駆に肉まんって名付けっているんだが」
???「助けてください!!」

ワイ「なんかセカチューのパロ、一人でやっている危ないヤツがいるんだが。。。関わらんどこ」
スキピ夫「俺のこの手が光って唸る!お前を助けろと轟叫ぶ!!」
ワイ「なんかスイッチ入ってますー??もしもーし??」
スキピ夫「大丈夫!私が来た!!」
???「お~!オールピーーーー!!」
スキピ夫「私の部品でその肉まん、、何とかしよう!タクミくん!!」
ワイ「部品??タクミ??何を言い出しているの?」

スキピ夫「ワイには黙っていたが、私は実はロボットだったんだ!」
ワイ「ロボット??」
スキピ夫「私の全部品でこのミニ四駆を直っす!全身全霊で!命をかけて!」
ワイ「白熱しているところ申し訳ない!ミニ四駆に命かける必要ある?」
スキピ夫「タクミくん、、、今直す!」
ワイ「そのタクミってお前が勝手に言い出してるんだけど、、何?」
スキピ夫「丸い顔、つまりタクミってことだよ。。」
ワイ「謝って来い!それ!!」

スキピ夫「それはそうと部品をドンドン移植して行こう!輸血しないと!!メス!!」
ワイ「輸血ってオイルだし、メスとかドライバーだし、自分を解体しているし」
スキピ夫「ちょっと雑に扱わないで、その部品一個一個に感覚があるの!!」
ワイ「感覚あるの!?機械なの?生物なの?どっち??」
スキピ夫「私が子供の頃の夢は人の記憶に残るような人になることだった。。。今まさにこのミニ四駆の記憶に。。」
ワイ「ロボットだったら子供の頃ないよね!しかもミニ四駆って記憶しないから!!夢破れちゃうから!!」

スキピ夫「意識が飛びそうだー!何か自分を低い位置から見ている感じがする!!」
ワイ「まって!それミニ四駆に意識移って来てるから!たぶんハガレンの人体錬成の失敗で弟が見た景色と同じことになってるから!!」
???「ありがとう涙。こんな自分を犠牲にしてまでも僕のミニ四駆を助けてくれて!」
ワイ「スキピ夫ヤバいことになっているんで、今お礼言われても!!」
???「僕には返せるものが、顔しかないんだ!お礼にどうぞ!!」
スキピ夫「タクミ君、いくらタクミだからってそんな煙突から出て、絶対すすで汚れているようなパン。しかも賞味期限がわからないパン。大きすぎて中まで火が生通っていないんじゃないか疑われるようなパンをマネして出さなくっていいんだよ。。グフ!」
ワイ「待ってこの人別の涙がこみ上げてきているよ!もしかしてこの人アンパンの人じゃないの??」
???「涙」

こうしてタクミは泣きながら去っていった。
ミニ四駆を置いたままで。。

今日の学び

今回の学びは、自己が存在している記憶、つまり自伝的記憶では自己に必要性がない場合、記憶から忘れ去られる運命にあるということです。
よって、自己の存在が必ず必要な状態を作ることが自伝的記憶にするための第一歩だと考えます。

加えてボブは対文章式記憶術の感覚化という命題もクリアしたいと考えています。
そこで出てくるのが感覚刀痕術です。
これを応用すれば情報の感覚化は思うがままです。
本当は認知したときの感覚を基に感覚化をしたいのですが、認知の感覚って必ずしも一定ではないんですよね。
そこで筋肉などの運動感覚を基にして感覚化を作り出そうと考えました。

しかし自己イメージに感覚刀痕術を応用すればいいというのは早計です。
なぜならもし自己イメージに感覚刀痕術を応用した場合、自己イメージの中だけで完結してしまいます。
ようするに外界の情報が全くいらない状態になります
それだと記憶の情報としては弱いし、応用も利かなくなります。

そこで今回の学びです。
つまりあなたも私もスキピ夫になれ!ということです。
彼がしたように部品を自身の肉体から摘出してくるイメージをすると、感覚も残る上、摘出した部分が穴になり肉体的なイメージも持つことになります。
さらにその自身の肉体から摘出してきた部品を外界で組み合わせることで、モノのイメージとしても残ります。

