複雑な関係性を記述するには?(規則対象外)

系統だった関係性を記述する方法は、鈴なり式があります。
鈴なり式を使えば、ある程度の関係性を記述できます。
しかし鈴なり式はかなり大規模な仕掛けなので、これを実行するには少し工夫が必要となります。
その上で鈴なり式では、かなり複雑な関係性を記述することは難しいでしょう。

そこで今回のテーマ、というわけです。
複雑な関係性を記述する方法というのは、ボブ達記憶術を使う人達が持っている手駒の中では、関連付けしかないような気がします。
この関連付けを複雑化させることで、複雑な関連性に対応して行くことしかないのではないか?と今のところ思っています。
関連付けにも色々なものが存在しているので、これが関連性を記述する方法として適していると、断言できるものはありません。

それとは別なのですが、ボブは関連付けに頼らずに複雑な関係性を記述する方法というのにも興味があるので、そちらも模索したいと思います。

超自伝的記憶術

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超自伝的記憶力を持った人の話で、一つ重要なことを思い出した。
それは超自伝的記憶力の人の中には、現在観ている光景と過去に観た光景の2つを同時に観ながら暮らしている人がいるということです。

これはボブの場合、パラレル思考の研究の話になるのですが、2画面を同時に観るということをしたときと同じような感じだと思われます。
この2画面同時に観ると、普通にただ漫然と2画面同時に観てもなかなか頭に入って来ず、ただ情報が流れていくだけの状態になります。

しかしながら、2画面同時に観ながら、2つのことを互いに関連付け合うと、これが変わって来ます。
例えば片方で手術をするようなドラマがやっているときに、もう片方でコーヒーのCMがやっているとします。
このとき、手術しながらコーヒーを飲んでいるイメージをすると、なぜかはわかりませんが、頭に入って来ます。
しかし頭に入ってくるのは、その関連付けを行った一時的なものなので、すぐに次の場面でまた関連付けをしなければ、また頭に入ってきません。

このようなせわしない映像の関連付けを行い続けているのかな?とボブは超自伝的記憶力の人を思いました。

さらに思ったのは、この2画面関連付けを行うと、例えば店などで席に座っている場合に、ほぼ自分が静止している状態であるにも関わらず、頭の中では、朝に経験した場面を動かしているので、全然静止していないイメージが描けます。
人間の記憶は、動いている方が印象に残るので、静止している状態でも動きを付けられるのは、かなりラッキーです。

このようなことが今回の気づきでした。

規則付け

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関連付けの派生の規則付けが今回のテーマです。
規則付けと言っても自分自身の世界のみで通用するような規則付けと理解の働きのように、客観的な正解のある規則付けがあると思います。
記憶術の場合は自分自身にしかわからない規則付けが推しです。

自分専用規則付けの例は、ボブ→ウサギ→犬→カエルの順序は完璧に自分にしかない規則付けです。
その他にも要素に注目して規則性ないものに無理やり規則付ける方法があります。
例えば、花びら→花粉→ダニ→蚊といったことを覚えなければいけない場合に、無理やり花びらから花粉、花粉より大きいものダニ、ダニより大きいもの蚊というようにイメージを規則付けます。

大きさ順にして覚えるのをボブは順序付ける呼んでしますが、これはなかなか使える技術だとボブは思います。
他には強さ順にしたり、頭の良さ順にしたりして、何らかの要素に着目することが大事です。

関連付けの確率

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関連付けをしていて、見えない波動拳みたいな関連性だと一体全体何を関連付けられているという判断に至るのか?というのが謎だった。
例えばボブが見えない波動拳を打ち、その直線上に戦士と恐竜がいたとしよう。
このとき、戦士は無反応だったが、恐竜が急に倒れた場合、関連付けは成立しているだろうか?という疑問が湧く。

どうも色々試してみていると、これは確率的な判断をしている気がするということに行き着いた。
つまり、その事態がありそうであるかどうかだ。
あり得そうなら、勝手に関連付けは成立する。
なさそうなら、関連付けはされない。

と、色々考えていたら、理解に近いイメージもこの確率的な判定がなされているのではないか?という疑問が湧いた。
つまりそのイメージが実際の現実でもありそうなイメージなら、勝手に関連付けられて理解されるのではないだろうか?

