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考える記憶術とは、その名の通り考えることによって、何かを出力できるようにする記憶術のことです。
ただし、考える側面として記銘の際と、想起の際のどちらの場面で考えるか?という問題があります。
記銘の際に考えるというのが、今までの記憶術の設計でしょう。
しかし、ボブの考える記憶術は想起の面に比重をおいている考える記憶術です。
この比重をおいた、というところがポイントで、記銘の部分を全くなくして、想起の面だけでシステムを作るというのが、現状無理なのです。
さて、考える記憶術は一体どのような設計にするか?というと、思考は想起と選択でできているとボブは考えています。
その上で、人間は忘却する生き物です。
忘却を前提に人間は想起と選択をしなければなりません。
ボブはある人が言った言葉を今も思い出します。
「人間は考えていると言っても、覚えているパターンからただ出力しているだけで人工知能と同じ」という言葉です。
確かに人間は人工知能と同じ部分があるのかもしれません。
でも人間は忘れる生き物です。
そのため、ただ単なる出力をしているというよりは、忘却によって断片化した情報を想起し、選択し、パターンに当てはめて情報を処理しているのではないか?と考えています。
この想起したパターンの中に、結び付けたり、分解したりというパターンも存在しているとボブは考えています。
そしてその結び付けたり、分解したりするのも、選択によって決められているのではないか、と、そういう話です。
そうすることで、人間は色々なものを“考えている”のだろうと思っています。
ここで人間と人工知能の違いは、忘却の有無が大きいだろうと考えます。
人間の場合、忘れるので覚えていることを単に出力することはできません。
そのために“考える”ということをするのだと思います。
この“考える”を通して、人間は何かを出力しているのだろうと考えます。
これは記憶もそうで、“考える”を通して、人間は何かを再現しているのではないでしょうか?
これはヒントです。
ボブもこれは考えていることなのですが、対文章式記憶術でもない新しい記憶術を作るためのヒントになり得ると思います。