こうすることが、今のボブが考えた自己イメージと外界のイメージを最も“自然に”関連付ける方法だと思っています。

時計とまどろみの記憶喫茶

ワイ「休む所ないかな?」
スキピ夫「あ、それわかるー」
ワイ「あっ!あそこに喫茶店がある!!」
スキピ夫「それな!」
喫茶店内
ワイ「喫茶店ってさー、スタバックスみたいに呪文みたいな注文しないといけない所あるじゃん。あれ苦手なんだよなー」
スキピ夫「じゃあ!ここ最高に活かしているじゃん!」
ワイ「え!どういうこと?」
スキピ夫「だってほらメニュー見てみてよ!「コとかミとか一文字しかメニュー並んでないよ!」
ワイ「本当や??(汗。メニューにコとかミとかしか書いてない。。」
店員「いら!」
ワイ「この店員今いら、しか言わんかった!(汗」
店員「聞いていましたよ~。そうですよね~。某喫茶店では呪文のように長いサーバントを呼び出しているんじゃないかぐらいの商品名を言わせて、言えない人の恥らいを視姦して楽しむ変態的店もありますからね~」
ワイ「いや~。さすがにそこまで変態じゃないと。。。」
店員「しかしそんな恥をかくことはもうありません!この店は全ての商品が一文字で注文できますからね。HAHAHA」
ワイ「外国人風の笑いしているところ申し訳ないんですけど、全て解決したみたいな感じでいうのやめてもらえません?全然全て解決してないんでー。ていうかもはや何注文できるかわからないし、むしろ長くても何注文しているか少しわかる某喫茶店の方がまだ何かしらマシなんですけど。。。」
スキピ夫「じゃあ、僕、コを」
店員「コ、注文受けたまわりーーー!!」
ワイ「えっ!コでいいの?コが何かわからないのに!!」
スキピ夫「コからわからない!?」
ワイ「一切わからん」
スキピ夫「考えるんじゃない!感じるんだ!」
ワイ「コ以外何も浮かばない!だってコ以外の情報ないじゃん!!」

今日の学び
この例からわかりますか?
ワイの言動、コ以外何も浮かばない、という所より
このワイから得られる情報の原則は、想起“前の連想”、つまり思い出すための連想と想起“後の連想”があるのではないかと現象を分けられます。
これをボブは前連想と後連想と名付けることにします。
前連想は想起に関係ありそうな情報を連想し収束して特定の情報を思い出す作用があります。

ここでボブは前連想で安定的な情報として考えたのが、「自己の状態」と「時間的関連付け」です。
どちらも重要ですが、これを一括した情報として把握できるといいように思います。
自己の状態で時間を把握しようとすると、「腹の減り具合」「尿意」「眠気」という三大要素があります。
これらでだいたいの時間を把握できるかもしれません。

ここで自閉症の人たちが徹底的にスケジュール通り行動しようとするこだわりがあることに思いがいたります。
自己の状態だけだとだいたいしかわかりません。
そこで例えば「11時~14時は昼ご飯の時間」「12時~13時はトイレ」などといった時間ごとに意味を複数個つけておくと、例えばある日の昼ご飯は何だっけ?と思ったとき、この日は病院行ってたからだいたい11時30ぐらいで、昼飯どきだから、そこでコンビニに入ってパスタを買ってたなどなど、ある特定の時間や予定を軸に時間ごとの意味づけから想起条件を絞れます。

日常を覚えたいときに意図的に時間との関連付けや理想的スケジュールの比較や時間的位置を確認するのが効果的かもしれない。
ここで問題になるのが、HSAMの人たちと同様で細かい日常以外の情報(例えば知識)を覚えるのにはそれなりに苦労するということです。
どうやったらこの方法に文章などを入れ込めるかは現在のところ検討されていません。

1000個の情報を30個の情報に圧縮する技術

対文章式記憶術では無理ゲー扱いしてきた1000個規模の情報をわずか30個の情報を覚えることで足らす方法をボブは思いつきました。
対文章式記憶術でも5個の情報を1個の情報に置き換えることを目指しましたが、今回はその比ではありません。
なんせ記憶効率が桁違いです。
まだ思いついたという段階で実証はしていませんが、たぶんできるでしょう!と思っています。