まあでもそれがわかっても他のわらないことを何とかしないとダメだろうけど。

重行為術(謎

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行為には行為+接触があるかもしれないということを述べて、結局接触などという行為はないという結論に達した。
でもこれは応用するとあることを示唆している。
それは行為にさらに行為を付けられるのではないか?ということです。

行為にさらに行為を付けるというのは、
例えば「相手を殴る」という行為に、蹴るを加えたいと思ったときに、「相手を殴るとともに手の指で相手を蹴る」というような一手間を加えることで、全てが3分間クッキングのように完成するような感じです。

このとき行為と接触のように、行為の特徴に行為をくっつけるということが大事です。
例えば先ほどの例の「殴る」と「蹴る」というのを別々に発動するのではなく、「殴る」に「蹴る」を併せるのが大事ということです。

これを考えたら、「殴る」「蹴る」「遊ぶ」を併せた場合、「殴りかかりながら、指で蹴って相手をツンツンし弄ぶ」ということになります。
もうわけがわかりませんけど、どれだけの長さまでできるのか?は謎ですね!

関連付けは特徴の出し合い

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関連付けでは“特徴”に対して関連付けが行われ、その特徴は一対一対応を基本に関連付け合っているというのを述べたと思います。
でもこの場合に想定していたのは、一方の特徴に一方が一方的に関連付け合っている状況でした。

しかし実際はそんなことはなくって、イメージが2つあったら、ほぼ必ずその2つのイメージは関連付ける際に、特徴を出し合って、関連付けられていることが多いです。
でも関連付けの際、必ず2つのイメージが特徴を出し合う必要性はありません。

その例として、「ボブが戦士、竜、クマの順で針で串刺しにした」場合を考えてみましょう。
この針自体には針であるという以外の特徴はないので、普通に串刺しにしたら、想起の手がかりがなく、上手く想起できません。

ならば、こうしてはどうでしょうか?
「ボブが戦士の右足を刺し、そのまま竜の左足を刺し、そしてそのままクマを貫通するように刺した」場合はどうでしょうか?
この場合相手が特徴を出しているため、あまり干渉を起こすことなく、イメージが想起できると思います。

このことより相手、もしくは自分の特徴を出し合って関連付けられていることがわかると思います。

特徴の発見

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これはもうニュースで書いた方がいいんじゃないか?と言うほどの長文です。。
そのため、飽き飽きする場面が、ボブの昔の学校の国語の先生ばりに出てくると思います。
けど、地味なのは結構当たり前です。
なぜならボブはそんな厳密分析シリーズを、図書館にいるメガネっ子ばりに愛しているからです。

それはそうと速く本題に入ります。

さて、みなさんも記憶術を使って、イメージを関連付けている最中にふっとこんなことを思いませんでしたか?
何かー、いつもいつも一つのイメージに一つのイメージを関連付けているのってー、かったるいはー、もう学校の宿題ばりにかったるいはー、と。。。

そこでボブは思いました。
どうでもいいけど、行為による関連付けって、串刺しとかでもその効果は生じるのかなー。
そうしてボブはいくたの戦場を駆け巡り、実験して行きました。
そう歴史でいうとドラキュラ伯爵が、相手の戦意を喪失させるために、戦場に串刺しの死体をいくつも掲げたように。。。

まずイメージの例を与えたい。
ボブが、戦士と竜とクマをこの順で長い針のような武器で串刺しにしている様子をイメージされたし。
このとき色々していると、たぶん、あれ?順番どうだったかな?とか、あれ?何が関連付けられていたっけ?とかになると思います。

これを超えた先に何があるのか?
スーパーナンチャラとか、あったらいいね!

