ブログ

このエントリーをはてなブックマークに追加

サイト管理人の研究過程と開発状況のブログです。

ブログ一覧

現実からの大逃げとイメージの世界への入り浸り

今回はほぼ雑談。
最近のボブの実証実験で何をしようとしているか?というもの
これから紹介する方法は常時展開できるようにしていくつもりのもの。

さて何を常時展開したいのか?というと、
①イメージの世界での身体性の獲得
②日常に潜む物語性の活用
③全ての自己の思考を対文章式記憶術のイメージ化
④直観像記憶に挑戦

が、今の常態化課題。

イメージの世界での身体性の獲得は、だいたいの人だと思うがイメージの世界を頭の中で構築したときにだいたいの人が自己の身体や身体的感覚までをイメージする人は少ないと思っている。
しかしソロモンシェレシェフスキーという人物は、どうもこの身体性までイメージしていた節がある。
このソロモンシェレシェフスキーという人物は、一回で大量の記憶を実現していた人物で、少しでもこのような記憶力に近づけるため、実験的にやってみたいことだ。

日常に潜む物語性の活用は、人間は人生という物語の中にあるのになぜ全ての情報に物語法と同じような記憶力がないのか?という問題提起からだ。
これを考える上で重要になってくるのが、“協調”だと思っている。
強調とはたった少しのささいな出来事を、大げさにすること。
例えば買い物を、買い物して来てアイスを買って家で食べた、といったことを強調すると
「今日はアイスを何が何でも食べたい!あの極寒の地、スーパーのアイスクリーム売り場に行こう!さあ靴を履く!入念な下準備が必要だ!・・・」といった感じで大げさにすることを強調と名付けている。
これを日常的にやると記憶に残りやすくなる気がする。。。
気がするだけかもしれんが、日常の物語を言語化することは大事。
それなしでは日常の物語法的恩恵は受けれない、、気がするw
これもしょせん実験の一つでしかない。

では次に全ての自己の思考を対文章式記憶術のイメージ化するとは、まあーそのまんま。
これをやることで変換速度を上げるという狙いとともに、イメージで思考できないか?という考えからでもある。
もし仮にイメージで思考できるとなるとダブルでイメージして、パラレルに思考することもできるのではないか?という狙いからでもある。
さらに思考の高速化の可能性もあるので、かなり意義のある実験だと思っている。

最後に直観像記憶への挑戦だが、これは脳内でスケッチするようにして、目の前の映像を取り込む方法と、脳内でイメージして目の前の映像のミニチュアを構築して取り込む方法の二つを混合して試している。
それにもう一つ有力な方法があって、それが見立てるだ。
結構複雑なものに対しては、脳内にある何かに見立ててしまうと、結構簡単だったりする。
この見立てるも混合して直観像記憶に挑戦している。

現実とイメージの世界の境界を曖昧に

「偉大なる記憶力の物語」に出てくるSという人物は、一回であらゆる物事を覚えられた。
彼がやっていたのは記憶術の場所法なのだが、すでに使用している者ならわかると思うが、場所法を使ったからと言って一回で記憶できるようにはならない。

だが、彼に少しでも近づいた記憶術を再現することは、ボブは無意味だと思わない。
もしかしたら完全に踏襲できれば、一回で覚えれるような記憶術を手に入れることができるかもしれないからだ。
それに技術的な伸びもあるので、ボブの場合はむしろそちらがメインになっている気がする。

本題に入るのだが、Sは自分の記憶術で作り出したイメージをこう言っている。
「現実とイメージの区別ができない」と。。。
これは何気ない一言なのだが、よくよく考えると不思議なことである・

なぜなら普通の人は現実とイメージを行き来するとき、現実からイメージの世界に行った場合、必ず“いきなり”別の場所に立っていて、その世界ではイメージを自分勝手に“生成、改変できる”からだ。
その点で普通の人は、イメージの世界をこれは非現実的だと意識し、これはイメージの世界だと感じるのだと思う。