その説明にはまず前の記事で紹介した連想数に関わる問題の説明が必要だと思います。
連想数とはリンゴ→ミカン→バナナという連想があるとします。
リンゴを1、ミカンを2、バナナを3として連想した内容ではなく、連想した数についてのみに注目したのが連想数です。
そして前の記事では連想数を使えば、数に情報を対応させることで様々な文章も記憶できるようになるんじゃないか、とのたまったわけです。

でも昔のボブはどういうわけか、この連想数を使おうとしていなかったのです。
なぜか?は今日考えてたら判明しました。
それは連想数に単語などを対応させて、連想数でその単語を表現するよりも、普通にソロバンの数珠などを使って数を表した方がかなり合理的だということがわかりました。
そういえば昔のボブも同じことを考えて、連想数をお蔵入りさせていたなと思い出したしだいです。

では連想数は何にも使えないのか?と思って今日は考えていました。

すると連想数の足し算や掛け算ができることに気づきました。
足し算は普通に連想同士をつなげればいいとして、掛け算をどうするか?を考えていたら、2×2の行列マス(表)を掛け算に対応させるという思いつきにいたりました。

つまり行にリンゴ、ミカン、列にメロン、バナナと配置して、その連想したリンゴからミカン掛けるメロンからバナナへの連想をした結果として2×2のマス目という形で対応させようと考えました。
このマス目にはリンゴとメロンから連想できるモノAを配置し、同様にリンゴとバナナやミカンとメロンやミカンとバナナの各対応から連想できるモノをイメージしていきます。

そんなことを考えていたら、この掛け算ってもっと重大なことができることに気づきました。

2×2だと4マスができ、要素の数も4つで全然おいしい話ではないのですが、3×3だと9マスに対して要素の個数6個で少し得をします。
では4×4だと16マスできるのに対して要素の個数は8個でおいしい話になっていきます。
なので、10×10であればマスの数は100マスなのに要素の個数は20個です。

ここで要素って何と思うかもしれません。
ここでボブが使っている要素とは、(スマホだと崩れるかもしれない情報です)
  A列  B列
C行リンゴ ミカン
D行メロン バナナ

という2×2の表があったとき、A列、B列やC行、D行に入る共通項のことです。
共通項とはリンゴ、メロンだったら茎がある、といったことでこの場合はA列の所に「茎がある」と入ります。

このように16個の情報があったら、まず4×4の行列マスに置いて、そこから共通項を行列的にみて導き、その共通項だけを覚えるというものがあります。
4×4であれば共通項は8個だけになり、覚えている量を減らせます。

タイトル回収です。
10×10×10の行列マスを創れば、1000個の情報を覚えるのにわずか30個の情報を覚えるだけで済みます。
これがタイトルのカラクリです。

この30個の情報を連想数で覚えるのはどうかと思っているしだいです。

連想数と連想内容による情報の記述

連想数とは例えばリンゴ→バナナ→ミカンといった形で連想したとき、リンゴを1としてバナナで2、ミカンで3と数えていく方法です。
このとき内容はいかようにでもいいと考えます。
ようするに連想したイメージの数が問題となり、そのイメージそのものは何でもよいという考えです。
結論だけ言えば、この連想の数で情報を表そうということです。
この連想の数をこれから“連想数”と述べることにします。
例えば連想数が1であればリンゴ、2であれば「is」、3であれば「the」といった情報を表すと決めておきます。
そうすることで、連想した数がそのまま文章の記憶になるという考えです。

ただしこの方法だと莫大な数に対応した単語とかになると、全然連想数で表せないのは自明です。
例えば連想数が1000個の単語なんか、あったとしても1000個も連想することができません。
結局これを解決するのが連想内容です。
つまり1~10の間の連想は全て「魚」に関することとして、11~20の間の連想を全て「虫」に関することにするなどして連想します。

