時間を表現

ブログの使い方がわかりませーーーん!
と、いうかWordPressの使い方が謎すぎてわからないことだらけで、 お試し状態です。
そんなこんなで様子見に時間を表現してみよう!という記銘時間を多くしてしまうだけの「まだ」使えない方法をブログってみます。

トップページに損害賠償請求になりえることを記載しております。
そちらをご覧の上、ご覧ください。
簡単に言えば、ここで書いたことは秘密にしてね!ということです。
お願いします!!

記銘した最の場所と時間を覚えておくと短期的にしか観測していないですけど、想起の手がかりになることがあるというのをご存知でしょうか?
短期記憶なんて時間感覚から想起しているんじゃないかと仮説ってます。
ということは、時間を覚えておくことで、想起がもっと強固になるんじゃないの?という発想のもと作ってみました!

はてさて、どのような方法で時間をイメージに付加したらいいのでしょうか?
ただ単に付加しただけだと、煩雑なイメージになってしまいます。
そこで、イメージの「影」を利用しましょう。
ただし、「立体的な影」でないとどうやら記憶に残らないようです。
その立体的な影の方向と長さと太さの組み合わせで、時間を表してみましょう。

ちなみにこの方法は作ってみたのはいいのですが、記銘時間がかかることから辞めてしまった方法です。
長期記憶にしたり、情報を整理したりするのには使えるかもです。
さー、使えるかどうかはあなた次第です!

洗練された文章暗記法

ボブの手持ちの駒には、『関係性構造化』という方法がある。
これは文章の助詞を表すような方法で、単語と単語の関係性を構造化する方法です。

今日はこの方法をもっと洗練した方法に昇華したいと思い、試行錯誤していました。
ランダムに本から文章を選び、それをパターン化したり、どのように対文章式記憶術でそれを扱うかなどを考えていました。
でもなかなか難しいです。

関係性構造化の例は簡単なものは、「AはBに影響する」という文章を以下のように表します。
A→(影響)B
という形です。
矢印は影響を表す矢印のイメージで、実際は括弧の(影響)なんて書きません。
普通にA→Bとして表します。

この方法である規則を設けて、単語を並べていくと、関係図のような構造が生まれます。
それを使おうと苦心惨憺しているわけです。

空間集合

昔のアイデアノートみてたら「集合は色々作れるけど、位置や場所の集合なんてあり得るのか?」という疑問を書いてあった。
今日はその疑問の意味をあげてみようと思います。

そもそも集合化することは何の意味があるのか?
対文章式記憶術では一つのパーツに意味を複数持たせるのは、実はこのような集合化するというアイデアからも来ています。
まあ、対文章式記憶術ではその意味を複数持たせ、集合化することでも機能するという根拠を漢字に求めていますけどね。

しかし今回は意味ではなく、場所や位置を問題としているわけです。
少し考えればわかると思いますけど、普通の場所だって連続した位置の集合だとも考えられます。

けれども、今回の言っている意味は、位置に連続性がない場所の集合という意味だと考えられます。
それは例えば公園という場所があって、入り口からブランコまでの道のりを歩いていたら、なぜか一歩ごとに水族館のとある位置にワープしたり、動物園のとある位置にワープするということです。

しかも位置は場所に限定されるものではありません。
例えば物の一部分、つまりリンゴであれば、枝の周辺のリンゴの上の部分の位置という可能性もあります。
そればかりか空間の地面に着いた位置だけでなく、空に浮ている場合もあり得ます。

このように空間集合というのは、ありとあらゆる物や場所に存在している一部を切り貼りして集めたものです。
これを可能にする一つの確かめなければならない現象は、空間を切り貼りしたり、合体させたりできるのか?ということです。

ただし、確かめるのはいいのですが、空間集合が一体何に使えるのか謎です。。

数理理解術のおける演算術

このブログは、当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
そのためご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧になって遵守してください。

対文章式記憶術の発明は、ソロバン式記憶術という先駆け的記憶術の発案があったからできたという面がありけり。
でもって、その流れがあるせいもあり、実は数学にも応用できるように企んだ感がありーの。
そこからの演算術という流れですたい。

まあ普通の記憶術とかでもできるんですけど、対文章式記憶術ではより複雑な情報を一つの情報として扱えるという点がスゴし!
例えばa+b=cという情報だとa=リンゴ、b=バナナ、c=レモンみたいになりけりで、テーブルの上にそれらを置いてみる系の回答がなされると思うニダ。
でも、対文章式記憶術ではa=〇、b=◯◯、c=◯◯◯というような感じになり、まだ構想途中なので何とも言えんが、まとめてみたり、=は板を持ってきて区切ってみたりするわけですね。

で、もっと簡単な方法は、a=あ、+=ぶ、b=ば、(=)=い、c=しというように文字、記号を全て50音一語に落とし込み「あぶばいし→あぶないし=危ないし」というような語呂に直してしまう作戦もあーる。

だって、代数って「数の代わりに文字に置いたもの」だからね?
名前の意味的には。。
だからどんな文字でもよきに払え状態なわけですよ?
本来は。。

なぜかそれに気づかない人が多いのが謎。。。

記憶の記憶(記憶術学における復習学)

当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
規則をご覧になっていない方は当サイトのトップページをご覧の上で、規則を遵守して、観てください。
また本ブログの内容はまだ実証されていません!

