記憶術のイメージが消えることは悪か?

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最近イメージが消えやすいということは良いことじゃないのか?と思い直している。
なぜか?
最近みた動画の中で、間違うことによって記憶が強化されるというものがあった。
それを観て思ったのは、間違うことをわざと引き起こしやすい状況に置くことによって、短時間で何度も間違い、記憶力の強化につなげようと考えた。

問題はその間違うということが、なぜ記憶力の強化につながるのか?ということだろう。

昔ボブが考えたのは、間違いというのは、答えを覚えなければ、何度出力しても同じような間違いを起こす安定性がある、ということに目を付けたことがあった。
そして、その安定した同じ間違いから答えを知ることによって、安定した間違いと答えが結びつく。
その結果、次に同じ問いにあたったとき、安定した間違いを思い出し、次にその安定した間違いと結びついた答えに行き着くというプロセスがあるのではないか?と考えた。

きっとこの答えも完全な間違いではないだろう。
しかし間違いというのはそもそも記憶術をしている人ならば知っているだろうが、不思議な性質がある。
例えば記憶術で「ドスコイ」という相撲で使われるような掛け声を覚えたいとする。
ボブの場合「ドス=刃物が、コイ=来ている状況をイメージする」とする。
すると、刃物が来ているという状況は、間違いで、本来はドスコイという掛け声を覚えたかったんだ、ということが無意識にわかる。
これをいつも不思議がっているのがボブだ。

正解を忘れた場合でも、ほとんどの場合、「これは何か他の情報を表しているんだ」ということは思い出せる謎。
何を持って、間違いは間違いたり得ているのか?

その他にも間違いというのは、きっと多くの性質があるだろうと思う。

主観的物理学〔イメージ化学〕(規則対象外)

ちょっとSF的な話です。
今月のサイエンスという雑誌のあるテーマの冒頭の方で、物理学は客観的で真実を捉えるような学問だと思われている、という感じのことが書かれていた。
全てのことは突き詰めれば、物理学的なことに行き着き、数式で定義され、実験されている。
そのため、誰かにとっての物理法則は、誰かにとっては違うというようなことはない。
そんな感じのことを書かれていて、少し思ったことがあります。

本当に人それぞれの物理法則というのは存在していないのだろうか?
ある人が定義した物理法則は、別の人にとっては違う物理法則が成り立っていた、なんてことは本当にないのだろうか?

で、魔法ってもしかしたら、この人それぞれの別の法則が適用された結果、そんなことができるんじゃないのか?と「魔法科高校の劣等生」というアニメをユーチューブで見ていたので思ってしまったわけですw。

それはそうと実際には、魔法が使えてしまうと言ったことはないにしても、イメージの世界には法則性が存在していると思います。
それをどうにかして、まとめ上げたいと思って、mixiでコミュを立ち上げた時代から試行錯誤しています。

その内なんか言えたらいいなーと思う次第です。

ミスと虚経験

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めっさっ昔のアイデアノートみていたら、ミス法と虚経験という二つのアイデアが出てきた。

その他にも絶対的記憶術と相対的記憶術っていうアイデアも出てきた。
これは今読み返せば、絶対的記憶術はガチガチにルールで縛る記憶術のことで、相対的記憶術は直感を拡張していくような記憶術のことです。
そのため、今覚えばあまり内容を表していない名付け方をしたなっと思ってしまいました。

それはそうと、ミス法も虚経験も相対的記憶術、つまり直感的記憶術の分類に入る記憶術です。

ミス法は文章があったら、わざとミスって違う内容を覚え、あとで思い出したときに正しい文章に直す方法です。
例は「ミス法は文章があったら」をわざとミスって、「スミの文字があったら」という風にします。
これはあくまで直感的なものなので、人それぞれ違いますので、答えはないです。
虚経験とは、名前の通り嘘の経験です。
嘘の経験を思い描くことで、記憶する方法です。
例えば「ミス法は文章あったら」という文章を見たら、嘘でもいいので、「文章をミスしている状況」を思い描くのです。