反対にイメージの世界から現実に戻った場合も、いきなり別の場所に戻り、生成、改変ができなくなる。
その上、“自己の体”という制約ができ、移動に難儀することになる。

このことから
①自己の身体性
②いきなり別の場所にいる
③世界を生成、改変する力

この3つを少なくとも何とかしないとSのように現実の世界とイメージの世界を混同できない。

自己の身体性はクリアが一番簡単かもしれない。
イメージの世界でも自己の身体を必ずイメージし、その制約を受ける。
そして必ず身体から主観的な視点でイメージを見ている状態を意識する。
つまり第三者の視点からイメージをみないようにするということ。

ボブの場合両腕両足胴体にそれぞれ30kg以上の重りをしているイメージをしながら、イメージの世界を走ったり、飛び回ったりしている。
なぜそんな重りを重くするのか?と言ったら、そんぐらいの重りじゃないと全然四肢や体をイメージできないからだ。
これだけの重りだと動くのが遅くなりそうと思う人もいるだろう。
でもあくまでもイメージの世界のお話なので、現実のように遅くならなくてもいい。
ただ重さを感じながら動くことが大事。

いきなり別の場所にいるというのは、普通に考えると難しい。
これにも2つの仮説がボブの中には存在している。
一つ目は知らなかったり、知っていても曖昧であったりする場所を使って、勝手に好きな場所に変換してしまうというものだ。
これを使えば、現在地からイメージの世界が存在している地点に移動することで、すんなりイメージの世界に移行できる。

二つ目はそもそもイメージの世界に入ったり、出たりしていないというもの。
つまりイメージの世界に入ったきりになっている可能性がある。
ソロモンは直観像の能力があった。
この能力を実現するにはスケッチ法とミニチュア構築法がボブの中で仮に存在している。

スケッチ法は脳内で観ている風景をスケッチのように描くというもの。

これに対してミニチュア構築法は、観たものを逐一ミニチュアのように小さなその情景をイメージしていくというもの。

どっちが正しいかわからないが、どちらも細かくイメージして構成していかないと上手くいかない。
ボブ的にはどっちらもミックスで使うのではないか?と最近思っている。

これをしているとわかると思うが、現実の情景を観る時間が極端に減る。
そのためソロモンがもしこの方法で直観像を得ていたとしたら、彼は現実の世界よりイメージの世界をずっと観ていたのではないか?と思った。
ゆえにそもそもイメージの世界の出入りなどなく、ずっとイメージの世界にいたのではないか?

最後に世界を生成、改変する力だが、これはイメージの世界を現実の世界に近づけるのではなく、現実の世界をイメージの世界に近づける方がはるかに簡単だと思う。
だが、完全をきすにはイメージの世界を現実の世界に近づけることも大事だと思う。
つまり現実の世界のようにイメージを生成、改変するときに何かしらの制約をつけるということだ。

現実の世界をイメージの世界に近づける方は、現実の世界にもイメージを投影しまくることでイメージの世界でできることを、現実の世界でもできるような状態にしておくのである。

時系列バイアスと完成形バイアス(仮)

バイアスと名付けているが、これがバイアスなのかと言ったらちょっと違う感じもするが仮として名を付けておく。

この現象は時系列バイアスの方は、なぜか動作の始点、開始時をイメージに残しておく場合が多いというもの。
例えば投球で、なぜか人間はボールを投げ終わりをイメージせずに、投げ始めをイメージしがちというもの。
これはバイアスと名付けても何ら問題がないと思う。

他方で完成形バイアスというのは、対文章式記憶術のパーツを組み合わせていく中で、大体完成形のイメージしか覚えていないことが多いというもの。
なぜかその途中経過を覚えていないことが多い。

これらの理由として考えられるのは以下だ。
①今までの経験上、記憶から構成しやすいイメージにしている傾向がある
②何を記憶しておくか問われ方の違いから、このような差が出ている

①の説明では時系列バイアスを、今までその人の経験は全て時系列に沿った形で進展してきた。
そのため、時系列的に構成しやすい開始時のイメージを覚えていることが多いと説明される。
①の説明で完成形バイアスは、記憶の構成のしやすさから完成形をイメージしておけば他全ての構成要素もイメージでき構成しやすいので完成形をイメージしたと説明される。
どちらもありそう、という感じだったのだが、ある実験をしてみて実は違うのではないか?とも思った。

