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ライブラリー化を行う上で、イメージの診断マニュアルを作成することで、イメージがどのような分類に属しているかを瞬時に判断できることが重要だとボブは考えています。
では、このイメージの分類をできたとして考えると、これを分類できただけで問題は解決するのでしょうか?
例えば、リンゴというイメージが覚えた時間や場所や果物や赤と言った分類に属すると仮定しましょう。
この時間や場所や果物や赤と言った分類ができたとして果たして覚えるためには意味があるのでしょうか?
そもそもがこれでは情報量の増加の側面しか取り扱っていないようにボブには見受けられます。
そこでボブは一つの仮説を提案します。
それは自己の家と物語の仮説です。
自分の長く住んでいた家には、思い出そうと思えばいくらでもエピソードが思い出せると思います。
例えば自分の部屋に居たら、急に腹痛になり、トイレに駆け込んだとか、家に帰ったら、居間に父親がいて、後ろから首を絞めてみたとか、場所と物語というのが密接に関係していると思います。
そこで事、ようするに手を洗うとか、話すとか、泣くなどの事と分類した事柄を対応させます。
具体的には、場所=喫茶店、時間=12時ぐらい、果物、赤に対して、「喫茶店=紅茶をいれる」「12時=昼ごはんを食べる」「果物=砂糖」「赤=ケガ」と対応させていると考えた場合、これを実家のエピソードとして考えると「台所で紅茶を飲みながらお昼ご飯食べて、ケーキ(砂糖)を食べ、食べ終わって立とうとしたら、足の小指をテーブルの足にぶつけた」というのを実際にあった経験と嘘を混ぜて作りました。
このように台所で起こった出来事として本当にあった経験と空想を織り交ぜながらイメージするとどうでしょうか?
こうすることで分類が管理しやすくなるのではないでしょうか?