通過イメージの関連付け②

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前回の「通過イメージの関連付け」では、「ボブがイルカを投げて、そのイルカがフラフープを通過し、そのままウサギを食べる」というイメージをしました。
でもこのときなぜフラフープを通過しただけなのに、フラフープまで関連付けられたのか?ということが謎のまま終わりました。

そして今日はそれを再考しなおしました。
色々な説を考えましたが、今回はたぶん大半の元凶だと思われる仮説を立てれました。
その仮説とは“場面を分けてわざわざイメージしているから”説です。

これはどういうことか?というと、イルカがフラフープを通る瞬間をわさわざ場面としてイメージしているからということです。
これをもっと詳しくいうと、「船がゴールに向かって川を進んでいます。船とゴールの間には、橋がかかっています」というイメージをした場合に、「船がゴールに着きました」というイメージ“だけ”だと橋は記憶に残りません。
でも「船がゴールに向かっている途中、橋を通過し、そのままゴールしました」というイメージをした場合、“わざわざ”橋を通過するという場面のイメージをしてしまいます。
この“わざわざ”通過する場面を思い浮かべてしまった時点で、関連付けがなされているのではないでしょうか、という説です。

ここでボブがとり出したのは、“直前直後”にイメージがなされたものは、関連付けられやすいというものです。
さらに詳細にいうならば、“直前直後に意識的に認識した情報が関連付けられる”のではないでしょうか。

通過イメージの関連付け

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こんなイメージがあったらどうでしょうか?
例えば「ボブがイルカを投げる。投げたイルカはフラフープを通って、ウサギを食べる」というイメージです。
この場合「影響を与えているという認識」フラフープではなく、ウサギのはずです。
ですがフラフープにも間違いなく関連付けが起きます。
これはなぜなのでしょうか?

フラフープの形が、イルカの“形に類似しているから”だと思いました。
確かにあり得るな、と思い、フラフープの形を四角にしてみましたが、状況は変わりませんでした。
でも確かにちょっとは影響あるかも、とは思いました。

もしかして「影響を与えていないという認識」も実は関連付けにはどっちの認識も関係なくされるのではないか?と思いました。
試しにボブは「ボブと花を横に置く」イメージをしました。
でも「影響を与えていないという認識」と「影響を与えているという認識」の差はよくわかりませんでしたw。

それじゃあ、行為としての認識が必要なのではと思いました。
つまりフラフープを通過しているという行為として意味づけされることに意味があるのではないだろうか?と。
それでは、イルカが投げられて、飛んだイルカの頂点の横にレンガのイメージを置いた場合はどうでしょうか?
これはなかなか難しいですが、ボブにはそのイルカが棒高跳びの棒のようなレンガを飛んだ場合より関連付けがしにくく感じます。

まだわかりませんけど、行為としてカウントされるかどうか、というのも仮説ではあります。
理解したときのイメージもイメージをある形にすると自動的イメージが関連付けられる気がしますが、これと同じなのでしょうか?

記憶術のイメージコントロール④

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イメージコントロールとは、例えばイメージの中でリンゴを転がしたり、イメージの中でリンゴの形を変えたり、あるいはイメージの中でリンゴの色を青に変えたりすることなどと言えます。
しかしここで言うイメージコントロールの色を変えるというのは、実はボブの中ではイメージコントロールとしては特殊な部類に入ります。

ボブの目指す先はパラレルイメージコントロールというものです。
つまり複数個所あるいは複数のイメージをイメージの中で同時にコントロールすることです。
これの何が嬉しいかって?
パラレルにイメージコントロールできるということは、情報を同時に2つ以上思い出せることに等しいのです。
つまり情報をイメージのコントロールした部分で表すことで、もし仮にパラレルにイメージコントロールが再現できれば、その時点でイメージを複数個思い出せることになり、復習の点で他を圧倒できることになります。

さて、今回は「脚」の話です。
脚のみのイメージを描きます。
そして別々の画面に右脚と左脚を映し、イメージの中で動作させてみます。
ここで不思議なのが、「歩く」などの動作をさせたり、「両方揃えて脚を歩くように動かす」といった操作をしてみるとなぜか画面を横に離そうと前後に離そうと、ほぼ問題なく機能するということです。
じゃあムカデみたいに右脚と左脚の量を多くしても、問題ない。
何だこれ??ていうことになります。

どうも運動のチャンク化というのが存在し、それが起きるとその運動のチャンクに類するイメージコントロールが全てイメージしやすくなるということのようだとボブは思いました。

では、反対に運動のチャンク化は何で起きるのか?
こっちの方が重要そうです。
もし仮に運動のチャンク化が自在に起こせるならば、パラレルにイメージコントロールし放題になるからです。

運動に関しての昔の知識からすれば、まとまった運動にするには“目的”が必要だと思われます。
何か目的を持った運動だとチャンク化しやすいようです。
後は“形やプロセスが他の何かに似ていること”も運動をまとまりの持ったものとしてみるには重要なようです。

どちらにしてもこれからは無意味つづりならぬ、無意味動作をどう連携させたらいいのか?という点の厳密分析シリーズをすることになるでしょう。

関連付けの割り込み

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ちょっと不思議現象である「影響を与えているという認識」というものを前のブログで述べたと思います。
これってちょっと不思議だと思いませんか?
だって、「影響を与えているという認識」をじゃあ認識なんだから、いっぱい色んな所に影響を与えているんだ、と思えばいいのか?ということになります。
前提として特徴に対しての一対一対応というのがあるのに、この「影響を与えているという認識」というのは、厳密性に欠けていて、ボブにはフワフワしているとさえ言えるものです。
なので、ここを少し掘り下げて行きましょう!