これを解決するには、針を改造すればいい!
針にこんな細工をします。
例えば針の手元には、つばを付けます。
そして針の中央には、丸い玉を付けます。
最後に針の先はスピアーのようになっている、というイメージの針にします。

これを使って、こんな風に刺します。
ボブが戦士をつばの近くまで深く刺し、その次竜を針の中央の丸い玉の部分で止まるように刺し、そして最後に、クマがスピアーで刺されているとイメージしてください。
こうすることで、順番通りに思い出すことができると思います。

これはこんな教訓を生みます。
つまり人は“特徴”を想起のカギにしているということです。
これが特徴の発見です。

連想と行為の関連付け

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連想と行為の関連付けは二重化できるのか?というのが今回のブログのテーマです。

連想も行為による関連付けも関連性を持っているのは両方同じです。
しかしイメージ自体を生成してしまうのが連想ですが、行為による関連付けはイメージを生成しません。
また一つのイメージを軸にして、色んなイメージを連想して行くことが連想ではできますが、行為による関連付けは一つのイメージを軸にして、複数個のイメージとを行為による関連付けをすると思い出しづらくなります。
しかしどちらも数珠つなぎの形での連想も行為による関連付けはできます。

この行為による関連付けにはできないけど、連想ならできるという部分をなくしたらどうなるのか?ということに非常に興味を持ちました。

例えば「AさんがBさんにチョップした」というのは行為による関連付けです。
でも「Aさんがチョップした→(連想)→ボールに」というと少し連想の要素も取り入れています。
このようなことを他のイメージでもしていくことは可能なのか?
そしてそれはどの程度可能なのか?
この点が研究できます。

ミクロとマクロな関連付け&関連付けの理想

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ミクロとマクロな関連付けが存在していることに気づきました。

ミクロとは例えば「い」の斜め線一本に対して関連付ける場合です。
つまり小さい特徴を見つけ出して、関連付ける場合です。

もう一つのマクロな関連付けというのは、例えば「い」の全体を使って関連付ける場合です。
全体を一つの特徴として見做して関連付けるということです。

では微細な特徴に関連付ける場合と全体を特徴と考えて関連付ける場合のどちらがいいのか?というと、「他の特徴と被っていないならどうでもいい」とボブは考えます。
ようするに、特徴を細かくみていった場合に、その特徴がすでに関連付けとして使った特徴と似ている場合、それは干渉の元になるのでやめなしょう、ということです。

そしてそれとは別なのですが、関連付けの最終的理想は、情報の取捨選択を自在にできるようにすることだと最近思いました。
例えば、全く別々のページに実は一つの表にまとめられるような情報がバラバラに載っていた場合に、その情報を自在に拾い上げて、その表を作るようなことができたらいいなーと思っている次第です。

記憶感情学

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記憶の際に感情はどう働いているんだろう?
なぜ感情は記憶を促進するのか?
一部の人はそんなの当たり前だろう?と言われるかもしれませんが、ボブ的には感情と同じ要件を満たせば、感情以外でも同様な効果を求められるのではないだろうか、という下心があるので、これらの疑問は大事です。

まず感情は記憶の際にどう働いているのか?という質問を現在暫定的な考えを述べたいと思います。
目の前にある視覚的情報に対して、感情は“関連付け”と同様の働きによって、関連付けられているのではないか?と考えました。

しかしこれだと「じゃあ、関連付けすればいいんじゃん?」ということになると思いますが、関連付けと明らかに違うのは、感情の説明力と視覚的情報として表されていないという2点でしょう。

感情の説明力というのは、普通の関連付けであれば、例えば関連付けた一部のイメージしか想起できないと言った局所的にしか効果がない場合があるのですが、感情は基本的にその情報が“感情の誘発に起因するもの”であれば、かなりの広範囲に関連付けられます。

また視覚的情報ではないという点は、視覚的情報が物理的なものを曖昧ながらも持っているということ。
つまり、例えば関連付けの際に、全方位から一つのイメージに関連付けた場合、隙間が存在しないのに、その方向から関連付けるということを許容しない場合があるのですが、感情はそもそも視覚的情報ではないので、簡単にそれをできます。

これらのような細かい性質のどこまで解き明かす必要性があるのか、はわかりませんが、ながーーーーーーーーい目で見てください。