記憶術の覇権。。。

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対文章式記憶術の存在意義がなくなりかけましたが、何とか取り戻すことが出来ました。
このままでは、対文章式記憶術先生はボディビルコンテストにおいて、幽霊部員的立場に陥るところでした。
やっぱり対文章式記憶術先生はマッチョであるがゆえに、力技で全てを解決できました。
プロテインサイコー!
筋肉を信じ続けてよかった。。。

と、その前に普通の記憶術さんにできることとできないこと。
対文章式記憶術先生にできることとできないこと。
これらを整理して行こうと思います。
①普通の記憶術さんでも対文章式記憶術先生でもできること
・イメージを組み合わせること
・イメージに名付けること
・イメージを圧縮すること
②普通の記憶術さんでできるが、対文章式記憶術先生ではできないこと
・理解したイメージに近似なイメージの構成
・直感的に意味を付けること
(覚えてすぐなら、対文章式記憶術先生以上に意味の探索範囲が狭いのが特徴。ただし、忘却が進んだ場合、意味の探索範囲がかなり広くなる)
・想起しやすい
③普通の記憶術さんでできないが、対文章式記憶術先生ではできること
・意味の固定
・高速化の可能性
・何者でもないイメージ
・イメージを重ね合わせること
・集合内変換
④普通の記憶術さんでも対文章式記憶術先生でもでできないこと
・想起の高速化
・プロセスを省く

という感じでした。

イメージを重ね合わせることと集合内変換というのが、今回の対文章式記憶術先生の首を助けた神の一手でした。
これがなかったら、対文章式記憶術先生はマジで何のためにあるの?という存在意義のない窓際族を凌駕した隅っこ族になっていました。

イメージを重ね合わせるというのはかなり説明しづらいので、あまり説明しませんが、普通の記憶術で作ったイメージを重ね合わせた場合はできないことは、記憶術を使ったことがある変人たちならわかりますよね!?(キレ芸

さらに集合内変換というのは、簡単に言えば、「私」という単語を覚えたいときに、私は番号1のパーツ、つまり●に該当します。
だけれども、そもそも●だけに変換する必要はありません。
「私」という単語を含む全ての情報(集合)内であれば、実際は何に変換しても構いません!
ようするに、「私」は「I」「is」「the」「Oh」「a」「黒色」「1」「●」という8個の情報であれば、どれを選択しても構いません。
「私」を普通の記憶術さんでイメージ化してもいいし、「the」だと考えて普通の記憶術さんを適用して、ボブの場合王冠のイメージにしてもいいのです。

こうして対文章式記憶術先生のレゾンデートルは証明された、、、のです。
さあみなさん!
対文章式記憶術先生に声援を!
いいよーキレてるよ!
腹筋が板チョコだよ!
ナイス大胸筋!
仕上がってるー!!

統合と展開の結びつき(つぶやき)

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対文章式記憶術にはパーツを組単位でバラバラに展開して、そのパーツの組に理解したイメージの特徴を反映させるという過程を入れようという試みをたいぶ前からやっている。
つまり理解したイメージを対文章式記憶術に取り入れようという考えだ。

しかしそうすると展開したイメージと統合したイメージの両者が出来てしまう。
そうすると完璧に手順が煩雑化する。
その上、その展開したイメージと統合したイメージの両者の結びつきに関しても不安定になってしまう。

さらに抽象的な文章に対しては、その文章の構造しか描けないので、必ずしも一見して理解することができない。

色々な問題があるのだが、上手く行く方法を模索中。

問題をまとめると
①二重記述問題
②手続きの煩雑化問題
③統合と展開の結びつき問題
④抽象文に対する理解的特徴とは何か?の問題

イメージの伸縮性の不思議

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イメージの中の人を縦に伸縮するのは簡単だけど、横に伸縮させるのは難しいという不思議。

なぜそのようになるのか?
仮説ですけど、縦に人を伸縮させるのは子供や大人などで観たことがあるということと、人の場合左右に対称性があるため、左右に引っ張った場合その片方の方に合わせて似せる必要性があるからではないか?と仮説しています。
例えば上下に人を引っ張った場合、足は上下に一組しかないため、間違っていても何も問題がないからではないのか?という意味です。

ここで不思議になるのは、イメージが厳密ではないとイメージできないことなどは必ずイメージが消えやすくなるという現象があるが、それは例に漏れず伸ばしたりしたイメージにも言えることなのではないのか?ということを思っている。

ここで重要なのは、伸ばして細かくなった情報が厳密性を上げるということと反対にイメージを曖昧にイメージするから伸縮しやすいという現象も両方起きていることだろうか。。。
バラの花の部分全部を引き伸ばした場合、一枚一枚の花を厳密に引き伸ばしたときの様子をイメージするとなかなか難しいが、花の一枚一枚を曖昧に覚えた場合それは簡単になると思われます。
そのため厳密性は伸ばせば必ずしも与えられる性質ではないということが言えます。