前ブログでは「影響を与えているという認識」の発見がありましたが、こんな場合はどうでしょうか?
AはBを殴ろうとしたが、必死になってXがAを止めた場合やAがBを蹴ろうとしたが、割ってXが入ってそれを止めた場合です。

このどちらもAはBに「影響を与えているという認識」中に止められています。
このときXはAに「影響を与えているという認識」があります。
つまり必然的にX→A→Bという形で「影響を与えているという認識」があるわけです。
つまりこの場合関連付けは全てに起こると、言えるのではないでしょうか?

ただし、ここで「影響を与えているという認識」には「“誰が”影響を与えているという認識」を持っているか?という点があることに気づきます。
さらに仮にXとAが忘却してもBが残っているとAを思い出せる可能性があります。
このことから、「影響を受けているという認識」というのも存在しているのではないでしょうか?

記憶術のイメージコントロール③

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イメージコントロールとは、例えばリンゴのイメージを転がすなどの運動をさせたり、リンゴのイメージの形を変形させたりといったことを指します。
今回はイメージが一緒だとよりイメージしやすいのか?という点を色々な視点から考えていきます。

リンゴが転がりながら四角くなるというイメージを二つに分割してみようと考えました。
一つはリンゴが転がるイメージで、もう一つはリンゴが四角くなるイメージです。
これを一個一個イメージした場合はそれほどの心的負荷がかかりませんが、この転がすイメージと四角くするイメージを同時に行うといきなり心的負荷がかかるように思われます。

これをさらに厳密にすると、人のイメージがあります。
その人のイメージに歩行させます。
当然この場合の心的負荷を基準とします。
このとき2人の人に分けます。
一人は右足だけで歩こうとします。
もう一方は左足だけで歩こうとします。
これを別々のイメージとして同時にイメージします。
すると基準としていた心的負荷よりも高くイメージされます。

これを2人の人が肩を組んで、右足と左足で歩いて行くとします。
すると、心的負荷は少し高くでますが、歩行のイメージの心的負荷と近いイメージとしてなされます。

このように現在のボブの認識としては、歩行のイメージであれば“一緒”にした方がイメージしやすくなると思われます。
が、この認識はなかなか謎に満ちているように思われます。

関連付けの遮断

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ボブとウサギが横並びに一定の距離をとって並んでいます。
このとき、間に敷居を立てて遮断します。
この二つのイメージを邪魔している意識を持つと、なぜか知りませんがこの敷居は、ボブとウサギの両方に関連付けが起きている気がします。

これは例えばボブとウサギが横並びに上述と同様に並んでいるとします。
このとき上から檻をボブとウサギが入るように降ろします。
するとこの檻をボブとウサギの両方に関連付けを起こしている気がします。

さらにボブとウサギがいます。
ここにボブとウサギの師匠が突然彼らの前に現れます。
このとき、師匠はボブとウサギの両方に関連付けを起こしている気がします。

ボブが何が言いたいかお分かりいただけたろうか?
そう!
つまり一つのイメージがほぼ同時に二つ以上のイメージを関連付けることがあるということです。

これを拡張して行けば、関連付けの時間短縮になる気がします。

記憶術のイメージコントロール②

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記憶術で想起を2重、3重としようと思った場合に、できる可能性があるのはイメージコントロールのみだとボブは思っています。
イメージコントロールとは、心の中でイメージしたモノを運動させたり、形を変形させたりすることです。
このイメージコントロールだけは、複数個所行うことができると思っています。
例えばリンゴをイメージの中で、転がしながら、四角くしていくなどがその例です。
この場合、イメージを転がすということと四角くするということの2つをしているのですが、あまり心的リソースを使っていない気がします。

それではどんなときこの心的リソースをあまり使わないのでしょうか?
それはイメージを厳密に描かなくて良いことです。
例えば幅がある輪っかの幅のある所に色を塗ります。
その色は白と黒が交互になるように塗ります。
そしてその輪っかを回します。
このとき輪っかの幅が見える方向であなたは見ています。
いわば、白と黒が交互に見えるスロットを見ている状態です。
このスロットをドンドン速くしていっても、イメージでは厳密に白のあと黒というのを意識しない限り、テキトウに出力して来ます。
この場合、脳みそは心的リソースをあまり使っていません。

これを例えば白の方を少し多めにしているとか、黒の方が少ないとかにしていて厳密にそれを反映しようとしているとイメージしにくくなります。
これは上述の例で出したリンゴを転がした場合も同様です。
リンゴの枝の部分がどう転がっていくかを厳密にイメージした場合、なかなか難しい状態になります。

