1000個の情報を30個の情報に圧縮する技術

対文章式記憶術では無理ゲー扱いしてきた1000個規模の情報をわずか30個の情報を覚えることで足らす方法をボブは思いつきました。
対文章式記憶術でも5個の情報を1個の情報に置き換えることを目指しましたが、今回はその比ではありません。
なんせ記憶効率が桁違いです。
まだ思いついたという段階で実証はしていませんが、たぶんできるでしょう!と思っています。

その説明にはまず前の記事で紹介した連想数に関わる問題の説明が必要だと思います。
連想数とはリンゴ→ミカン→バナナという連想があるとします。
リンゴを1、ミカンを2、バナナを3として連想した内容ではなく、連想した数についてのみに注目したのが連想数です。
そして前の記事では連想数を使えば、数に情報を対応させることで様々な文章も記憶できるようになるんじゃないか、とのたまったわけです。

でも昔のボブはどういうわけか、この連想数を使おうとしていなかったのです。
なぜか?は今日考えてたら判明しました。
それは連想数に単語などを対応させて、連想数でその単語を表現するよりも、普通にソロバンの数珠などを使って数を表した方がかなり合理的だということがわかりました。
そういえば昔のボブも同じことを考えて、連想数をお蔵入りさせていたなと思い出したしだいです。

では連想数は何にも使えないのか?と思って今日は考えていました。

すると連想数の足し算や掛け算ができることに気づきました。
足し算は普通に連想同士をつなげればいいとして、掛け算をどうするか?を考えていたら、2×2の行列マス(表)を掛け算に対応させるという思いつきにいたりました。

つまり行にリンゴ、ミカン、列にメロン、バナナと配置して、その連想したリンゴからミカン掛けるメロンからバナナへの連想をした結果として2×2のマス目という形で対応させようと考えました。
このマス目にはリンゴとメロンから連想できるモノAを配置し、同様にリンゴとバナナやミカンとメロンやミカンとバナナの各対応から連想できるモノをイメージしていきます。

そんなことを考えていたら、この掛け算ってもっと重大なことができることに気づきました。

2×2だと4マスができ、要素の数も4つで全然おいしい話ではないのですが、3×3だと9マスに対して要素の個数6個で少し得をします。
では4×4だと16マスできるのに対して要素の個数は8個でおいしい話になっていきます。
なので、10×10であればマスの数は100マスなのに要素の個数は20個です。

ここで要素って何と思うかもしれません。
ここでボブが使っている要素とは、(スマホだと崩れるかもしれない情報です)
  A列  B列
C行リンゴ ミカン
D行メロン バナナ

という2×2の表があったとき、A列、B列やC行、D行に入る共通項のことです。
共通項とはリンゴ、メロンだったら茎がある、といったことでこの場合はA列の所に「茎がある」と入ります。

このように16個の情報があったら、まず4×4の行列マスに置いて、そこから共通項を行列的にみて導き、その共通項だけを覚えるというものがあります。
4×4であれば共通項は8個だけになり、覚えている量を減らせます。

タイトル回収です。
10×10×10の行列マスを創れば、1000個の情報を覚えるのにわずか30個の情報を覚えるだけで済みます。
これがタイトルのカラクリです。

この30個の情報を連想数で覚えるのはどうかと思っているしだいです。

記憶術学基礎論(フレームワーク)

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はじめに、全く思考できないときがあると思う。
そんなときは取っ掛かりがないから思考できないとボブは考えた。
株式会社アンド『ビジネスフレームワーク図鑑』という本には、フレームワークを使うことで、思考を促す、みたいなことが書いてあった。
それを考えると何かしらのその思考対象にあったフレームワークを作り出せれば、かなり速く思考が進むのではないか、と考えた。

フレームワークの主な情報は、構造とそれに伴う分析した概念や要素で情報を整理しようとしているとボブは仮説った。
もし仮にこの仮説があっていれば、フレームワークを量産できることになる第一歩となるだろう。

でも、その分析した要素すら思いつかないことがあるだろう。
そこで登場していただくのは、思いついたことを自由に書いていくだけという方法と、あるテーマに関して思いつくことを書いていくという方法だ。
この方法の違いは、テーマを設定しているか、いないかという単純な違いだ。

この方法で生産するのは、まず簡単な単語単位の情報で、次にできれば文単位の情報だろう。
それを使って文章にして仮説を立てたり、フレームワークの分析した要素に使ったりしてみる。
当然違ったら、他の単語にして仮説を立てたり、フレームワークの要素にしたりすることになる。

デカルト式場所法

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デカルトと言えば、ボブの知る限り要素を観ることによって全体を作り出そうという哲学の基礎付けになった人です。
では、場所も要素に還元することで、何か特異な性質を有するのか?ということを知りたいというのが今回のテーマ。