昔作った方法なので、ボブ自身も忘れていましたw。

場所と時系列を両立する

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場所と時系列を両立し、整理する方法の1案を提示。

場所は基本的に横への広がりです。
そのため時系列を横に広げてイメージするのは無理があります。
そこで時系列を縦に伸ばすことにしました。
そうすれば、変化の様態なども空、あるいは地下の方に向かって同じ場所を作り出し、一瞬一瞬の状況をイメージすればいいことになります。

ちなみに人間のイメージというのは、写真のように静止画像で、奥行きが少しある程度のものです。
そのため、変化などを記憶していくのは苦手なことの一つなのです。

ですが、運動を残像のように残していくことは可能なのです。
そこで時系列をどこかに与えて、運動や変化の残像を残していきます。
しかしながら、例えば、場所をフルに使ってある時刻に覚えたイメージを置いたとします。
すると、次の時刻に覚えたイメージを置く隙がなくなることになります。
そこで、同じ場所だけど、時刻が違う同じ場所を縦、つまり空、あるいは地下にズラして時刻の違いを表します。
そうすれば位置による相違もあるので、同じ場所と認識されにくくなります。
でも、たぶん同じような場所のイメージの置き方をするとやっぱり無理だと思うので、そこは改良の余地がありますねw。

直感的記憶術の拡張

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直感的記憶術の拡張が今回のテーマです。
なぜ直感的記憶術なのか?というと、対文章式記憶術はバリバリの規則で縛った方法ですぐに使える方法ではありません。
一方直感的な記憶術は規則が少ない傾向にあります。
そのため、一般受けするのは直感的記憶術だろうと思ったからです。

と言っても、拡張する方法は実はまだ見つかっておらず、実際は直感を限定する方法が見つかっているぐらいです。
直感の限定というのは、例えば同じ「リンゴ」を直感的に変換する場合は、「赤いリンゴ」を思い浮かべるところを、「人」に限定して直感を働かせることによって「リンゴ頭の人」を思浮かべるなどをと言った方法があります。

しかしこの方法をボブが採用してこなかった理由は、ボブの観測では、「人」などの限定的な直感を働かせる方法だと、後で見返したときに、全然思い出せないことがあるのです。
つまり想起を犠牲にして、記銘の際の利便性をとっているということです。

しかしもしかしたら、真に上手く直感を働かせる状況があるかもしれません。
その一つとして、例えば一つ一つのイメージに対して直感を働かせるのではなく、複数のイメージ全体に直感を働かせることで、何か違うことができたり、連想をすることで、直感を上手く働かせることができるかも?しれません。

超高速セルフティーチング

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超高速セルフティーチングを開発しようと案を考え中。

まず相手をイメージした方がいいとボブは思っている
そして何か言ったら、相手に“大袈裟”なリアクションをしてもらう。
ちゃんと質問もぶつけてもらう。
それを高速で行う。

ただし、ここで言葉を使うか?視覚的情報を使うか?で悩んでいる。
言葉であれば速話、つまり言葉を単語単位で短い音にしたもの(例えば対文章式記憶術の「私」という単語をあ行で表す方法)などを使えばいいと考えているが、視覚的情報の案として手話に速記を取り込んで速さを追及した速手話を使えばいいと考える。

問題は視覚的方法であれば、相手をイメージした場所に板書できるようなものやイメージを投影できるようなものを置いておくことで、こと足りるという点だろうか。

しかも速話が完全に使えるならば、速手話でさえスピード上で劣るため、やっぱり速話が最強なのではないか?と思ってしまう。

しかし視覚的に表せるという方が、覚えておくということに関してメリットが高いため、速話が最強ともいいにくい。

とりあえず完璧に決まっているのは、「相手」の導入と「大袈裟なリアクション」の導入、さらに「質問攻め」の導入、そして最後に「イメージと板書が可能なもの」の導入だろう。

注意として場所はどこでもいいということだろう。

問題な点は視覚的に残る速手話を用いるのか?
それとも最速を行く速話を用いるのか?
まあどっちも訓練する時間があるならば、どっちも使ってしまうというのは手ではある。
ただし、訓練時間が膨大になるかもですけどね!