こんな方法どこから思いついたのか?
この方法の根拠はどこなのか?気になるでしょう。
それは自閉症の人たちの色んな物を直線状に並べる遊びからです。
彼らには2つの説をボブは持っています。
1つはこだわりから来る整理の仕方があり、その整理の仕方によって、情報を整理するために最強に近い記憶力を持つに至ったとする説です。
この整理の仕方が何なのかが実に知りたいところではありますが、ボブの中では有力な説の一つです。
2つ目は今回述べた連想数を軸にした情報記述体系です。
つまり鎖型の連想を次々にすることで、その連想内容はあまり考慮せずに連想した数によって情報を表すというものです。
これはボブが自閉症の人たちがこだわりの整理と関係ないと考えた場合のもう一つの説です。
ボブの中では有力ではないけど、面白い試みの一つとして残してある説です。

さてみなさんこの2つ目の連想数を使って、情報を表しているとする説を聞いて「そんなの無理だよー」と思った方多いのではないでしょうか?
なぜ無理と考えるかボブはわかっています。
それは連想の鎖が実に簡単に断ち切られてしまうものだからです。
鎖型の連想を長く続ければ続けるほど、忘却のリスクは高まります。
よって連想数で情報を覚えるのは無理と考えたくなるところです。
しかも1~10を「魚」の連想にする?
そんなこといちいち考えて連想なんかやってられるかよ!とも思うわけですね。

これにボブは勝算なく言っているわけではないのです。
今回の発見は、連想の仕方を変えるだけで鎖が断ち切られにくくなるというものです。
それは以下です。

リンゴ→リンゴの茎の部分→木→木の葉っぱの部分→イチョウ→イチョウの葉っぱの部分→オノ

こうするとイメージが消えにくくなるのかな?とまだ実験中の段階ですが、理論上消えにくくなるのではないかとボブは思っています。
これが何をしているか抽象的に書くとこうなります

A→Aの部分→B→Bの部分→C→Cの部分→D→・・・・

ということです。
Aから連想するときにAの部分に注目して、Bを連想します。
次にBの部分に注目してCを連想します。
同様にCの部分に注意してDを連想します。
これを繰り返します。

なぜこれが連想の鎖を強化するのか?というと、普通に連想した連想の鎖は、
A→B→C→D→・・・
となります。
もし仮にBからAとCを思い出したいとき、BはAとCの両方と関連付けられていることになります
やってみればわかりますが、例えばXにYとZとWという3つの情報を関連付けると想起しくくなります。
つまりリンゴにハサミと豆腐と車を関連付けた場合、リンゴからその3つを思い出しにくくなります。

そこでその3つを覚えるためにリンゴから3つの特徴を抽出して、その特徴と一対一の対応を作ります
リンゴの茎の「部分」はハサミで切られた。
リンゴの皮の「部分」で豆腐を包んだ。
リンゴの底の「部分」で車をへこました。
このようにリンゴの「部分」と関連付けることで、情報同士を一対一対応させて、思い出しやすくするのです。

これは連想でも同じで、一対一対応させた方が鎖が強固になります。

でもこれがわかっても「うーん。。でもやっぱりまだ消えやすいよね」というと思います。
そこでボブは反対のことを考えました。

ドーナッツ→ドーナッツを売っている場所の周辺→花→お墓に花を添えている風景→石→モアイ像のある島→山→富士山の樹海→死体→病院の死体のしまってある所→レクター

という感じで反対のことを考えました。
何が反対かわかりますでしょうか?
上述ではイメージの部分にピントを当てていました。
しかし今回は抽象的に言えば以下です。

A→Aの周辺状況→B→Bの周辺状況→C→Cの周辺状況→D→・・・

という感じです。
ようするにAからAの「全体」、使われている状況などを連想し、その状況などに存在しているモノのイメージをピックアップしてきているということです。
先ほどはAの「部分」に焦点を当ててたのが、今回はAの「全体」に焦点を当てました。

この違いは全てのイメージに「場所」を与えることができ、結果連想の鎖が断ち切られにくくしています。
これが開発できたので、ボブは連想数による情報の記述ができるのではないか、と考えました。

