マス目の場の構造

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マス目の場とは、縦3×横3のマス目を使った場のことです。
つまり行列マスのことです。

このマス目を場として色々使おうと画策して来ましたが、みなさんなぜボブが3×3マスばかりで、その実現をしようとしていたかお分かりでしょうか?
それは人間の認知能力で無理なくイメージできるのが、3×3マスだからです。
この無理なくというのは、ボブ調べですが、これ以上、例えば5×5マスになると少し無理が生じます。

しかしそれを打破する方法が今回ボブのテーマです。

マス目の場の“構造”となっているように、マス目自体に構造を持たせることでボブは解決を図ることにしました。
構造の一つが“高さ”です。
例えば5×5マスでも
⑤④③②①
④④③②①
③③③②①
②②②②①
①①①①①

という配置にします。
①~⑤は高さを表します。
①が一番低く。
⑤が一番高いです。

このようにすると高さによって位置に特徴が付き、そこに置いたイメージの位置が分かりやすくなります。

構造と言っている限りはこのように高さだけが、構造ではないので、ガンガン発想を柔軟にして、色々試してみるといいと思います。
この方法を使えば、中間プットの理想形であるノートのような記憶術につながるかもしれません。

内的アウトプットと自閉症

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内的アウトプット、つまり中間プットとはインプットとアウトプットの間の方法です。
ようするに、アウトプットが外に何らかの行為をもって、表現するのに対して、内的アウトプットとは外には出さず、イメージや思考を通じて、覚えた情報を心の内にアウトプットする方法です。

今回は自閉症の人の証言から、考えた方法を紹介します。

記憶術を改良にするに辺り、考えられる道が2つあります。
一つ目は、イメージの世界では運動や影などを統合して表すことが難しいのですが、それらを統合しようと考える。
いわば統合の道です。
もう一つは自閉症の人は、形と色を同時にみることができないということからヒントを得た自然に統合している情報を分離させる。
いわば分離の道です。

さて、ここでは分離の道の話になります。
自閉症の人同様に、目の前のノートや筆箱から色を抜いて、内的にイメージを描くと覚えやすい気がしました。
まだ観測を続けなければいけないのですが、どうやら目の前の情報を平面的に観たり、色を抜いて線として観たりすると記憶に残りやすくなる気がします。

でも、まだ観測段階なので、何とも言えませんがw。

内的アウトプットと4技能

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内的アウトプット、つまりボブが呼ぶところの中間プットの問題です。
内的アウトプット=中間プットは、インプットとアウトプットの中間的なもので、インプットした情報を“頭の中で”アウトプットすることです。

ところで「開成流ロジカル勉強法」という本に出てきた4技能、つまり読む、聞く、書く、話すは英語だけではなく、日本語を含む言語全般に言えることで、そもそも言語を選ばない技術である、というところにハッとさせられました。

これは内的アウトプットにも言えることで、内的に言えば、読むことは例えば対文章式記憶術であれば、イメージを読む込むことです。
聞くことで言えば、誰か他の人の声色で頭の中で聞くことです。
書くことは、頭の中で文字をイメージすることです。
話すことは、頭の中で誰かに何かを説明したり、ただ単に話したりすることです。

このように内的アウトプットでも、4技能は分類できるし、使用できます。

あとは、これらをどう運用するか?ですが、それはまだ全然考えていません。

内的アウトプットの記憶術≪線描法による観察≫

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内的アウトプット=中間プットとは、インプットとアウトプット以外の頭の中で(=内的)アウトプットするということを内的アウトプット、もしくは中間プットと名付けて、取り扱っています。

外界の情報を内的アウトプットをし、線で描くためには、まず情報収集が重要だと思い線で自由に何かを描くということをして、その法則性をその線の消え方などから導き出そうと考えたのが、線描法という方法です。

そしてやってみた結果が、まだ一枚のイメージしかやっていないのですが、どうやら、何か“まとめやすいイメージの形でまとまる”という性質があるようです。
これはたぶん既知の記憶していることから、任意に近しい形というのをチョイスしてくるみたいです。

