民法理解術(工事中)

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はい!
ボブでーす!
今日は民法に見れられる理解術を途中なんですが、少し述べたいと思います。

そもそも巷で言われている「理解」とは何ぞや、と思います。
理解すると覚えなくてもいい!や理解すれば覚えておく情報は少なくなる!と言ったことが言われています。
つまり具体的個々の事例というのが存在していて、それを抽象化することで、情報量がぐっと少なくなる。
だ、か、ら覚えておく情報は少ないのだ!と言った論調をされる方もいます。

でもね。。。
これって本当ですか?
とボブはなる訳です。
なぜならボブの苦闘の歴史はまさに情報数保存則とのバトルだったからです。
つまり多数ある具体的事例が、少ない抽象的な情報にただただ置き換わるんだったら、対文章式記憶術は要らんのじゃあー!!!!

では、彼らの言う理解すれば、覚えなくていいや覚える量が少なくなるという言葉は一体全体どこからくるのか?

それは簡単に言えばボブは“連想”から来ていると思っています。
つまり連想で繋がった情報というのは、覚えなくても連想し続けるだけで引き出せる。
だから覚えなくてもいい!というのがボブの出した結論です。

で、こっからはどう連想に繋げるのか?を解説します。
TAC出版『行政書士の教科書』の第2編の民法PP.275~284までを使って、ボブなりの理解をしてみました。
まずボブがしたことは、
名前は覚えない!
構造を覚える!
です。
片務契約や双務契約なんか書かれていますが、一方的にボコられるか、それともケンカしているかの違い、なんて感じで構造だけ覚えやすい形で覚えます。

で、あとは「対比してみて、何に“着目”したら個々の事例の“区別”が付くのか?」という視点で情報を見ます。
その次に、
なぜこの提示順序になっているのか?
なぜこの情報はここに置かれたのか?
を考えます。

具体的には
特定物債権と種類債権と選択債権という順に説明されていますが、ここで何に着目したら、この個々の事例を思い出せるのかな~?ということを考えます。
ボブの場合それは物の“数”でした。
特定物債権の場合、物の数は1個です。
選択債権の場合、物の数は2個以上です。
種類債権の場合、物の数は無限です。

ボブがここでイメージしたイメージは、ホップ、ステップ、ジャンプ!でジャンプで空を飛んでしまう姿です。
こう覚えると個々の事例も思い出せます。

そして特定物債権と種類債権には共通する点があります。
それは品質、管理、移転時期です。
このままでは覚えなければなりません。
そこで共通点を考えます。
ボブの場合、こうなりました。
「工場」に相違ない!
つまり
「品質のいいものを“生産”」
「そしてそれを“倉庫”に管理」
「その後、それを“出荷”して移転」

このように共通点を導き出し、連想しやすいイメージにします。
思い出すときは、
工場や!
連想しまくれ!
生産ラインや!
倉庫が必要!
出荷しないと!
というように思い出します。

このように他人が付けた名前とかをとりあえず無視して、自分で名前をつけ、パッケージ化できるようにします。
パッケージ化というのは、セットで覚えている無数の記憶のことです。
例えば工場だったら、製品があり、生産ラインがあり、倉庫があり、トラックで出荷しているなどがあります。
このセットで覚えていることを使うのが、ボブの理解術の要点です!

ちなみに提示順序がなぜ特定物債権、選択債権、種類債権になっていないのか?ということを考えた場合、それは選択債権だけ工場が使えないからではないでしょうか?

民法理解術(工事進めルー!)

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抽象的な言い方しまーす!
大改定があり得るので、話半分に聞いててください。

前提:バラバラな情報がある
前提:全ての情報を可視化する
前提:全ての工程で複数の情報でもOK
①整理するためにそのバラバラの情報の要素を抜き出す
②その要素を使って整理する
③その整理しているときに過不足が出た場合、過なら要素を仮定、不足なら情報を仮定する
④整理した情報で状況を設定するor抽象的なことなら情報を構成する
⑤対比する情報AとBを設定
⑥共通点と相違点を見つける
⑦相違点を見て「なぜ」そこが違うのかを問う
⑧仮説的解答をする
⑨情報を収集する(観察、観測、内観、メタ認知などによって)
⑩仮説的解答を批判してみる
⑪批判できないと考えたら理解完了

と、いう感じで工程を書きましたが、全然まだ検証していませんので、検証を待たれよ!

理解したイメージをどう覚えるか?

