イメージがそこにある“理由”とは何か?

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今回は昔の研究を掘り返してみました。
昔ボブは対文章式記憶術は「what」に関して深堀した記憶術だと述べたと思います。
そしてその次は「why」に関し深堀したいとも述べました。
それを今さらながら、また考えてみようと考えました。

まずボブが目指すところの対文章式記憶術は、パーツ一つ一つに対して理由を付けようと考えています。
さらにパーツの一つ一つの組み合わせ方にも理由を考えたいと思っています。
その上でまとめたイメージに対しても理由を付けたいのです。
つまり理由でがんじがらめにするというイメージです。

現在対文章式記憶術は位置に関する理由はできていると思います。
位置に関する理由とは「そのパーツがなぜそこにあるのか?」ということです。
これはパーツの一つ一つが何らかの全体のイメージの一部であるから、そのようなことが起きるのです。
つまりそれがなぜそこにあるのか?というと全体のイメージのこの部分を表すために、そこにあるのだ、といった具合です。

けれど、それだけだと理由としては弱いのです。
真にパーツがそこにある理由が欲しいのです。

と、書いておいて新しい理由付け、ボブはーーーーーーお、も、い、つ、き、ましたー。
でも言いません( ´艸`)。