でもボブ的な内観実験では、シルエットが変わるせいか想起しにくくなることが請け合い。

対文章式記憶術と全空間化【小説版】

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久しぶりに小説ぽく今日の発見を紹介したいと思います。

今日も今日とて、ワッセワッセと記憶術の研究をボブとシモニデス先生はしていた。

ボブ「ほげー」
シモニデス先生「ほげー」

二人とも頭の中でイメージの構築をしているだけなので、傍からみると単なるボーっとしたバカなのでした。

ボブ「!!」
ボブ「ニュータイプばりの電撃が!!」
シモニデス先生「何ですと!」
ボブ「前振り長すぎるとみている人飽きちゃうので、速攻で内容に入ります!」
シモニデス先生「して、何があったのじゃ??」

ボブ「昔ボブは記憶術で使っているイメージって、全部“部屋”にできるじゃん!?ということを発見しました」
ボブ「でも今までそれを対文章式記憶術のパーツを組み合わせたイメージに対してやるっていうことをして来ませんでした」
ボブ「で、今回はそれをやってみました!」
シモニデス先生「で、成果のほどは?」
ボブ「どうやら上手く行きそうな予感がします」
シモニデス先生「それは大量の記憶イメージをしたのかの?」
ボブ「それは今やっているところですたい」
シモニデス先生
「それをクリアしてから世に出すということをしなかったのはなぜじゃ?」
ボブ「それは著作権で速攻守りたいからね!」
シモニデス先生「なるほどのー。。。」

ボブ
「これは対文章式記憶術のパーツを組み合わせるということをしない、普通のイメージ記憶術にも可能だろうと思われる技術です。
ようするに、イメージしたモノや人などに対して、そこから連想される部屋や場所をイメージします。
そしてそれら連想した部屋や場所をつなげていきながら、その空間に自己を没入させる方法です。
没入とは実際にその部屋や場所があり、そこを歩てみるということです。
まだ大量のイメージを部屋や場所化して覚えたという実績はないので、もしかしたらほころびが生じる可能性があるのであしからず。。」

空間とは何か?

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皆さん何かをイメージしてみてください。
あなたのイメージには前提があります。
その前提とは何でしょうか?

それは「空間」です。
自分では思い出している感覚すらないと思いますが、あなたのイメージには前提として「空間」が必要になります。

それでは空間とは何でしょうか?
空間の性質というのは、特徴がなく、かつ透明であり、広さがあり、その中に何らかの情報を与えると勝手に空間上の「位置」を与えるものです。
そして「位置」を確定させた後、“自動的”に他の情報と“区別”という関連付けを与えます。

ここでボブが不思議がっているのは、なぜ自動的で、しかも区別が成り立つのか?という点です。
これは一見当たり前のことにみえますが、全く当たり前のことではありません。
なぜなら関連付けのほとんどは、直列的に処理するし、しかも意識して(自動的ではない)しか関連付けは起きません。
それに対して場所に置くという作業は、“並列的に”しかも“自動的に”区別という名の関連付けがなされます。

この区別には個々のイメージと空間の境界というのが、関連しているのではないか?と考えていますが、それは個々のイメージが持つ性質なのか?
それとも空間が持つ性質なのか?
もしかしたらイメージと空間が存在することによって起きる現象なのか?
現在はわかりません。

連想は言葉に宿るのか?それともイメージに宿るのか?

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連想は言葉に宿るのか?
それともイメージに宿るのか?ということを考える気になった。
なぜそんなことを考えたかというと、分離脳の実験や思考はなぜ自由なのか?ということを考えてたら、気になりました。

だってだって、思考って自由過ぎると思いませんか?
思考のように出し入れ自由な想起って、類をみない気がします。
その種が連想ではないか?と疑ったわけです。

で、結局連想は言葉に宿るのか?
それともイメージに宿るのか?
これは答えはどっちにも宿るみたいです。
そんなの当たり前じゃんとか、思っているそこのあなた!
それがたぶんほとんどの人がやっているのは、言葉に宿る連想の方だと思われます。
なぜそんなのがわかる?と言う方がおられるかもしれません。
でも実は言葉に宿る連想とイメージに宿る連想はどうも違うみたいです。

それでは何が違うのか?
それは言葉の連想の方はイメージがドンドン変わるのに対してイメージに宿る連想の方が“イメージがドンドン、形が変化する”という違いがあります。

簡単に言えば、リンゴ⇒ミカン⇒オレンジ⇒ジュース⇒水などが言葉に宿る連想です。
しかしイメージに宿る連想は、リンゴ、から枝が生えてきて、太い幹を作って、雲まで伸びて、豆の木みたいになって、、、というようにドンドン形や状況が足されていくという特徴があります。

実際に確かめたことはないのでわかりませんが、たぶんほとんどの人が言葉に宿る連想の方を使っているのではないでしょうか?