(全然シリーズ化していないのは、それだけ体系だった研究は面倒くさいということです)

まずモノが一切ない部屋で考えようと思います。
ただの四角い部屋なのですが、ここに何か他の現象を投入しましょう。
ボブが不思議に思うことがあります。
HSAM、つまり超自伝的記憶を持つ人達はなぜ繰り返す日常の中で登場する同じ部屋や同じ場所で起きた出来事を、干渉せずに保持していられるのか?というのが不思議でたまりません。
この現象はモノが一切ない部屋では顕著に表れると思います。

もし仮にその方法が出来れば、同じ部屋や場所の使い回しができることになり、有用な方法だと思います。
つまり「場所のリサイクル問題」として考えることができると思います。

さて、それがデカルト式の場所法と何が関係あるのか?
変化を要素に還元することで違う場所の判定は受けられないのか?というのが狙いです。
部屋であれば、汚れた部屋ではなく、“キレイ”な四角い空間の中に“汚れ”があとから付着していると考えたり、何もない空間にモノが“付随”していると考えたりすることで、常にその付加物を変えることで違う場所としての判定を受けれないのか?ということです。

つまり付随するイメージをいくつか拾い上げて、そのイメージを大袈裟にすることで別の場所として判定をさせるということです。

カテゴリー家(検証進める)

カテゴリー家になるべく検証を進めている。
カテゴリーに叩き込むにしても、理想としては3つ以上のカテゴリーに叩き込みたい。
いちおう対文章式記憶術のパーツを組み合わせたイメージを、現行の前ブログに書いた方法でカテゴリーに叩き込んだ。
精一杯背伸びをして、3つカテゴリーに叩き込むことができたり、できなかったりだった。

今現在だと3つのカテゴリーに叩き込む場合、大体もう一つのイメージを用意して、それをカテゴリーの特徴に合わせるということをしてしまう場合があった。
これでは、カテゴリー化している意味がわからないというのが本音。

そこで位置やその位置から導かれる特徴をイメージ本体、または付属のイメージに載せるのではなく、運動や方向などを考慮に入れて、それで位置を表そうと考えた。

もう一つの方法は、様々な分類の仕方を用意しておいて、それら様々な分類の仕方の組み合わせで合理的、かつまとまりのよい形で分類できるようにする方向性も考えている。

どちらにしても現行の方法論では、位置が似たり寄ったりするという面で干渉の心配もある。
しかも上述の通り、もう一つのイメージを用意しなければならないという愚行を犯している。
これでは分類している意味があまりなく、元も子もない。

連想に対称性を

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まず連想の対称性について述べます。
連想の対称性というのは、造語です。
子どもが「りんご」という言葉に対して「リンゴ」というイメージを学習した場合、子どもは不思議なことに「リンゴ」というイメージから「りんご」という言葉を示していると考えるバイアスがあります。
これは猿などに言葉を覚えさせると、このようなバイアスが見られません。
つまり猿は「りんご」という言葉が示しているのは、「リンゴ」というイメージなのだということを学習はします。
しかし、「リンゴ」というイメージが、「りんご」という言葉を示しているということまで学習することはありません。
そのため、猿には「リンゴ」というイメージが「りんご」という言葉を示しているという学習を別にしなければなりません。

で、これを対称性バイアスというらしいです。
今回はこれをパクって連想の対称性という造語を作りました。
意味は、連想元から連想先に連想するということの他に、連想先から連想元に連想できるという連想のこととしました。

つまり「イモ」という連想元に対して「くさい」という連想先をボブの場合連想しました。
ここで普通の連想であれば、実はイモ⇒くさいが成り立ったとしても、くさい⇒イモという連想は必ずしも成り立ちません。
そこで、これが成り立つ状況を作り出そうと思い立ったわけです。

その方法というのは、物語化するということです。
例えば、イモとくさいが成り立つ状況をイメージするわけです。
ボブの場合、「イモを食べた親が布団の中に屁をしてくさい」という状況をイメージします。
この状況ならば、イモ⇒くさいが成り立つとともに、くさい⇒イモという連想も簡単に出るようになります。

ここで重要なのは、例えばイモ⇒植物で、植物⇒イモという連想を成り立たせるために、「イモを家の庭に埋めて、そこから葉っぱが生えている」というイメージをしました。
このとき、イモというキーワードを覚えておき、寝室と庭という位置さえしかっり覚えておけば、二つのことを混乱なくイメージできます。

このように場所+要素=物語という簡単な条件がそろえば、複数個のことだろうと想起できるのでは。