記憶術のイメージコントロール⑤

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イメージコントロールとは、例えばリンゴを転がしたり、リンゴから角を生やしたりといったイメージの運動やイメージの変形をさせることです。
このイメージの運動と変形をパラレルに処理できれば、それすなわち情報をパラレルに想起しているに等しいことです。

ここで運動に情報を載せる方法を紹介します。
例えば「不服があるとき、取り消しを求めることを裁判できる」といった情報がある場合、不服を「お茶で一服すること」、取り消しを求めることを「お茶を泡立てること」、そして裁判できるを「湯呑をドンと置くこと」といった全て動作に落とし込みます。

そうしてできたイメージをなるべく一枚の絵にしたいので、「口を付けた状態で床に湯呑を置く」イメージにします。
このときお茶はもちろん同時に泡立てます。

この動作の全ての運動をチャンク化します。
まず目的。
おいしいお茶を飲む
形やプロセスが類似している状況を思い浮かべる。
早飲み対決(一人で決勝)
と、このように運動のイメージを固定化しました。

これで運動がチャンク化されるのかは謎なところなので、引き続き様子を観察したいと思います。

おまけ
対文章式記憶術のイメージはあまり感情が動かないことが多いと思います。
そこで対文章式記憶術のイメージに付加する運動のイメージだけ大袈裟にすると印象に残りやすいように思います。

ぶっちゃけ最近思っているのは、運動を一個にまとめる技術の方が想起効率上げれるんじゃないか?と思っています。

記憶術のイメージコントロール④

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イメージコントロールとは、例えばイメージの中でリンゴを転がしたり、イメージの中でリンゴの形を変えたり、あるいはイメージの中でリンゴの色を青に変えたりすることなどと言えます。
しかしここで言うイメージコントロールの色を変えるというのは、実はボブの中ではイメージコントロールとしては特殊な部類に入ります。

ボブの目指す先はパラレルイメージコントロールというものです。
つまり複数個所あるいは複数のイメージをイメージの中で同時にコントロールすることです。
これの何が嬉しいかって?
パラレルにイメージコントロールできるということは、情報を同時に2つ以上思い出せることに等しいのです。
つまり情報をイメージのコントロールした部分で表すことで、もし仮にパラレルにイメージコントロールが再現できれば、その時点でイメージを複数個思い出せることになり、復習の点で他を圧倒できることになります。

さて、今回は「脚」の話です。
脚のみのイメージを描きます。
そして別々の画面に右脚と左脚を映し、イメージの中で動作させてみます。
ここで不思議なのが、「歩く」などの動作をさせたり、「両方揃えて脚を歩くように動かす」といった操作をしてみるとなぜか画面を横に離そうと前後に離そうと、ほぼ問題なく機能するということです。
じゃあムカデみたいに右脚と左脚の量を多くしても、問題ない。
何だこれ??ていうことになります。

どうも運動のチャンク化というのが存在し、それが起きるとその運動のチャンクに類するイメージコントロールが全てイメージしやすくなるということのようだとボブは思いました。

では、反対に運動のチャンク化は何で起きるのか?
こっちの方が重要そうです。
もし仮に運動のチャンク化が自在に起こせるならば、パラレルにイメージコントロールし放題になるからです。

運動に関しての昔の知識からすれば、まとまった運動にするには“目的”が必要だと思われます。
何か目的を持った運動だとチャンク化しやすいようです。
後は“形やプロセスが他の何かに似ていること”も運動をまとまりの持ったものとしてみるには重要なようです。

どちらにしてもこれからは無意味つづりならぬ、無意味動作をどう連携させたらいいのか?という点の厳密分析シリーズをすることになるでしょう。

なぜ勉強するのか?(規則対象外)

なぜ勉強するのか?
この問いには、様々な答えがあると思います。
正解がどれなのかボブにはわかりません。
だけど、ボブが考える答えはあります。
これが正しい答えかはボブにはわかりません。
そんな答えを言ってみます。

なぜ勉強するのか?
ボブが思う最大の目的は、「答えのないところに、答えを出すため」と思っています。
この世の中には、答えのないことなんていっぱいあります。
でも、だからと言って、そこに答えを出さない、ということにはボブはならないと思っています。
いちおう、答えらしきものを出して置く。
そんで、その答えを使って何かする。
ボブの中ではそんな感じです。

それが最大の目的だとすると、なぜ勉強するのか?
そこにも勉強していくと、仮説、答えらしきものを出して置けるようになると思います。

その答えを出すために下位目標があるとボブは思っています。

勉強の内容自体は、例えば数学を学んでも、みなさん数学を使わないような人生の方が多い気がしますね。
でもね。
ボブが考える勉強の内容に関しての有用性は、「応用」していくことだと思っています。
例えば数学自体は、ボブは全くできないけど、数学の考え方が利用できる場面は、ボブの人生では多くありました。
具体的には、公式。
公式があって、そこに当てはめられるように式変形していく。
そうすることで、問いを解くことができる。
そんな感じのことはいっぱい人生にあると思います。
ボブもやりました。
例えば記憶術の開発で、「一個のイメージは覚えれる」という公式がありました。
そこで、一生懸命、ボブは式変形したわけです。
そうすることで、対文章式記憶術という解が生まれたわけです。

つまり、数学的に言えば、抽象化することが大事、というわけです。
そしてそれを一般化して、実生活で利用できるか考えて、あとはトライアンドエラーを繰り返しまくって、色々改善していく、ということです。

これが勉強における内容をどう捉えるのか?というところのボブが思うところです。

そしてボブが思う勉強自体の目標は、勉強の仕方の勉強が大事だと思っています。
つまり、勉強を通して、どんな勉強の仕方をしたらいいのか?を考えるのが、勉強自体の目標です。
ようするに、記憶術や記憶戦略を編み出すのが、なぜ勉強するのか?という部分の一つの目標だと思います。

以上、なぜ勉強をするのか?でした。