主観的物理学〔イメージ化学〕(規則対象外)

ちょっとSF的な話です。
今月のサイエンスという雑誌のあるテーマの冒頭の方で、物理学は客観的で真実を捉えるような学問だと思われている、という感じのことが書かれていた。
全てのことは突き詰めれば、物理学的なことに行き着き、数式で定義され、実験されている。
そのため、誰かにとっての物理法則は、誰かにとっては違うというようなことはない。
そんな感じのことを書かれていて、少し思ったことがあります。

本当に人それぞれの物理法則というのは存在していないのだろうか?
ある人が定義した物理法則は、別の人にとっては違う物理法則が成り立っていた、なんてことは本当にないのだろうか?

で、魔法ってもしかしたら、この人それぞれの別の法則が適用された結果、そんなことができるんじゃないのか?と「魔法科高校の劣等生」というアニメをユーチューブで見ていたので思ってしまったわけですw。

それはそうと実際には、魔法が使えてしまうと言ったことはないにしても、イメージの世界には法則性が存在していると思います。
それをどうにかして、まとめ上げたいと思って、mixiでコミュを立ち上げた時代から試行錯誤しています。

その内なんか言えたらいいなーと思う次第です。

記憶術のイメージが消えることは悪か?

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最近イメージが消えやすいということは良いことじゃないのか?と思い直している。
なぜか?
最近みた動画の中で、間違うことによって記憶が強化されるというものがあった。
それを観て思ったのは、間違うことをわざと引き起こしやすい状況に置くことによって、短時間で何度も間違い、記憶力の強化につなげようと考えた。

問題はその間違うということが、なぜ記憶力の強化につながるのか?ということだろう。

昔ボブが考えたのは、間違いというのは、答えを覚えなければ、何度出力しても同じような間違いを起こす安定性がある、ということに目を付けたことがあった。
そして、その安定した同じ間違いから答えを知ることによって、安定した間違いと答えが結びつく。
その結果、次に同じ問いにあたったとき、安定した間違いを思い出し、次にその安定した間違いと結びついた答えに行き着くというプロセスがあるのではないか?と考えた。

きっとこの答えも完全な間違いではないだろう。
しかし間違いというのはそもそも記憶術をしている人ならば知っているだろうが、不思議な性質がある。
例えば記憶術で「ドスコイ」という相撲で使われるような掛け声を覚えたいとする。
ボブの場合「ドス=刃物が、コイ=来ている状況をイメージする」とする。
すると、刃物が来ているという状況は、間違いで、本来はドスコイという掛け声を覚えたかったんだ、ということが無意識にわかる。
これをいつも不思議がっているのがボブだ。

正解を忘れた場合でも、ほとんどの場合、「これは何か他の情報を表しているんだ」ということは思い出せる謎。
何を持って、間違いは間違いたり得ているのか?

その他にも間違いというのは、きっと多くの性質があるだろうと思う。

対文章式記憶術の補正

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対文章式記憶術の弱点を克服する。
そのためには、印象に残るパーツにしたいと考えています。

対文章式記憶術の良いところは、一つの情報と別の一つの情報が、自然な形で結びついているところです。
これをボブは、“まとまりの良い”イメージと表現しています。
まとまりの良いイメージのボブの中で一番代表的な例は、マジックペンとそのキャップです。
マジックを思い出せば、大体の人が漏れなく、キャップまでイメージすると思います。
このキャップと同じような性質を持たせんとしたのが、対文章式記憶術です。

このマジックとキャップの原理は、よく言えば情報量を少なく認識できるということです。
しかし、悪く言えば、自然すぎて忘れやすいのです。
この忘れやすさにあがなうために、一つ工夫をしてみました。

それはパーツが構成するイメージ一つに対して、その構成している中のどれか一つのパーツに、とんでもな、イメージを当てはめるのです。

例えば「●」と「●●」を覚えたいとします。
今までは単なる


●●

だったところを、

●←ダンゴムシ
●●

というように、一番上の●に対してイメージを当てはめます。

そしてその上で、全体として◣に見立てます。
すると、まだ実証していないのでわかりませんが、印象に残る率が高くのではないでしょうか?

3大認知システム

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3大認知システムと勝手に呼んでいる事柄があります。

①思考
②イメージ
③運動

です。

ここにパラレルな認知活動を導入したいのです。
つまり、同時並列的に2つ以上のことを思考したり、同時並列的に2つ以上のことをイメージ生成したり、操作したり、同時並列的に2以上のことをイメージし操作したり、運動したりするということです。

この中で最も現実的なのは、運動で、他の思考やイメージはかなり制約が多く難しく感じるからです。

しかし最終的には、これら全てをパラレルに行うことができるのが望ましいと考えています。
て、言っても、これは生産性を保証するものではないですけどね。

運動におけるパラレル化が起こる一つの場面は、2つのイメージを操作するときに“両手の感覚”を用いることで起こります。
普段ボブがイメージの操作をするとき、何気なく使っているのは、利き手、つまり右手の感覚であることに気づきました。
そこで両手で2つのイメージを操作できないか、実験してみた結果、両手だとパラレルにできるという結論に達しました。

ただイメージ生成も言語生成も実際には、二重にできないというネックがあります。
そのため、現在では心的情報の操作のみがパラレルにできることという仮説がボブの中では主流になり始めています。

これをぶち壊すためにも今後もイメージの研究は続けて行きたいです。