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理解したイメージが有効なときは多いです。
それは文章を覚える際も同様です。

例えば「私が投げたボールが放物線を描きながら地面に落ちていく」というのを覚える際に、わざわざ対文章式記憶術で一語一語を覚えるより、文章を理解し、それが示す表象を構築した方がいいに決まっています。
対文章式記憶術でそれを無理やり変換するなんて、遅いし頭が悪いです。

でも反対に抽象的なことを言った場合では、この限りではありません。
例えば「理解したイメージが有効なときは多い」などの文章です。
このような抽象的な語が並ぶ場合は、対文章式記憶術で覚えるのはそんなに頭の悪いことではありません。

しかし、これには抜け道があって、例えば上記表現を「理解したイメージ(ブロックを組み合わせている絵の吹き出し)を思い浮かべている裕子が多い」というイメージにしてしまうと完クリです。

そうすると対文章式記憶術でイメージする必要性はあるのか?という疑問が浮かばざる負えないのです。
それならやっぱり普通の記憶術の方がいいじゃんというのが当たり前の評価です。

だからこそ、そこにあがないます!
あがなう方法は色々ありますが、一番簡単なのが名付けです。
例えば上述のボールの方は、「球」という名前を付けてそれを対文章式記憶術で覚えることで、あがなえます。
またブロックの方はルービックキューブを買いに行く様子と考えて、「買い物」という名前を付けて対文章式記憶術で覚えることにすれば覚えられます。

このようにして「理解したイメージ」→「名付け」→「パーツ化」をたどることによって対文章式記憶術はまだ生存していられるでしょう!

対文章式記憶術のアイデンティティークライシス

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まず最近思ったことを述べたいです。
腹減った~とかじゃありませんw。
最近とある方のツイートを見ていて(当然のぞき見)思ったことがありました。
それは普通の記憶術さんでも、対文章式記憶術先生(マッチョ)と同じことできるんじゃないのか?ということを思いました。
すると、普通の記憶術さんでも結構マッチョなんじゃないか?と思えて来ました。

対文章式記憶術先生では、対象→パーツ化→組み合わせる→見立て→名付け→パーツ化という圧縮ルートができます。
対して普通の記憶術さんでは、対象→単語のイメージ化→関連付けなどによる構成→名付け→単語のイメージ化という過程が踏めます。
どちらも圧縮ができるでしょ?

そんなら対文章式記憶術先生は首でもいいのではないか?と先生のアイデンティティークライシスが始まったわけです。
先生の存在はいかに!?
先生は悪くないよ!
悪いのはゼンッッブっ俺だ!!
俺なんだよー!!!(叫び

という感じになりました。。

何が悪かったのか?ということを考えていて、思ったのが「理解したイメージ」というのを相変わらず取り入れられないことが諸悪の根源!と思いました。

そんで色々いじくってたら、どうやら以下のことがわかりました。
①はどこかに書き、うんこのように垂れ流しましたが、
①理解しやすいイメージには“特徴”が備わっている
②理解しやすいイメージと言えど瞬時に、しかも勝手に関連付けされている
ということを考えました。
しかも①と②の結果をボブのチビ脳みそでまとめると以下のようなことを考えました。
ある条件がそろうと、型にはまるように一見で理解できるイメージになるのではないか、と。

このことから、始めはパーツのイメージをどう普通の記憶術さんのイメージに近づけるか?ということを考えていました。
が、しかし反対に普通の記憶術さんのイメージをどうパーツのイメージに近づけるのか?を考えても同じではないのか?とも思いました。
最終的には両方からの猛アタック!でいいと考えました。
つまりパーツのイメージと普通の記憶術さんのイメージの折衷です!

たぶんこれで解決やー!

追記
そもそも何で対文章式記憶術先生を存命させるか?
理由は以下です。
(コストをここまでかけたら撤退なんてあり得ない!と心の声がww)
場所をあまり浪費しないから
意味の探索範囲が普通の記憶術さんより狭いから
高速化の可能性から
無理やり再生できる可能性があるから
何であるかが空白のため連想しやすいものにできるから
個のイメージに対して名付けを行えるので、記憶として安定しているから

記憶術の覇権。。。

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対文章式記憶術の存在意義がなくなりかけましたが、何とか取り戻すことが出来ました。
このままでは、対文章式記憶術先生はボディビルコンテストにおいて、幽霊部員的立場に陥るところでした。
やっぱり対文章式記憶術先生はマッチョであるがゆえに、力技で全てを解決できました。
プロテインサイコー!
筋肉を信じ続けてよかった。。。

