情報を入力し続けることによる忘却(アガナエ!)

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人間は情報を見たり、聞いたりすることにより、大半を忘れるという。
そこで今回はその忘却に少しでもアガナエる方法を提示しようと思います。

まあ、普通超自伝的記憶の人達も本読んでも、自分に関わりないことだとドンドン忘れるらしいです。
では、反対に聞くけど、本なのに自分に関わることだとなぜ忘れないのか?
その仮説は
①感情が動くから
②自己が関わっている様子を描けるから
③想起のスケジュールに組み込めるから

ではないかと仮説ってます。
①はいいとして、②はたぶん彼らがやっている想起法というのが、自己を軸にして想起する方法だからだと思われます。
③はそうして②でイメージした情報を何らかのスケジュール化して思い出す方法を持っているのではないか、と一番謎で現在わからないところです。

さて話は戻りますが、そうそうアガナエる方法ですね。
今回は本の内容に限定しますが、出来事を少し情報を覚える度に挟むとアガナエるのではないか、と思っています。
つまり仮説です。
例えば1ページ読んだら、外に目をやって今の自分の変化を軸に印象に残ることを探す。
そしてその後、変化を見つけたらすぐさま1ページの記憶術的イメージと結びつける。
そう外界の情報を意識的にイメージと結びつけまくるのです。

まだ仮説なので本採用になっていませんが、できればこの自分を含めた外界と本の内容を結び付ける規則性などを研究したいですね。

マス目の場の構造

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マス目の場とは、縦3×横3のマス目を使った場のことです。
つまり行列マスのことです。

このマス目を場として色々使おうと画策して来ましたが、みなさんなぜボブが3×3マスばかりで、その実現をしようとしていたかお分かりでしょうか?
それは人間の認知能力で無理なくイメージできるのが、3×3マスだからです。
この無理なくというのは、ボブ調べですが、これ以上、例えば5×5マスになると少し無理が生じます。

しかしそれを打破する方法が今回ボブのテーマです。

マス目の場の“構造”となっているように、マス目自体に構造を持たせることでボブは解決を図ることにしました。
構造の一つが“高さ”です。
例えば5×5マスでも
⑤④③②①
④④③②①
③③③②①
②②②②①
①①①①①

という配置にします。
①~⑤は高さを表します。
①が一番低く。
⑤が一番高いです。

このようにすると高さによって位置に特徴が付き、そこに置いたイメージの位置が分かりやすくなります。

構造と言っている限りはこのように高さだけが、構造ではないので、ガンガン発想を柔軟にして、色々試してみるといいと思います。
この方法を使えば、中間プットの理想形であるノートのような記憶術につながるかもしれません。

記憶術学基礎論(観察と内観の違い)

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普通に目で見て観察する場合と心的現象を内観する場合とでは何が違うのか?というテーマです。

普通に目で見て観察する場合は、実は対比して見ているのではないでしょうか。
つまり心の中にある観察対象のありようと、今自分が目の前で見ている対象を対比することで、その違いを浮き彫りにしているのでしょう。
例えば、本のない本棚を観察する場合、“普通”ならばここには本が入っているということが観察できるのは、心的にその本棚に何かしらの本が入っている場合をイメージし、それと目の前の本棚を対比しているからだと思われます。
この視覚的な仮説をボブは“視覚的仮説”と名付けています。

もちろん知覚心理学で言われている形の同定から意味の同定という形も存在していると思われます。

これに対して内観の場合、“言語的仮説”が力を発揮するのではないでしょうか。
つまり内観した場合は、それ自体が心的な情報であるため、別の心的な情報と対比させるためには、言語の力によって状況を設定する必要性があるのではないでしょうか。
ここで一番有力な言語は“普通”ならばです。
例えば「心的にイメージした情報が消える」という現象を観て、ボブならば「普通ならば消えないはずだ!」という仮説を作ります。
そしてそれを「なぜ消えるのか?」という疑問に変えて、思考してみています。

このように普通という言葉は、無数の意味を持っています。
人によってその設定の仕方が違います。
なので、かなり曖昧な言葉なのですが、結構天啓を与えてくれます。

自伝的記憶について

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Twitter上でもつぶやきましたが、HSAMの人は自己の介在していない記憶に関しては忘れる傾向にあるらしいです。
でも考えてもみてください。
自己の介在していない記憶なんて存在しているのかな?
答えはNO!です。

確かに世の中には意味記憶や本の自分の存在しないストーリーなどなどは存在しますが、全て「自分」という五感を通して処理しているはずです。
なのに、自伝的記憶じゃないから忘れるー。
あり得ないですね!