またもう一つの問題として1~10は「魚」に関する連想としていましたが、実際は連想の最初のイメージが魚であればよいと考えています。
つまり連想数5の情報を表したいとき、始めの連想数1が魚であれば次の連想が何であってもいいわけです。

今のところ連想数で情報を記述する方法はここまででです。

最速の記憶術開発プロジェクト

どんなことも記憶できるような最速の記憶術はかなり困難だが、メモリースポーツなどに利用できるような最速の記憶術はできるかもしれないという話。
そもそもどんな対象でも記憶できる可能性はかなり低いように思う。
サヴァン症候群の人たちが持つような驚異的な記憶力は、ある“特定分野”に対して強く出ることが多い。
これは記憶術的に言えば、「変換表」のシステムが特定の分野のみに特化して変換できるような組み立てをすることが多いから、他の分野では応用が利かないのではないかと言える。
まあ記憶術的にってところがミソで、記憶術的な方法をとっていない場合はこの限りではないのだが。。。

そんなこんなで、特定の分野や情報に対してなら、特定の変換ルールを用いることで高速で記憶できるようになると考えている。
がしかし、ここで目指すのは最速の記憶術であり、訓練を要するような記憶術ではないことを強調したい。
訓練をあまり要さずに最速にできる記憶術があれば、はっきり言って普通の記憶術は必要なくなる、、、と思う(たぶん)

さー最速の記憶術を考えよう!となったときに皆さんだったらいったい何を使うだろうか?
ボブがガシガシ考えたのがトポス型記憶術だった。
これが最速の記憶術であろうとボブは思っていたが、たぶんもっと最速にできる。

最近の基礎研究から直感と連想とすでに記憶していることなどなど(他にもあるかもしれないので、などなどとしている)が、実際出力する情報を自由にランダムにしていい場合に限り、凄まじい速度で出力できることがわかった。
ただこのランダムさは入力した情報を再現するときに都合が悪い。
なぜなら必ず特定の情報を出力するとは限らなくなるからだ。

ここで最速でできる情報を表す方法がある。
それは視点移動だ。
これはボブの中で最速だと思っている。
もし直感と連想で視点移動して、それで特定の情報を表せた場合、間違いなく最速の記憶術の可能性が高い。
イメージの切り替えをすることもなく、モノのイメージに依存することがない。
まさに最速の記憶術ではないだろうか。

ただこの方法は52枚のトランプを覚えることはできるかもしれないが、大量に覚えて長期記憶にするのは難しい。
なぜなら大量に覚えた際の干渉には耐えないと考えるからだ。
あくまで少量の限られた分野のみに対応する方法だとボブは今のところ思っている。

直感的記憶術の威力

直感と連想の違いは、直感の方が「先入観」といったほかの要素が混ざっている。
でも今のところほぼ直感と連想同じようなものと考えている。

さて前の記事で連想って一回で出力する情報量を大きくできるかもしれない、と述べた。
つまり通常連想という言葉を聞くと、大体の人が単語から別の単語を想起することを思い浮かべるが、別に大量の情報からまた別の大量の情報を想起してもできないことはないことに気づくかもしれない。

これはようするに一回の出力でも直感的でありさえすれば、大量の情報を一回で出力できることを意味する。
これを何に利用するかはまだ考えていない。
が、大量の情報を一回で出力できるようになると、連想でつなげられるイメージの量が格段に上がる。

例えば今までは「リンゴ」から「ミカン」へと単語から単語へ連想していた。
この方法だと想起するときの問題で「リンゴ」から「ミカン」「ナシ」「スイカ」「バタコさん」と連想していくと「リンゴ」から「ミカン」や「ナシ」を想起するときに、必ずしも全ての単語を思い出せなかった。
これはリンゴの特徴から次の連想の特徴を思い出しているからで、リンゴの特徴を使い回しすぎた結果、連想した全ての単語にはアクセスできないからだ。

これが大量の情報から大量の情報へと連想できる場合、結果が変わってくる。
例えば「喫茶店」から「コップ」「氷」「お茶」へ連想が成り立つ場合、喫茶店には様々な特徴があるため、それらの様々な特徴をそれぞれの単語に割り当てていくことができる。
そのため単語にアクセスできる可能性が上がる。