次にやってみた結果は、“わかりにくいイメージの形は、わかりやすいイメージの形に変換されていく”ということです。
ボブはわざとマルではなく、少し輪が開いたマルをイメージしておいたのが、時間が経ってから思い出すと、完全なマルになって想起されました。

さらにもう一つ。
普通イメージの線の量が増えて行くと、当然マジカルナンバーの制約により、次から次へと消えて行くのですが、線と線をつないで、例えば三角などにすると、線は3つ使っているのに、なぜか“一つのモノとして判定される”ようになります。

最後に、短期記憶の不思議です。
短期記憶ってマジカルナンバーで消えた情報も少しの間なら、すぐに復元できるというのが不思議です。
これは“認識の限界と短期記憶が実際に覚えている量の限界が違う”のでは。
あるいは“短期記憶が二重構造をしているから”では。
もしくは“短期記憶中の記憶に対しても感覚記憶が働いているから”では。

と夢想してしまいました。

内的アウトプットの記憶術≪育て方≫

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内的アウトプット=中間プットとは、インプットとアウトプット以外の頭の中で(=内的)アウトプットするということを内的アウトプット、もしくは中間プットと名付けて、取り扱っています。

今回のテーマはー、内的アウトプットの育て方というテーマで育てて行きましょー↑。

さて内的アウトプットと言いましても、どのようにしてこれを育てるのか?考え方を知らないと全く考えようがないですね?

そこでボブが提案するのが、内的アウトプットをしながら、「頭の中で単純な線を描いてみよう!」というものです。
まず僕らが知りたいのは、線たちがマジカルナンバーを超えるとどのように消失していくか?(マジカルナンバーは知らない人はググってね)
あるいはマジカルナンバーには全く反応しないのか?です。

反応したならどのように線が消えるのか?
または改変されるのか?です

全く反応しないなら、どうして反応しないのか?を考えるといいでしょう。

というように色々試行錯誤してみると、たぶんですが、たぶん内的アウトプットの力が伸びると思います。

こうして今日も中間プット(=内的アウトプット)学は発展して行きますです。

ちなみにボブがこの内的アウトプットで線を描くということを始めた結果、直線が弧を描いたり、半円が消えたりと摩訶不思議なことが起きましてそうろう。

内的アウトプットの記憶術

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内的アウトプット=中間プットとは、インプットとアウトプット以外の頭の中で(=内的)アウトプットするということを内的アウトプット、もしくは中間プットと名付けて、取り扱っています。

この内的アウトプットに故意忘却を混ぜることで、さらなる飛躍があるんじゃないの?というのが、今回のテーマです。

故意忘却とは、トップページで紹介されている忘却術を使用しないことを前提に、意識的に任意の対象を忘却しようとすることで、逆に任意の対象を意識上らせる方法です。

この方法で、眼前にある景色を覚えることにチャレンジしました。

まず色々試した結果、以下の法則性があることを観測しました。
①忘却がある程度進んだイメージに故意忘却すると、本当に忘れる
②覚えたい対象を一気に広範囲に渡って、故意忘却しようとしても曖昧にしか覚えれない
例えば、駅前の全体の景色を故意忘却すると、詳細には覚えられない
③覚えたい対象をより具体的にしないと、故意忘却したとき、想起できない
例えば、駅前のあのとき、あの一瞬を故意忘却しようとすると覚えているが、あのときの一日全部を故意忘却すると、全然思い出せない

そこで、眼前にある事柄のより具体的でより狭い範囲の情報を故意忘却することにしました。
つまり、四角を覚えたい場合、縦線を消す(=故意忘却)ということをしました。
こうすると、少し覚えていました。

このことから、以下の仮説ができました。
加法と減法の仮説
加法、つまりイメージに落書きを加えることで覚える方法と減法、つまりイメージを部分的に減らすことで覚える方法があるのではないか?という仮説です。

あと色々方法を考えたんですけど、挙げるとキリがないので、今回は辞めておきます。