つまり彼らの言っている自伝的記憶ではないものというのは、少なくとも「自己の介在いない記憶」ではないということです。

彼らに存在していると思われるのは、相互反応性と言えるものだと思います。
相互反応性とは、自分の反応と周囲の何かの反応が相互に起きることです。
彼らはきっと自己を記銘、想起の起点としているのだと思います。

つまり普通の人は、「外で見た景色を記銘し、想起しよう」とします。
けれど、HSAMの人は「自己の内面や身体的感覚などを記銘し、そして外のことと結びつけて記銘しようとしているのでしょう。それは想起のときも、まず自己のそのときの内面や身体的感覚を想起し、そして外のことを想起しようとしている」のだと仮説ってます。

つまり普通の人が外の情報を起点としているのに、彼らは“自己”を起点として記銘、想起しているのだと思います。

こう考えると彼らはメタ認知を駆使して、自己の内面の微妙な変化をすくい続けているのだろうと思います。。。

デカルト式場所法と自伝性

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デカルト式場所法を研究していて思ったことがあります。
昔自己介在性という言葉を使って片づけたことです。
しかし再度再考したいと思います。

どういうことか?
場所を要素に分け続けましょう。
例えば自分の自室を3×3マスに分けましょう。
このとき、場所としての働きは?
部屋の大きさにもよりますが、ボブの部屋では働いています。

じゃあ、もっと細かく自室を9×9マスに分けましょう。
このとき、場所としての働きは?
ボブの部屋ではわずかにある。
このとき注意してほしいのは、何もない空間に1マスだけ分けた場所を置いたときをイメージしてください。

ここで場所の性質は一つわかりますね。
つまりマス目が狭くなっても、ある程度なら「他のマス目と連続して繋がっている場合」は、場所としての働きを損なわない。
反対にマス目が他のマス目と繋がっていない場合、場合によってはすぐに場所の効力を失うということです。

じゃあ同じことを東京ドームでやってみましょう!
すると9×9マスでも全然へっちゃらでした。

この結果は自伝的記憶の一つの性質を表しているのだと思います。
場所に限定した自伝的記憶とは何か?
これをはっきりさせたいです!

デカルト式場所法

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デカルトと言えば、ボブの知る限り要素を観ることによって全体を作り出そうという哲学の基礎付けになった人です。
では、場所も要素に還元することで、何か特異な性質を有するのか?ということを知りたいというのが今回のテーマ。

(全然シリーズ化していないのは、それだけ体系だった研究は面倒くさいということです)

まずモノが一切ない部屋で考えようと思います。
ただの四角い部屋なのですが、ここに何か他の現象を投入しましょう。
ボブが不思議に思うことがあります。
HSAM、つまり超自伝的記憶を持つ人達はなぜ繰り返す日常の中で登場する同じ部屋や同じ場所で起きた出来事を、干渉せずに保持していられるのか?というのが不思議でたまりません。
この現象はモノが一切ない部屋では顕著に表れると思います。

もし仮にその方法が出来れば、同じ部屋や場所の使い回しができることになり、有用な方法だと思います。
つまり「場所のリサイクル問題」として考えることができると思います。

さて、それがデカルト式の場所法と何が関係あるのか?
変化を要素に還元することで違う場所の判定は受けられないのか?というのが狙いです。
部屋であれば、汚れた部屋ではなく、“キレイ”な四角い空間の中に“汚れ”があとから付着していると考えたり、何もない空間にモノが“付随”していると考えたりすることで、常にその付加物を変えることで違う場所としての判定を受けれないのか?ということです。

つまり付随するイメージをいくつか拾い上げて、そのイメージを大袈裟にすることで別の場所として判定をさせるということです。

記憶術学基礎論(単品思考と対比思考)

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ある情報単品からその特性を取り出す方法としてボブがしていることは、たぶん「状況を設定」するということだろう。
例えば記憶という言葉からその新たなる特性を導き出そうとする場合、ボブがしたのは、その情報の数の操作だった。
数が少ないとき、明らかに記憶は異なる働きをみせた。
つまり数が多い状況と少ない状況を作り出し、それを対比したということだろう。

さらに情報が2つ以上あるときは、あるいは見つける、作れるときは基本的にボブは「二項対立」や「対比」と言ったことをしている、、、と思う。
例えば対文章式記憶術が生まれるまでを考えると、まずボブがやったことをメリットとデメリットという二項対立でものを考え始めた。
普通の記憶術にはメリットはこうで、デメリットはこうで、と考えた。
結果その中の文章を覚えにくいというところが、ボブの価値観上重要だと判断した。