と、その前に普通の記憶術さんにできることとできないこと。
対文章式記憶術先生にできることとできないこと。
これらを整理して行こうと思います。
①普通の記憶術さんでも対文章式記憶術先生でもできること
・イメージを組み合わせること
・イメージに名付けること
・イメージを圧縮すること
②普通の記憶術さんでできるが、対文章式記憶術先生ではできないこと
・理解したイメージに近似なイメージの構成
・直感的に意味を付けること
(覚えてすぐなら、対文章式記憶術先生以上に意味の探索範囲が狭いのが特徴。ただし、忘却が進んだ場合、意味の探索範囲がかなり広くなる)
・想起しやすい
③普通の記憶術さんでできないが、対文章式記憶術先生ではできること
・意味の固定
・高速化の可能性
・何者でもないイメージ
・イメージを重ね合わせること
・集合内変換
④普通の記憶術さんでも対文章式記憶術先生でもでできないこと
・想起の高速化
・プロセスを省く

という感じでした。

イメージを重ね合わせることと集合内変換というのが、今回の対文章式記憶術先生の首を助けた神の一手でした。
これがなかったら、対文章式記憶術先生はマジで何のためにあるの?という存在意義のない窓際族を凌駕した隅っこ族になっていました。

イメージを重ね合わせるというのはかなり説明しづらいので、あまり説明しませんが、普通の記憶術で作ったイメージを重ね合わせた場合はできないことは、記憶術を使ったことがある変人たちならわかりますよね!?(キレ芸

さらに集合内変換というのは、簡単に言えば、「私」という単語を覚えたいときに、私は番号1のパーツ、つまり●に該当します。
だけれども、そもそも●だけに変換する必要はありません。
「私」という単語を含む全ての情報(集合)内であれば、実際は何に変換しても構いません!
ようするに、「私」は「I」「is」「the」「Oh」「a」「黒色」「1」「●」という8個の情報であれば、どれを選択しても構いません。
「私」を普通の記憶術さんでイメージ化してもいいし、「the」だと考えて普通の記憶術さんを適用して、ボブの場合王冠のイメージにしてもいいのです。

こうして対文章式記憶術先生のレゾンデートルは証明された、、、のです。
さあみなさん!
対文章式記憶術先生に声援を!
いいよーキレてるよ!
腹筋が板チョコだよ!
ナイス大胸筋!
仕上がってるー!!

対文章式記憶術先生に順序を!

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理解したイメージに近づけるのはまだまだできていないけど、順序はわかるようにこれから強制していくつもり。
順序がわかれば、ピーやパーみたいなことができるはずw
どうも想起力に難がある方法なので、対文章式記憶術先生は。。。
もうボケたのか??と思っていたけど、順序がわかるとそれも少し改善の兆しが、、、あるような、ないような。。

では、どう順序付けたかというと、大きさで何とかしました。
小、中、大、巨大という四つをイメージを錬金する度に割り振って行きました。
もし巨大まで使い切ったら、また小から回せばいい!
大きさが足りないなら、初めに戻って回せばいい!!
パンがないなら、ケーキを食べればいい!

という感じです。

これは昔ブログで書いたことがある方法かもしれないので、ニワトリ並みの記憶力なので、覚えていませんがww
記憶力アップのブログを書いているのに、元々の記憶力は改善していないというw

これを習慣化していくのが、全然できていないから、そもそも使えない技術扱いされて埋もれていくというサダメなわけです。
今回はこれも習慣化するぐらいやろうと思います!!
本気です。
忘れるまで忘れません!

行為による関連付けは究極接触

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行為による関連付けは、究極的には接触だとボブは思います。
ただし、接触という関連付けを多用しているにも関わらず、人間はそれを単一の関連付けの連続だとは思わないのです。
これはなぜか?
これを厳密に分析したいのです。

例えば、こんな状況はどうだろうか?
「ボブがウサギを殴った」と「ボブがウサギを蹴った」という場合です。
これはボブとウサギを連発しているので、その点で干渉する可能性がありますが、行為としては全く別個のものだとボブは認識しています。

でもこれって本当でしょうか?
「殴った」というのは、結局突き詰めれば、ウサギを「触っている=接触」と捉えられます。
それは「蹴った」場合もそうです。
ウサギを結局「触っています=接触」しています。

これにはさっと考えて、二つの仮説を思いつきました。
①「殴る」と「蹴る」だと特徴が違うため、接触で等価だとしても、等価に見えないため
②接触という行為のみ特別で、接触しても問題にならないため

