記憶術のイメージコントロール②

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記憶術で想起を2重、3重としようと思った場合に、できる可能性があるのはイメージコントロールのみだとボブは思っています。
イメージコントロールとは、心の中でイメージしたモノを運動させたり、形を変形させたりすることです。
このイメージコントロールだけは、複数個所行うことができると思っています。
例えばリンゴをイメージの中で、転がしながら、四角くしていくなどがその例です。
この場合、イメージを転がすということと四角くするということの2つをしているのですが、あまり心的リソースを使っていない気がします。

それではどんなときこの心的リソースをあまり使わないのでしょうか?
それはイメージを厳密に描かなくて良いことです。
例えば幅がある輪っかの幅のある所に色を塗ります。
その色は白と黒が交互になるように塗ります。
そしてその輪っかを回します。
このとき輪っかの幅が見える方向であなたは見ています。
いわば、白と黒が交互に見えるスロットを見ている状態です。
このスロットをドンドン速くしていっても、イメージでは厳密に白のあと黒というのを意識しない限り、テキトウに出力して来ます。
この場合、脳みそは心的リソースをあまり使っていません。

これを例えば白の方を少し多めにしているとか、黒の方が少ないとかにしていて厳密にそれを反映しようとしているとイメージしにくくなります。
これは上述の例で出したリンゴを転がした場合も同様です。
リンゴの枝の部分がどう転がっていくかを厳密にイメージした場合、なかなか難しい状態になります。

さらに言えば、上述の例であるリンゴが転がるとリンゴが四角くなるというのを別々のイメージとして捉えると、一緒にしてイメージした場合よりイメージしにくくなります。
どうも関連性があった方が二重のイメージコントロールはしやすいようです。

具体的イメージと対文章式記憶術イメージの比較

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具体的なイメージと対文章式記憶術のパーツイメージの違いを考えた。
はじめは、特徴の多さの違いだと思いました。
でもそれじゃあ、文字はどうでしょうか?という可能性を指摘できました。
文字もものによっては、文字の特徴が多いものを存在していると思います。
でも、全然覚えていないことが多いと思います。

それじゃあ、2次元がダメなんじゃないか?ということになりました。
しかし絵はじゃあどうなるの?ということになりました。
絵だったら2次元だけど、それなりに記憶に残るよね?と。

じゃあ面がいいんじゃないの?となりました。
つまり漢字だったら、線が多いじゃん。
絵だったら、四角形に繋いだりして、面を作っているじゃん。

では、複雑な面だったらどうなの?となりました。
つまり多角形だったり、色々付いた面だったりする場合です。

それじゃあ、その複雑な面を記憶しているかどうか?なんじゃないの?となりました。
でももしそこが問題なら、パーツが覚えにくいということはないよね?
しかも複雑でもマンガの登場人物だったら、覚えていることあるよね?
すでに記憶していなくても、こっちは覚えれること多いよね?

で、最終結論。
情報量が多くて、曖昧に覚えてもいいものが最強なんじゃないのか?ということです。
つまりパーツは情報量が少ないし、曖昧に覚えるのに適さないため、あのような状態になったのではないか?と。

そこでパーツをイメージするときは、無駄を付けて詳細に見立てることをしました。
そんで曖昧さにも気を配りました。
すると、、、

イメージの伸縮性の不思議

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イメージの中の人を縦に伸縮するのは簡単だけど、横に伸縮させるのは難しいという不思議。

なぜそのようになるのか?
仮説ですけど、縦に人を伸縮させるのは子供や大人などで観たことがあるということと、人の場合左右に対称性があるため、左右に引っ張った場合その片方の方に合わせて似せる必要性があるからではないか?と仮説しています。
例えば上下に人を引っ張った場合、足は上下に一組しかないため、間違っていても何も問題がないからではないのか?という意味です。

ここで不思議になるのは、イメージが厳密ではないとイメージできないことなどは必ずイメージが消えやすくなるという現象があるが、それは例に漏れず伸ばしたりしたイメージにも言えることなのではないのか?ということを思っている。

ここで重要なのは、伸ばして細かくなった情報が厳密性を上げるということと反対にイメージを曖昧にイメージするから伸縮しやすいという現象も両方起きていることだろうか。。。
バラの花の部分全部を引き伸ばした場合、一枚一枚の花を厳密に引き伸ばしたときの様子をイメージするとなかなか難しいが、花の一枚一枚を曖昧に覚えた場合それは簡単になると思われます。
そのため厳密性は伸ばせば必ずしも与えられる性質ではないということが言えます。

でもボブ的な内観実験では、シルエットが変わるせいか想起しにくくなることが請け合い。

場所のなぜ?

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単純空間であれば人間は覚えれるのではないか?と今日は思いました。
例えば複雑な空間だと人間は覚えれないのではないでしょうか?
具体的には部屋の隅がとがっているとか、壁が少し歪曲しているなどです。
ほとんどの部屋という部屋は、四角形でできているので、覚えることが無理ないのではないでしょうか?
つまり構造は立方体であるから覚えれるのでないでしょうか?