こんな良いこと尽くめな連想だが、これを応用しているのが記憶術だと思っていい。
ここでボブが改めて思ったのが、「連想」と「想起」の違いって何?ということ。

連想は連想元があり、連想先はランダムで大量の情報を出力することができ、自由で速く、拡散的な出力だ。
それに対して、想起は想起元は必ずしもなく、想起先は意図的で特定のモノや出来事を少量出力することが多く、収束的な出力だ。

こんな分類をしたが、そんなに簡単に連想と想起を切り分けることはできないようだ。

だがボブは思う。
思い出すという作業は収束的思考の一種だが、どう考えても連想のように拡散的に思考する方が苦になりにくい気がするし、大量の情報を思い出せる。
そこで全ての想起現象を連想的にした仕組みを作るといいのではないか?と考えている。

連想はなぜ対称性バイアスを持つのか?

ボブが「対想」と呼んでいる現象がある。
対想とは直感的な連想をしたときに、例えばリンゴ⇒丸いは連想しているので成り立つことはわかる。
しかし丸い→リンゴは必ずしも想起できないことがわかるだろうか?
リンゴ⇒丸いは連想したことによって次回も連想すれば成り立つこともあるだろうことが予想される。
が、丸い→リンゴは意識的に丸い→リンゴという想起をしたならわかる。
でも普通しない。
たぶん事前にテストして、丸いから連想されるものをいくつか書き出してもらったとしても、最初にリンゴが来る可能性少ない。
それなのにリンゴ⇒丸いを連想させた後に、丸いから想起される(あるいは連想される)ものは何か?と問われれば、最初にリンゴを思い浮かべる人が多くなるのではないか?とにらんている。
これが情報が対のように成り立つ想起、つまり対想だ。

この対想は連想の性質であるように思う。
つまり連想はその人が前持って得た予備知識や事前情報に左右されるということ。
また連想自体が子どものときの言語習得能力を支える一つの柱である可能性がある、と思っている。
その理由として子どもの言語習得時の対称性バイアスが対想のシステムに似ているから。
対称性バイアスとは、「リンゴ」というイメージや物をみせて、これは「りんご」だよ!と学習したときに起きる現象。
普通、リンゴのイメージ→りんごの音というように学習した場合、りんごの音→リンゴのイメージというような学習をしない限り、逆の対応付けは学習しない。
しかし子どもはリンゴのイメージ→りんごの音を学習するとりんごの音→リンゴのイメージというのも勝手に学習してしまう。
このことを対称性バイアスと呼んでいる。
これはボブが作った言葉ではなく、ちゃんとした心理学用語だ。

これは非常に連想の対想現象によく似ている。
もしかしたら、子どもが対称性バイアスを持つのは、連想の対想現象を利用しているからではなかろうか。

子どもは大人のように、情報の一部分を切り取って来て連想することはできないのではないか。
そう考えると子どもは情報の塊ごと思い出していると考えられる。
連想するときもりんごの音→リンゴのイメージを「りんごの音が存在している状況→リンゴの物が存在している状況」を連想しているのではないか。
そう考えている。

そう考えると連想ってもしかして単語や単語に沿った単一のイメージばかりに起こるのではなく、大量の情報を含んだ情報の群れでも起こるのではないか、という希望の光が見える。

自己イメージと超自伝的記憶力

これはTwitter上で先行的に核となるアイデアを載せた。
これは記憶術に関しての様々なアイデアを作る際に、どうもこのアイデアだけはついて回るな~と思うアイデアの一つで、たぶんかなり重要だと思っている。
そのアイデアというのが自己イメージだ。

自己イメージとは心理学などで用いられるセルフイメージといった、自分に対する自己の評価などのことではない。
ボブがここで使っている意味は、単純にイメージの世界での自分のイメージのことで、割と複雑性のないことだ。
この自己イメージは今日あったことなど、直近の自己が感じた体験について回るイメージ。
でも大昔のことになると、そこに自己イメージが存在していることは少ない。
確かに自己の体験とした日常のイメージであっても、ダンダンと自己のイメージは省略されて思い出すようになる。
これがなぜかは知らないが、自伝的な記憶であってもそこに自己のイメージが存在しているわけではない。

