場所法熟練者を考察し、新たに記憶術に応用(できるかも?)

高IQの人が場所法を熟練しやすい理由。
高IQの人はどうやら類推などの能力があるようだ。
そのためか、高IQの人はかなり飽きっぽいようでもある。

なぜ類推などの能力が、飽きっぽさにつながるか?というと、全てのことが“類似”しているように見えるからだとボブは考える。
ボブはここで類推能力というより、類似探索能力の方をピックアップしたい。
たぶんこの能力は類推と深い関わりがあるし、類推よりは簡単だと思われる。

この類似探索能力がたぶん高IQの人の熟練しやすい理由なのではないか、と仮説っている。

場所法熟練者は物語法と深い関わりがある説
場所法熟練者はその場所に置く、という単純な行為によりイメージを定着できるらしい。
しかしボブはこの置くという行為に、物語法的性質が存在しているのではないか、と仮説っている。
メモリースポーツのアスリートたちが述べていることでボブが興味深かったのは、場所法の場所とモノのイメージの捉え方だった。
メモリーアスリートがいうには、場所を順々にイメージしながら、順々にモノのイメージを観ていくだけらしい。
ニュアンスから、置くというより同時並列的に場所とモノのイメージを観ているぽい感じがした。
そして想起の際は場所を想起し、そのとき観ていたモノのイメージを思い出す感じとのことだ。

もはや置いてさえいないのか?!と思った。

このことからどうも場所と関連付けている、というよりはまさに順番に場所とモノのイメージを観ている私の自伝的物語を作り出し、想起しているようにボブは思った。
自伝的物語法は、ボブにとっても意味のわからないもの。

物語法自体に効果があるのは記憶術を使ったことがある人ならばだいたいわかるだろう。
だが、なぜ日常ではこの物語法のような効果が起きないのか?がわからない。
ようするに物語法には効果があるが、人生という物語にはどうしてこうも物語法と同様の効果がないのか?ということ。
もし仮に日常でも物語法と同様の効果を得られた場合、かなりその影響は大きいものだろう。

ここで場所法熟練者はきっと場所法を使う際にこの自伝的物語法なるものを開眼しているのではないか、とボブは疑っている。
その理由は先ほど言ったように、場所法がもはや場所法じゃないからだ。

場所法と対文章式記憶術パーツの共通点と相違点
場所法がなぜ速く想起できるようになるのか?というのは対文章式記憶術パーツのイメージがなぜ速く想起できるのか?という点と似ている。
何が似ているか、というと場所法も対文章式記憶術パーツも連続性を持っている。
連続性とは次に何が来るか?ということが前のイメージの状態から即座に連想できるということ。

でも相違点もある。
対文章式記憶術パーツでは全体が全てわかっている。
しかし場所では部分的な範囲でしか様子がわからない。
様子がわからない所は、移動していくことで連続性から思い出される。
だが、このときでさえ場所の全てを頭に思い浮かべているわけではない。
そういう違いがある。

デカルト式場所法と自伝性

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デカルト式場所法を研究していて思ったことがあります。
昔自己介在性という言葉を使って片づけたことです。
しかし再度再考したいと思います。

どういうことか?
場所を要素に分け続けましょう。
例えば自分の自室を3×3マスに分けましょう。
このとき、場所としての働きは?
部屋の大きさにもよりますが、ボブの部屋では働いています。

じゃあ、もっと細かく自室を9×9マスに分けましょう。
このとき、場所としての働きは?
ボブの部屋ではわずかにある。
このとき注意してほしいのは、何もない空間に1マスだけ分けた場所を置いたときをイメージしてください。

ここで場所の性質は一つわかりますね。
つまりマス目が狭くなっても、ある程度なら「他のマス目と連続して繋がっている場合」は、場所としての働きを損なわない。
反対にマス目が他のマス目と繋がっていない場合、場合によってはすぐに場所の効力を失うということです。

じゃあ同じことを東京ドームでやってみましょう!
すると9×9マスでも全然へっちゃらでした。

この結果は自伝的記憶の一つの性質を表しているのだと思います。
場所に限定した自伝的記憶とは何か?
これをはっきりさせたいです!

場所法はなぜ最強なのか?