これを色々考えて行こうと思います。

②の接触がそもそも行為としてノーカウントや特別だとすると、対文章式記憶術で組み合わせるということがなかなか説明が難しくなります。
対文章式記憶術では、この接触という行為に依存してしまっているため、上手く行かないのだろうと思っています。

①がどうやら確からしいとボブは思っています。
さらに仮説を付け加えるとしたら、接触という行為は他の特徴と併せても、全く邪魔をしないのではないかと考えています。

接触などと言った行為はない

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前のブログで接触という行為は色んな行為に散見される概念なのに、それで干渉を起こす可能性が少ないことを指摘しました。
しかし、このブログでは色々考えた結果、接触なる行為は存在しないと結論付けました。

PAOOでOにOでAするという構造だと、記憶が安定しないということを指摘した人もいました。
これはOにOでAするときに「Oで」の部分が“接触”という選択肢しかないからだとボブは思っていました。

でも、よくよく考えると実際は違うようです。
どう違うかというと、たぶん「Oで」Aするときに、必ずOを“持つ”という選択肢に縛られるからではないか?という仮説を思いつきました。
つまりAというのに備わっている特徴が他の行為と被ることで、干渉が起きるのではないか?ということです。

これを考えると対文章式記憶術におけるパーツ同士の接触もまた、パーツの特徴が同じなのに接触させていることが、他の記憶と被ることで干渉を起こしているとボブは考えました。

これを実証するのは結構簡単です。
対文章式記憶術のパーツに他のパーツと被らないようにした凹凸を作って、組み合わせてみれば、それがわかると思います。
つまりパーツに特徴を付けるということです。
その上で組み合わせてみるということです。

もし仮にこれが上手くいかない場合、接触という行為の存在があり得ますが、たぶんないでしょうねー。

関連付けと時間関係

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関連付けを考えみよう!とボブは思った!
早速、こんな状況があったら、行為による関連付けは成り立つのだろうか?

Aが見えない波動拳を打った。
その波動拳の直線状にはBとCとDが居た。
BはAが波動拳を打った直後、混乱し始めた。
CはBが混乱した直後に、Aと反対の方向に吹っ飛んだ。
DはCが吹っ飛んだ直後に、爆発した。

このような状況があるとき、全ての原因がAにありそうだぞ?と思うのがボブです。
これはみんなもなのかは全くわからん。

ここである人が、ボブにこう耳打ちして来た。
「このAさんが打った波動拳と関係あるのは爆発したDさんだけだよ」と。。
こう言われた瞬間ボブの脳みそでは、全てに関連がありそうなのにAが透明な波動拳を打った様子を思い出し、その“直後”に、Dの爆発した様子をイメージした。

さあここで教示が2つぐらいボブはあると思う。
それはある事態があったときにそれと関係がありそうな関連性をその“直後”の変化に求めたということだろう。
そしてもう一つの教示とは、関連性があると示されたとき、人間は認識の中でそれを“直前直後”にイメージして・し・ま・うということだろう。

この「直後に因果を求める」というのは、ボブからしたらもっと厳密に要因を調べられる。
また関連付けるイメージを「直前直後にイメージを認識」する必要性というのは、ボブの観測上かなり確固とした内観結果だ。

記憶術学基礎論(ツイーン帰納法)

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ボブのしている帰納法は、ツイーン帰納法とでも呼べる方法だと思います。
その方法とは、2つのことに注力して、そのたった2つのことから帰納法的に仮説を生成しています。

そんなんじゃ、蓋然性めっちゃ低そうじゃん!と言われるのはわかっています。
でもやっても3つぐらいなのです!
ボブの場合、蓋然性が本当に試されるのは、仮説にしたり、方法にしたりした後だと考えています。
つまり現実師範が勝手に現実の力で叩き潰してくれると思っているわけです。

しかし、ただ蓋然性が低い情報を叩き出しているわけではありません。
2つの現象を裏付けるためにさらに2つの現象を精査して出すときもあります。

でもその程度です。
ボブがそんなことより、力を尽くしているのは、この2つの情報をどう質の高い情報にするか?
また2つの情報からいかに強い仮説を作り出せるか?
と言ったことです。

ボブは思うのです。
人間が考慮できることなんて2つ3つぐらいの少量だと。。。
そこで考えるべきは、考慮できる数を増やすことだけではなくって、その考慮できる少量をどう使えるようにするか?ということだと思います。

ボブはちょっと少数派のようです。