この自己のイメージが何故必要なのか?を考えていくと超自伝的記憶力、つまりHSAMの人たちや偉大なる記憶力の物語で登場するSことソロモンシェレシェフスキーという人物に行き当たる。
彼らの話を調べるとどうも自己のイメージがイメージの世界で確実に存在していることがわかる。

ボブの考える理論的な話をしよう。
まず記憶術というのは、情報として“安定的”な情報を使っている節がある。
この安定的とは記銘した情報が想起時も高い確率で想起できるという意味程度の語句だと思ってほしい。
例をいえば、直感的なイメージに変換するというものがある
この直感的というのが大事で、論理をこねくり回して変換した場合と比較されることがある
論理をこねくり回した方は、想起時に想起できる可能性が少ないが、直感的に変換した場合、記銘時の変換がそのまま想起時にも想起できること多いという経験則が成り立つ。
他にも場所法はいったん場所を記憶することで、想起時の安定性を保っていることからもわかる。

この安定的な情報の一つが自己のイメージ。
自己のイメージは意識しないと記銘しにくいというたぐいのものだが、意識すればどんな情報にも付随させることができ、情報としても安定的な情報の一つだ。
この安定的な情報の一つであるという点が、記憶力の強化に必要だと考える理由の一つだ。

しかし考えてほしい。
なぜ自己のイメージが消えて行ってしまうのか?
反対にHSAMの人たちはなぜ自己のイメージを長期に渡り記憶していられるのか?
これには実証された見解はない。
だがボブは一つの仮説を持っている。

その仮説とは「想起時に必ず自己のイメージから、その周辺の情報にアクセスしているからではないか」というものだ。
つまり一般的な人たちは“直接的に”思い出したい対象を思い出しているのに対して、HSAMの人たちは“間接的に”思い出したい対象を思い出しているのではないか、ということだ。
この間接的にというのは、HSAMの人たちはまずその思い出したい対象を記憶した時点の“自己イメージ”を思い出し、次にその自己のイメージに付随している思い出したい対象の情報を間接的に思い出しているのではないか、ということだ。

この方法論だと必ず自己のイメージを経由して、対象を思い出しているので復習の際自己のイメージも復習され、自己のイメージが消えにくくなると思われる。

だがしかし、謎なのは自己のイメージを付随させて想起している蓋然性(がいぜんせい)はボブは高いと思っているが、いったい自己のイメージの何を覚えているのか?がいまだにわからない。
HSAMの人たちは思い出した日の服装などは全く覚えていないことから、自己のイメージといっても全てを想起しているわけではないということがわかる。
また感情をその思い出した日のまま追体験するといっているところから、主観的な視点から体験を思い出していることがわかる。
これは主観的な視点で過去を思い出すと、感情が追体験され、第三者の視点で過去を思い出すと感情が追体験されにくいという研究から考えられることだ。

上述の理由で自己のイメージはかなり重要だと思われるが、この方法を使うのはまだまだ工夫が必要かもしれない。

人間のイメージ想起システムの一考察

人間の想起を調べてるとトップダウン型の想起とボトムアップ型の想起が存在していると言われる。
しかしこれだけだと、あーそうか、で終わる。
ここからは一歩進んでボブが考えたイメージ想起システムを述べる。

ボブが考えるイメージの想起システムとは、以下のシステムで成り立っていると考えた。
イメージの概観+粘土+再認判断+アルファ(アルファは今回説明しないが、規則性、すでに記憶していること、感情、復習、整理、間違いなどが入るものだと思っていい)
という感じだ。
このシステムのモデル自体は実際は結構昔に考えたものだった。

一つ一つ説明しよう。
イメージの概観がトップダウン型にあたる。
これはイメージの形にアタリを付ける機能を有している。
つまりそれが何か、どういう形だったかをおぼろげながら特定して情報として出している。