行政書士の試験、、、オワタ。。。(規則対象外)

行政書士の勉強テキトウにやり過ぎてダメだった件ww。

まず過去問に手を付けるのが、初手過去問であるべきなのを知りつつ、記憶術でごり押しすればいいや~と思ってしていなかったのが、大きな敗因だった。
そして過去問を読んで、今の勉強の仕方じゃダメだ、、、となった時点でもう手遅れ気味だった。

あとは勉強量だと思いました。

行政書士の勉強は速読力が必須だと思いました。
速読できないと、全然範囲を回せないためです。
自分の場合、1ページ5分以上かかっていたので、当然大回転法などは使えなかったです。

しかも試験のときも速読力がものを言う。
ボブはわからない所を飛ばしたにかかわらず(15問ぐらい飛ばしました)、普通にギリギリで終了しました。
つまり普通だったら、それなりに速読していないとダメということ。

そんな感じで、速読力がなかったため、あまりフルはなかったというのが現実でした。

内的アウトプットと自閉症

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内的アウトプット、つまり中間プットとはインプットとアウトプットの間の方法です。
ようするに、アウトプットが外に何らかの行為をもって、表現するのに対して、内的アウトプットとは外には出さず、イメージや思考を通じて、覚えた情報を心の内にアウトプットする方法です。

今回は自閉症の人の証言から、考えた方法を紹介します。

記憶術を改良にするに辺り、考えられる道が2つあります。
一つ目は、イメージの世界では運動や影などを統合して表すことが難しいのですが、それらを統合しようと考える。
いわば統合の道です。
もう一つは自閉症の人は、形と色を同時にみることができないということからヒントを得た自然に統合している情報を分離させる。
いわば分離の道です。

さて、ここでは分離の道の話になります。
自閉症の人同様に、目の前のノートや筆箱から色を抜いて、内的にイメージを描くと覚えやすい気がしました。
まだ観測を続けなければいけないのですが、どうやら目の前の情報を平面的に観たり、色を抜いて線として観たりすると記憶に残りやすくなる気がします。

でも、まだ観測段階なので、何とも言えませんがw。

場所に一つの概念

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場所法を改良しようと考えて、スーパーリコグナイザーのことを思い出しました。
スーパーリコグナイザーの人はたぶん分類による方法か、情報の統合による方法かを採っていると思っています。
分類による方法とは、記憶対象を分類して行って、そこに何かしらの情報の整理を行い、記憶に残そうというものです。
もう一つの統合とは、対文章式記憶術の組み合わせるということによって情報を少なくしようとするものです。

で、今回は統合の方法があるのではないか?と考えました。
例えば、ある位置にあるイメージは、何かしらの一つの概念に変えることができるという方法です。

それで実際やってみたのが、喜怒哀楽などを使った方法です。
場所の四方に喜、怒などをあてて、位置によってその感情の混ざり方を変えるというものです。

やってみたはいいのですが、結果が出ているのか謎です。

意味記憶について

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エピソード記憶があるのに、なぜ意味記憶ってあるんだろう?と最近思いました。
だって意味記憶ってエピソード記憶から意味記憶になる場合が多いでしょ?
まあ、子どもは意味記憶がかなり得意みたいですけど、エピソード記憶があるから意味記憶なんてなくてもいい気がするのはボブだけでしょうか?

そこでなぜ意味記憶があるのか考えてみた!

意味記憶の特性から考えた結果
1.時間や労力の節約のためでは
2.条件反射的記憶では⇒多数の条件から少量の情報を出力するのでは
3.少量の情報を返す記憶では
4一対一対応が本来的な記憶では

それに対してエピソード記憶の特性から考えた結果
①特定の決まったエピソード記憶を想起するには、意味記憶同様キッカケが必要では
②特定の解釈ではなく、多義的な解釈が本来的では
③大量の情報を返す記憶では

と言った感じでした。

これから考えられることは、、、明日までの宿題ということでwww。