さらに言えば、上述の例であるリンゴが転がるとリンゴが四角くなるというのを別々のイメージとして捉えると、一緒にしてイメージした場合よりイメージしにくくなります。
どうも関連性があった方が二重のイメージコントロールはしやすいようです。

関連付けのキャンセル

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関連付けを途中キャンセルしてみましょう。
例えば「ボブが花を切る」というイメージをしたとします。
このとき普通に関連付けるならば、ボブが花を切り切ったところをイメージすると思います。

では、これをキャンセルしましょうw。
つまり「ボブが花を切ろうとしたが、途中で止めた」というイメージです。
このとき止めると言ってもいくつかの場合に分けれると思います。
一つは花を少し切ってしまったイメージです。
この場合関連付けは起きるのでしょうか?
二つは花を切ろうとしているイメージです。
この場合関連付けは?
三つは花を切ろうと取り掛かったイメージです。
この場合の関連付けって?
四つは微動だにせずに、花を切ろうと意識したイメージです。
これはさすがに関連付けは起きないでしょう。。。

と、この四つがありますが、はてさて実際はどこで関連付けは起きるのでしょうか?というのが、今回の話です。
たぶんイメージの描き方次第でかなり結果が変わって来ると思います。
個人差ありきでボブの場合を述べようと思います。

例えば切るためにハサミを持つというイメージを三つ目のイメージだとした場合、花との関連付けは起きるでしょう。
それが例えば手刀で切るという場合は、手を振りかぶるイメージを三つ目のイメージだとした場合、これも関連付けは起きるのではないでしょうか?

ここでボブが考えるのは特徴に対して花という特徴が関連付けられるか?という問題です。
それに加えて今回の発見は、“影響を与えているという認識”です。
例えば「ボブが花を見つめた」というイメージでも関連付けは起きます。
このときボブの目という特徴と花全体の特徴が関連付けられているとボブは考えますが、この場合だとそれ以上に重要なのは、“影響を与えているという認識”です。

これは「ボブは地面を見つめた」というイメージに間に花があっても、花は関連付けられていません。
この場合は“影響を与えているという認識”が地面にあるからだとボブは解釈します。

そのためたとえ四つ目のイメージであっても、“影響を与えているという認識”があれば関連付けは成立するのだと思われます。

場所法の輝度と鮮明度

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今回はドラゴンボールで悟空たちがやったように、常時スーパーサイヤ人になることで、スーパーサイヤ人を超すことができたように、これを実施することで、さらなるスーパーナンチャラになれるのではないか?という方法を紹介して行こうと思います。

ボブはふっと思いました。
なぜイメージの空はこんなに晴れとも曇りともいない微妙な空模様なのだろう?と。
だって普通に考えて晴れ渡る空の方が、明るくていい気がします。
けど、無意識に浮かべるイメージの世界の空は、そんなに明るくない気がします。
これはボブだけなのだろうか?

そこで明るくした場合何か不都合なことが起きるからでは、と仮説を立てました。
明るい場合輝度がめっちゃ何でも高くなることに問題がある気がします。
これはイメージするとき、輝度が高いと当然明るく見せなければならず、イメージするときの心的リソースのコストが爆上がりです。
これは脳みそにとっては、あまり喜ばしいことではありません。
脳みそは基本的に楽しよう楽しようとしているからです。

そこで輝度と調子に乗ってイメージの鮮明度を常時上げたらどうなるの?という実験をしたいと思いました。
果たしてこの実験はどうなるのでしょうか?

場所法は抗力のみでは成り立たない

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空中を場所法で使う場合に、見えない空中に力がかかった場合、反作用を起こし、手ごたえがないと空中にモノのイメージが置けない、ということを言ったと思う。
つまり空中にモノのイメージを設置した場合に、がっしりとした設置した感覚がないと、記憶が不安定になりました。

だけれども、もし抗力のみで場所法が場所法たるんだったら、そもそもモノのイメージを場所として利用し、モノにモノを置くという状況がいとも簡単に生まれると思います。
でも、それはそんなことはできません。

なぜならモノの空間的性質は場所よりも小さいからです。
しかしながら、この小さいとか大きいとかがそもそも対比であって曖昧なものです。
そのためここにつけいる隙があるとボブは考えました。

例えばこんな状況はどうでしょうか?
「実家の隣に巨大なドーナッツを置いた」場合です。
この場合は巨大なっと言っているので、ドーナッツも場所として使える可能性があります。
では、こんな文だったらどうでしょうか?
「ミニチュア化した実家の隣にドーナッツを置いた」場合です。
この場合、ドーナッツを場所として使えそうでしょうか?
この場合は難しそうですね。

ただし、注目してほしいのはイメージとしてはほぼ一緒のものをイメージされたのではないでしょうか?
つまりボブが言いたいのは、これには無意識的な条件が存在しているということです。

ボブが考えた無意識の条件とは、
①比較するための大きさがある
②自身の体との対比を無意識にしている
③視点(見上げる、または見下げる)

というものがあると思いました。
これが示唆しているのは、状況によってイメージの性質が変わることがあるのではないか、ということです。