次に粘土だが、イメージの概観によって得られた情報を使いながら、その詳細を構築していく。
これはボトムアップ型にあたる。
なぜ粘土と言っているか、というと概観の情報が少なすぎる場合、粘土をコネコネするように「あーでもない。こーっでもない」と形を試行錯誤するため。

再認判断は、粘土によってコネコネしてできた情報から「これ!見たことある!」という判断をするものだ。
このモデルからは、音よりイメージの方がなぜ想起しやすいのか?という一点を説明できる。
つまりコネコネと粘土のように形をこねくり回す。
すると、その過程で再認し、思い出すことができるからだ。

さて、ここからが本番と言ってもいい。
このボブのイメージ想起システムモデルが正しいならばという前提がここからの情報に全てつくことになる。

イメージの概観からすぐさま導ける方法は、もうみんな使っていると思うが直感的変換や型だ。
ここで説明が必要なのは型の方だと思うが、簡単に言えばカテゴリーのことだ。
カテゴリーから概観をイメージして、粘土がすぐさま目的の情報に行き着くようにできる。
このトップダウン型の方略は、ボブのイメージでは使いやすい印象を受ける。

それに対して粘土の方だが、こねくり回す範囲が狭いという場合があり得る。
こねくり回すのに何かしたら制約を設けることで、自由さはなくすが想起しやすいということができる。
また粘土の形に初期値を何種類か設けることで、こねくり回す際に想起しやすくできるのではないか、と考えている。
具体的には何かの「木」をイメージするときは、「切り株」の初期値の粘土からイメージするなどが考えられる。

そして今回の最大の発見を述べる。
それは粘土のこねくり回し方を直感的に決めるというものだ。
つまり手続の直感化だ。
どの程度効果があるかは不明だが、こねくり回す手続きが直感によって安定的に想起できれば、想起時にかなり役に立つのではないか、と考えている。

情報を減少させるということ

記憶術を使っているとあまり意識していないかもしれないですが、情報数が減少しています。
これは細かく説明するとメンドーなので、記憶術を使うと情報が減少すると考えてもらっていいです。

実は記憶していることで情報数を減少させられると、かなりお得です。
これは昔「神の記憶術」というシリーズで述べました。
なぜ情報数が減少するといいのか?というと、例えば「リンゴ」というイメージを一つ覚えるだけで、「ニュートンが重力を発見する」という文章を覚えれるとかなりお得ですよね。
これが情報数が減少している簡単な例です。

これを全ての単語で行いたいと考えます。
これが対文章式記憶術のパーツ化であり、まとめ、一つのイメージに見立てるというものです。
これはボブにとっては出来損ないです。
本当はパーツなんかの切れ目がない一つのイメージが大量の情報を含んでいる、という状態にしたいのです。

そんなこんなをしていたら、生まれつつあるのがイメージの解釈抽出法です。
この方法の基礎理論は、一つのイメージであっても、それを言葉で説明した場合、大量の言葉の情報を必要とするということからです。
例えば「リンゴ」という一つのイメージであっても、「赤くて、甘くて、ちょっと酸っぱい果実で、少し丸みを帯びていて、ハートのようになっていて、、、」というようにいくらでも言葉が出てきます。
これは言葉が実際のモノのイメージを記述するにはざる過ぎるためなのかもしれません。

これは簡単に言えば、一つのイメージから無限に言葉の情報を増加させることができます。
もっと細かく写実的に記述していけば、情報が爆発するでしょう。

さて情報を爆発させるのはいいとして、これをどう記憶力を上げることに使うか?です。
膨大な情報にしていけば、例えば文章でも特定の語に近い語を見つけられるかもしれない。
色々考えた結果、「連想」「記述」「経験」「知識」によって特定の情報を引き出すことにした。

連想はまあそのまま連想していくこと。
記述は上述のように写実的にイメージを言葉で記述していくことで情報量を増加させること。
経験は経験したことから情報量を増加さていくこと。
知識はそのままで経験に似ているが、本などによって得た情報によって情報量を増加させること。

これらによって情報を爆発させていくことにしました。
今のところ爆発させれば、特定の情報もついてくるんじゃね?という予想でやっています。
どうやって他の情報と差を付けるのかは謎なところがありますが、何とかなるでしょう。