その実験とは、対文章式記憶術のパーツを組み合わせて一つのイメージを作る。
そしてその作ったパーツを使って、組み合わせ方を変えることでまた別のイメージを作った。

この結果予想では、始めの組み合わせたイメージが記憶に残るだろうと思っていた。
なぜならこの場合どちらも完成形バイアスとしては同値で、時系列バイアスの結果のみ残るからだ。
しかし結果は違った。
最初の組み合わせたイメージも組み合わせ方を変えたイメージもどちらも残ってしまったのだ。

このことより、これは②に書いたように何を記憶しておくか問われ方の違いから、差が出たのではないか?とも考えられた。

つまり運動を覚えておくことが求められた場合は、時系列に最初を選ぶことは①の時系列バイアスの説明で上手くいく。
対して、対文章式記憶術のパーツの場合、パーツの組み合わせ方の運動を覚えよ、と言われた場合でもない限り、パーツの運動を覚えることは合理的ではない。
そのため無意識に完成形を覚えたのではないか?ということだ。

ようするに、
1⃣よく見ている記憶への還元
2⃣何を記憶すべきかという選択性
によってこれらの現象は説明できるのではないか?と考えた。

影を使って日時と場所を付加するには

昔々、影を使って一つのイメージが表す情報量を爆上げしようと考えていた。

でもこの方法だと結構難しかった。
なぜなら地面に映る影は、その影の元となるイメージと必然性を持たなかったからだ。
本来人間はイメージの中では影の存在を描かない生き物なので、シカトするはずのイメージを持たせても必然性がない限り、簡単に忘れてしまう。

けれどこの方法は“できれば”かなり有用ではある。
例えば影を使ってそのイメージを覚えた時間を入力しておく。
すると、その影からイメージを「時間」という形で思い出す手がかりになる。

では、どうやってその時間を表すのか?
それは時計と同じだ。
影の元となるイメージの一周を18時間(寝ている時間を除いている)や24時間と考えて区切る。
そのイメージの直感的に見出す正面を(例えば犬などのイメージであれば、顔のある方など)、0時として時計回りに18や24の区切りをする。

これで時間を表すことができるようになったが、次に考えるのは「分」だろう。
秒は無理だとして、分は表したい。
そこで活躍するのが影の長さである。
60分を3分割して、20分ごとに影の長さを「短」「中」「長」に振り分けて、影で表す。

これが影時計法の全貌なのだが、これは前述の通り上手く行かなかった。

ただし実は影を平面から立体化して少し盛り上がらせるとなぜか上手くいくようになる。

さて、ここまででボブはこの影時計法を採用しそうでしょ?
でも使わなかったんだなー。

なぜなら情報量をただただ多くするだけのものとなり、全体の量が覚えられなくなったからだ。
この意味は、例えばあなたの記憶容量の限界が100だとする。
今まで一つのイメージを10の記憶量で覚えていたので、最終的に100÷10で10個だけ覚えられた。
しかしこの影時計法を使うと普通のイメージより2倍思い出しやすかったが、一つのイメージに20の記憶量を必要とするので、最終的に100÷20で5個だけしか覚えられなくなった。

この結果をどう受け取るかはあなた次第だが、ボブはこれなら10個覚えて2回繰り返した方がいいと受け取ったため、影時計法を辞めるに至った。

論理回路記憶術

規則対象外

最近数理論理学の本を少し読み始めた。
数理論理学の本自体は結構昔からあって、いつも一階述語論理の所でわけわからなくなって読むのを止めていた。
そのためこれでもう何度目かのトライ、というわけである。

この本自体が今回の妄想している記憶術を作ったというよりは、この本をキッカケにグーグル先生に論理回路って一体どのようにしてPCで使われているの?ということを聞いてはじめて、この考えに至った。

論理回路では「かつ」や「または」と言ったことを使って、自分のほしい数字に書き換えるという作業をしているらしい(ボブの受け取り方ではそうなった(笑))。
この自分のほしい数字を自分のほしい情報、もっと言えば自分のほしいパーツに書き直せないのかな?と思った次第だ。
上手くいけば自分のほしいパーツに書き直せるかもしれん。

8月21日現在ではここまで