そして記憶術とはじめのころ二項対立していたのは、理解する方法、つまり理解術だった。
だからこのブログ内でも理解のことに触れたブログがある。

最後に強力なのが「対比」だろう。
例えば普通の記憶術と対文章式記憶術の対比をしてみてもいいだろう。
この場合、普通の記憶術の強みをボブの場合見てしまう。
それはイメージが何も組み合わせないイメージであるがゆえに、想起しやすいのではないか、という強みだ。
ボブはこれを何度も超えたいと思っているが全然できていない。
このように普通の記憶術の上位互換として対文章式記憶術の開発をしているが、普通の記憶術の方が優れた点は、今でも散見される。

線という究極の関連付け

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ある情報からその他の情報に線を引く。
これはノートでよく行う関連付けの一種だと思います。
でもこれを記憶術で行うのは難しいです。
なぜなら線が記号的であればあるほど、イメージの世界ではそれを保持しておくことが難しいからです。

これに対抗する方法として、「鈴なり式記憶術」が存在します。
興味ある方はググってください。

しかしボブはこれでは根本的解決になっていないのではないか?と考えています。
これも場所が大量に必要となるからです。
しかもかなりゴージャスな場所の使い方になってしまいます。
この鈴なり式も方法としては持っておきたい方法ではありますが、手札を多い方がいいとボブは思うので、これを超すようなお手軽な方法を作りたいです。

ボブが考えるお手軽な方法とは、線を太い鉄パイプとして考えます。
この鉄パイプを曲げたり、伸ばしたりすることで「線」を表そうと考えました。
さらにボブはこの鉄パイプを使って、人や生物やモノと言ったものを作り出そうと考えています。

つまり昔のブログで述べたノード(線)で絵を描けということと同義のことをします。
関係性さえちゃんとした繋がりを持っていれば、情報の位置や線自体は自由に操作していいはずです。
ならば、その関係性全体を覚えやすいように配置しても構わないです。
ですからノード(線)で絵を描くことが可能ではないでしょうか。

追記:対文章式記憶術でもこれを導入しようと思っています。
上手く行けば対文章式記憶術でもスマートに順序を取り入れるかもしれません。
さらにノートのような記憶術も立ち消えになっていましたが、この方法を取り入れることでさらに可能性が高まるかもしれません。

簡素な空間

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簡素な空間問題。
場所の特性の一つである多情報という部分に反逆する方法を開発しましょうというのが今回のテーマ。

場所法で不思議なのは、場所の情報が多情報であるにも関わらず、実際に使われている情報はすっごーい“少ない”というもの。
空間は特徴的であるがゆえに、干渉を起こしづらいという特性を持っています。
が、その特徴を全てイメージとの対応付けに使うわけではないのです。
それはなぜなのでしょうか?

もし仮に場所が全ての特徴を使い切る形でも効力は発揮するならば、それはつまり簡素な空間でも場所法は場所法足り得るということになります。
また空間的特徴というのが実際どの程度で干渉するようになるのか?
ここも気になるところでしょう。

イメージしてください。
壁や天井や床、全てが透明な世界で、あるのは立方体の頂点を表す玉だけ。
このような形から全てを思考して作り出してみる。
ときには頂点を移動させ、空間をねじってみるなどなど。
ボブ的には結構面白いと思います。

記憶術学基礎論(結びつけるパターン「似たもの探し」)

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ある一定の規則を持った一直線状の情報が、記憶術では必要ということを前の記憶術学基礎論で述べたと思います。
これは例えばPAOの変換表でも同じことが言えます。
変換表の場合100個のPAOというイメージの絵を、一直線状に並べた情報という言えます。


もちろんPAOの変換表は規則性を持っていません。
規則性を持たせると何が嬉しいか?というと、規則性からまだ自分が見ていない、考えていない情報というのが予想できることがおいしいのです。
例えば数に対応したPAOの変換表に規則があり、無限個の規則性を持った一つのイメージが数と対応しているとしたら、12345という数を一つイメージに変えることも可能です。
これがおいしいのですが、なかなかこれが難しいのです。

さて本題はそこではありません。
なぜならタイトルにあるように「結びつけるパターン」が今回のブログのテーマです。
よくある結びつけるパターンとは「似たものを探すこと」です。
例えば上述一直線状の情報というところは、一言で表すなら「列」という風にボブは表現します。
これは列がボブ的には、“似ている”と考えるからです。

こうすることで何が嬉しいか?というと、列という短い語で頭の中で思考できるようになるということです。
概念を扱いやすくなるということですね。

他にもパーツの規則性と順序からボブが良く使うパーツの「19進法的」性質もまさに“似ている”ことから探し、結びつけたパターンです。