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場所の特徴として、位置と広さを持ったイメージというものがあります。
普通イメージは位置もないし、ある程度の広さしかない。
その上、場所にはルートであれば連続性が備わっています。
そこに切れ目はない。
さらに情報量が多く、曖昧に記憶していることが多いという特徴も存在しています。
その点で場所のイメージというのは、普通の物などのイメージと比べると特徴盛りだくさんです。

これらの特徴が備わっていれば、普通のイメージでも同様の効果をもたらすことができると考えられます。
が、自然に統合された姿でこれを実現するのはなかなか難しいと思います。

この特性が仮にものなどのイメージに適用されると、かなり覚えられることになるだろうと思います。
もしかしたら、子どもは場所=もののイメージという形で区別されない可能性があることから、もののイメージに対しても場所の特性が適用される可能性があるのではなかろうか、などと考えてしまいます。

それはそうと、隣り合うAという広さを持った場所とBという広さを持った場所が存在するとき、AとBという広さを持った場所の重なり部分、A∧Bの部分ではAとB両方のイメージが想起されることになります。
そうして連続している場所A、B、C、D・・・というのは、連続的に想起されるようになるのでしょう。
仮に広さを持っていないと仮定すると、このような連続性はあり得ません。
また位置によって場所が区別されていることから、混乱することが少ないのでしょう。
仮に位置Aという一つの記憶であると考えても、上述の連続性から、あたかも大容量の記憶があるように思ってしまいます。
その上、多情報であるにも関わらず、曖昧に覚えても全然いい情報として取り扱われることから、記憶しやすい情報でもあります。
そのため、少ない回数で覚えれる気がするのでしょう。

空間とは何か?

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空間とは相対的なものだと思います。
なぜなら空間に何もない状態だと、リンゴをイメージしても、そこに空間があったとしても全く意味をなさないと考えるからです。

イメージしてみてください。
何もない真っ白な空間にポツンとリンゴが浮いている状態を。
このとき空間はあってないようなものです。

では、何を空間と言っているかというと、リンゴとミカンがあって、その二つの間に「距離」があり、それぞれ配置されている。
このとき“相対的”な位置関係から、空間というものがイメージされます。
ただし実はこれにはミカンの代わりに空っぽという状態があり、リンゴのみでも空間を想像できる場合があります。

イメージしてください。
例えばリンゴを思いっきり右の方に寄せてイメージしてください。
みなさんたぶんリンゴ一個のイメージをするとき、いつもリンゴを視界の中央にイメージしていたのではないでしょうか?
実は何も特段な事情がない限り、イメージは中央に配置されてイメージされます。
このことから、中央を空ければ空っぽの何かがあるという判定がされますので、リンゴ一個でも空間が相対的に想像されます。

さらに言えば空間は断続的なのを嫌います。
例えばAという部屋にいたのに、少し右に進むとBという部屋に入るなどがこの例に当たります。
このように空間というのは“相対的”で“連続性”に富むという性質があります。
これ以外の性質があったらその内報告するかもです。

空間集合

昔のアイデアノートみてたら「集合は色々作れるけど、位置や場所の集合なんてあり得るのか?」という疑問を書いてあった。
今日はその疑問の意味をあげてみようと思います。

そもそも集合化することは何の意味があるのか?
対文章式記憶術では一つのパーツに意味を複数持たせるのは、実はこのような集合化するというアイデアからも来ています。
まあ、対文章式記憶術ではその意味を複数持たせ、集合化することでも機能するという根拠を漢字に求めていますけどね。

しかし今回は意味ではなく、場所や位置を問題としているわけです。
少し考えればわかると思いますけど、普通の場所だって連続した位置の集合だとも考えられます。

けれども、今回の言っている意味は、位置に連続性がない場所の集合という意味だと考えられます。
それは例えば公園という場所があって、入り口からブランコまでの道のりを歩いていたら、なぜか一歩ごとに水族館のとある位置にワープしたり、動物園のとある位置にワープするということです。

しかも位置は場所に限定されるものではありません。
例えば物の一部分、つまりリンゴであれば、枝の周辺のリンゴの上の部分の位置という可能性もあります。
そればかりか空間の地面に着いた位置だけでなく、空に浮ている場合もあり得ます。

このように空間集合というのは、ありとあらゆる物や場所に存在している一部を切り貼りして集めたものです。
これを可能にする一つの確かめなければならない現象は、空間を切り貼りしたり、合体させたりできるのか?ということです。

ただし、確かめるのはいいのですが、空間集合が一体何に使えるのか謎です。。