内的アウトプットの記憶術≪線描法による観察≫

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内的アウトプット=中間プットとは、インプットとアウトプット以外の頭の中で(=内的)アウトプットするということを内的アウトプット、もしくは中間プットと名付けて、取り扱っています。

外界の情報を内的アウトプットをし、線で描くためには、まず情報収集が重要だと思い線で自由に何かを描くということをして、その法則性をその線の消え方などから導き出そうと考えたのが、線描法という方法です。

そしてやってみた結果が、まだ一枚のイメージしかやっていないのですが、どうやら、何か“まとめやすいイメージの形でまとまる”という性質があるようです。
これはたぶん既知の記憶していることから、任意に近しい形というのをチョイスしてくるみたいです。

次にやってみた結果は、“わかりにくいイメージの形は、わかりやすいイメージの形に変換されていく”ということです。
ボブはわざとマルではなく、少し輪が開いたマルをイメージしておいたのが、時間が経ってから思い出すと、完全なマルになって想起されました。

さらにもう一つ。
普通イメージの線の量が増えて行くと、当然マジカルナンバーの制約により、次から次へと消えて行くのですが、線と線をつないで、例えば三角などにすると、線は3つ使っているのに、なぜか“一つのモノとして判定される”ようになります。

最後に、短期記憶の不思議です。
短期記憶ってマジカルナンバーで消えた情報も少しの間なら、すぐに復元できるというのが不思議です。
これは“認識の限界と短期記憶が実際に覚えている量の限界が違う”のでは。
あるいは“短期記憶が二重構造をしているから”では。
もしくは“短期記憶中の記憶に対しても感覚記憶が働いているから”では。

と夢想してしまいました。

長期記憶化するには

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脳科学系の本を読んでいます。
で、もう最初の方からインスピレーション受けまくって、なかなか進みませんw。

それはそうと、よく短期記憶に入ったものが長期記憶に転送されるという話を聞きますが、たぶんそれは嘘です。
なぜなら知り合いに短期的記憶が先天的に障害された子供がいて、その子には学力がある。
つまり言葉とか覚えているのに、短期的記憶が全然ないらしいです。
(見たわけではありません。話で聞いただけです。)
もし仮に短期記憶が長期記憶に 転送されるのなら、必ず短期記憶が存在していなければなりません。
けれど、この子の例は違います。

また話は代わりますが、今までボブの認識では、海馬=短期記憶を司っている場所ということになっていました。
でもどうやらHMという方の事例では、海馬を切除した場合でも短期記憶は残っているようです。

さらに手続き記憶も残っているようです。
ここで大体の人が「いやいや。手続き記憶が残っていても全くおかしくないでしょ?」となると思います。
ボブの意見としては「いやいや。手続き記憶って、体の動きだけでは完結しないでしょ?」という見解なので、これは謎なのです。
だって、仮に☆を描く作業が上手くなるかどうかであっても、視覚的なイメージの条件に対し、手をどう動かすか?という認知的な条件と手続きが複合するわけです。
と言っても、この場合は潜在的記憶で片が付きますが。。。(汗)
でも、ボールを取るなどの行為は、ボールの動きに関する知識や体をどう動かすべきかという知識が存在するものもあり(もっと言えば、ブラジリアン柔術などはかなり知識が必要な類の手続き)、どの程度の手続きが完全に手続き記憶なのか?というのは意見が分かれるところでしょう。
だから手続き記憶と言っても、完全に手続きのみで完結するものは少ないのです。

ようするにボブが言いたいのは、もし仮にどんな手続きに対してもHMが覚える能力があるとしたら、それはつまり長期記憶化するには2本経路があるということです。
それは一つ目が、海馬を通る道で、もう一つが小脳を通る道です。
ここでさらに仮定を加えると、もし長期記憶化する原理が同じだとしたら、そのもっともだとボブが思う原理は「順序付け」されるかどうかであり、された事柄が長期記憶化するのではないか?と今のところ思っています。
さらに本を読んだら変わるかもしれませんが、海馬はストーリーの解釈、生成の働きがあるようです。
ストーリーはいわゆる順序付けです。
手続きも認知と手続きを順序付けています。

先の子の例でも、言葉は順序付けと大きな関わりを持っていますし、短期記憶が必ず必要と考えなくてもいい仮説です。

その点からのみの推測ですが、上手くいくかは実験してみますです。