これには反対の例もあります。
例えば広場とか、道路の道筋などは四角形でもなく、不規則です。
なぜこれらは覚えているのかは説明できていません。

この説明には部屋の内装の覚え方で少し説明できます。
部屋の内装は思い出してみると印象しか思い出せない気がします。
こんな感じだったという印象です。

たぶん道路とかはこの印象で覚えているのだと思います。
でもこの仮説だけだとなぜこんなにも覚えているのか謎です。

とりあえず人間は詳細には覚えれないし、曖昧にしか覚えれないのだと思います。
それを受けてパーツも曖昧な形にしたいと思いました。

場所法にみられる場所の曖昧さ

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場所法を考えると、ともかく曖昧な情報である、と言えるのではないでしょうか?

まず物が実は出てきたり、消えたりしていることがあります。
例えば、森がある場所であれば、森の木が一本増えたり、消えたりするのがこの現象でしょう。
曖昧な大昔の場所をイメージすれば、ボブの場合家具さえも、出てきたり、消えたりしています。
そう考えると場所に付随する物のイメージというのが曖昧であり得るようです。

さらにここで不思議なのは、人間は出てきたり、消えたりしないことです。
なぜか?
これは一つの仮説ですが、「頻繁に動いたり、形態を変えるもの」を環境のイメージとして残すのは難しいのではないでしょうか?
そう考えると、場所を思い出したとき人を思い出さないのは説明できます。

その点を考えると、セルフレクチャーでレクチャーする相手をイメージしたとき、相手は固まってもらった方がいいことになりますが、印象には残りません。
また運動を与えるとイメージが覚えやすいという研究結果にも反した仮説なので、その点がわからないところでもあります。

はてさて、一体人間はどのようにして場所を記憶しているのか?
反対に場所で曖昧ではなく、明確に記憶している物ってなんでしょうか?
仮説からすれば当然動かない物ですが、確かなのは部屋などの“構造”や壁などの“色”は結構覚えている気がします。

それが正しいなら、記憶術で場所をイメージする場合、色と構造をしっかり変化をつけた物が記憶に残りやすいことになりますし、普通の個々のイメージに構造を与えれれば、記憶に残りやすいことにもなります。。。
どうなんだろう??

場所法はなぜ最強なのか?

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場所の特徴として、位置と広さを持ったイメージというものがあります。
普通イメージは位置もないし、ある程度の広さしかない。
その上、場所にはルートであれば連続性が備わっています。
そこに切れ目はない。
さらに情報量が多く、曖昧に記憶していることが多いという特徴も存在しています。
その点で場所のイメージというのは、普通の物などのイメージと比べると特徴盛りだくさんです。

これらの特徴が備わっていれば、普通のイメージでも同様の効果をもたらすことができると考えられます。
が、自然に統合された姿でこれを実現するのはなかなか難しいと思います。

この特性が仮にものなどのイメージに適用されると、かなり覚えられることになるだろうと思います。
もしかしたら、子どもは場所=もののイメージという形で区別されない可能性があることから、もののイメージに対しても場所の特性が適用される可能性があるのではなかろうか、などと考えてしまいます。

それはそうと、隣り合うAという広さを持った場所とBという広さを持った場所が存在するとき、AとBという広さを持った場所の重なり部分、A∧Bの部分ではAとB両方のイメージが想起されることになります。
そうして連続している場所A、B、C、D・・・というのは、連続的に想起されるようになるのでしょう。
仮に広さを持っていないと仮定すると、このような連続性はあり得ません。
また位置によって場所が区別されていることから、混乱することが少ないのでしょう。
仮に位置Aという一つの記憶であると考えても、上述の連続性から、あたかも大容量の記憶があるように思ってしまいます。
その上、多情報であるにも関わらず、曖昧に覚えても全然いい情報として取り扱われることから、記憶しやすい情報でもあります。
そのため、少ない回数で覚えれる気がするのでしょう。

対象の極大と極小

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実際理想的な記憶術に使える場や空間などは、一つの場や空間に大量の情報を置くことができるものだと思います。

さらにこれに加えて、記憶術で生み出したイメージと、そのイメージを置く場所や空間が“似つかわしい”ことだろう。
似つかわしいと言ったが、これはドーナツであれば、そのイメージを置く場所はドーナツ屋であればより強固に思い出せるということです。

これを実現するために、今日考えたのは、自己介在性とも言える自分を基準としたモノや場所の広さや大きさの固定した観念をどう崩すかです。

一つ実験したのですが、自室に実家の外観をミニチュアのように再現した場合、この場合実家の大きさに影響されて自室が広く見えるのか?
それとも、自室の大きさに影響されて実家が小さく見えるのか?
を考えました。

結果は自室の大きさに影響されて実家が小さく見えるということでした。
この結果が示すのはたぶんミニチュアのようなものは想定できるが、大きなジオラマは想定できないということだと思いました。

他にも自己を基準としているので、自己の大きさを変化させないと意味がないというものです。
ここで自分の視点を極限まで低くするとオモシロイことが起きます。
それはさっきまでミニチュアのように見えていた実家が、本来的なイメージになり、自室が巨大ジオラマ化するということです。

でも結局自室を巨大ジオラマ化を安定させるには、この低い視点で周辺を散策してイメージを安定させる必要がありました。

ここでいくら巨大ジオラマ化できるって言っても限界の巨大さみたいなものが存在しているのもわかりました。
たぶんイメージでは再現できない部分が多くなるからだと思います。
この曖昧性ももしかしたら上手く使えるかもしれませんけどね。