メタ記憶とかの落ちじゃありません!
正確には記憶を想起している状態を、記銘し直すというものです。

例えばあなたが、「対文章式記憶術は文章に特化した記憶術です」という文章を覚えなければならないとします。
そのとき、あなたはまずこの文を覚えます。
そして次にちゃんと覚えたかを想起して確かめます。
そのとき重要なのは、あなたはその自分を少し遠くから観ている状態にするのです。
ようするに、文を想起しているあなたを観ているあなたが存在しているということですね。
このとき、頭の中で行われいる想起している文を、イメージなりなんなりであなたを観ているあなたにわかるように外に出すことが重要です。

そうして、入れ子状に思い出しているあなたを思い出しているあなたを思い出しているあなたを・・・というようにできます。

これは今日思いついたことですから、実証も何もしておりません。
興味のある方は検証してみ。

同じ場所の流用問題

当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
まだトップページの規則を見ていない方は、トップページの規則をご覧の上、トップページの規則を遵守してください。

今日はファミレスでぼんやり考えていました。
それはどうやったら、大量の文章を取り込むための場所の下地ができるのか?ということです。

ボブは億劫で、場所を増やすなんてことしたくないのです。
対文章式記憶術も1000単語分ぐらいの単語表をエクセルで作っているんですけど、覚えているのは333単語分ぐらいです。
ここからみてもわかるように、極度のめんどくさがりです。

本を取り出して、ページを開き、文章をぼんやり見る。
対文章式記憶術で文章を変換開始。
イメージした情報の塊を見立てて、目の前にある机の上に乗せていく。
すぐに机はイメージでいっぱいに。。

さあ、ボブはこう思いました。
この机の場所を流用しまくれる方法ないかな~と。

その時使っていたのが、イメージの入れ子状の復習法、カッコよく名前を付けるとしたら、「入れ子復習法」。
入れ子復習法は前のブログで発案しています。

今回はファミレスから一歩も動かず、かつファミレスの場所を変えずに大量の文章を記憶しよう!というミッションが発生。

入れ子復習法の特徴であるイメージの入れ子構造と対応させて、一つの入れ子構造に対して、座席を一つ隣にズラすということをしてみました。
ズラすと言っても、ファミレス内に実際ある席をイメージの中で移動していくわけではなく、全く同じ席を直線的に増殖させるということをしました。

で、それで気づいたのが、同じイメージでも位置を変えれば、干渉が起きない可能性があるということ。
これは大発見や!

理解術のための行政書士

民法を研究するにあたり、やっぱりちゃんと身になる勉強もしたい。
ようするに民法の研究を進めたら、その先に資格の取得もできたらいいなーと思いました。

そこで買いたるは、伊藤塾編『行政書士』の本を買いました。
できたら、これで行政書士も取れて、かつ民法の攻略研究ができたら最高です。
結構分厚い本なので、自分にできるのかはかなり謎ゲーです。

これを使って今後民法理解術を作っていこうと思います。
よろしくお願いします!

本質的に人は理解できない

法律、特に今研究中の民法に関しての本を読んでいて思うこと。
それは人間は本質的に理解できないのではないのか?ということを思います。

それはなぜか?
なぜなら理解するということにおいて、絶対的な法則。
【自分で理解したことが最も理解しやすいこと】という法則性があるからです。
仮に言葉をいくら尽くしても、人は認識的プロセスの全てまで記述することができない。
つまり、いくら説明してもそこには飛躍が存在するということです。

その点で人は本質的に理解できないのではないだろうか?と思います。
今やっている民法理解術第二弾で書いた意思の不存在や瑕疵ある意思表示の件。
あそこでやっていることは、あくまでも理解の一例です。
だって人の理解の仕方を様々だからです。

その点で「自分なりの理解をすること」が大事だと思います。

文章を覚えるのに理解が最適か?

当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。。
今回のこの文章における損害賠償請求対象情報は、理解した際のイメージと似た情報にするアイデアです。。

さて、理解したイメージと記憶術的なイメージって文章を覚えるとき、どっちが有利なのだろう?と今日も考えていました。
前回のブログとのつながりで、今日も何が理解したイメージと記憶術的なイメージは違うのだろうということも考えていました。

考えているとある欲望が生まれました。
それは理解したイメージに似せた記憶術的イメージを作りたい、という欲望です。
もし仮に理解したイメージと記憶術的なイメージが同時になされるとしたら、理解したイメージ特有の効果も見込めて、かつ記憶術的な効果も見込める。
これは一石二鳥だ(でへへ)と思ってしまいました。

少し飛躍しますが、それは色々な仮説をすっ飛ばして結論だけ説明するからです。
その結論とは、理解したイメージというのは、イメージにある一定の特徴を備えていて、その特徴さえ備えれば、記憶術的なイメージでも理解と同じような効果が出ることを突き止めました。

例えばこんな文章があったとします。
「お金を受け取った」という文章です。
理解したイメージでは、そこに「手」があって、「お金」があって「受け取った」イメージが存在しなければなりません。
反対に言えば、手らしきものがあって、お金らしきものがあって、それを受けったぽいイメージが存在すればいいのです。
ちなみに手やお金や受け取るというイメージが必ずしもなければいけないわけではなく、今回の文章から連想するものによるので、人によってまちまちである可能性が高いです。
この点を注意してください!

これを極端なイメージにすれば、例えば棒が円盤を串刺しにしているイメージでも理解したイメージと同じ感じで働くはずです。
ただし、必ず文章に戻せるかというと不安定にはなります。

なぜこのようなことが可能なのか?
それは理解したイメージというのも、結局は文章の内容を関連付けたものだからです。
言っている意味がわからないでしょ?
記憶術ではこんなことができます。
例えば「お金を受け取った」という文章と「リンゴ」のイメージがあります。
リンゴのイメージとこの文章だと全く関係がないように思われます。
そこで記憶術の関連付けで無理やり関連付けます。
「リンゴが下に落下する」イメージを描きます。
このときリンゴ=お金で落ちる=受け取るという関係として関連付けます。
そうするとどうでしょう?
リンゴが落ちている様子から「お金を受け取った」という文章が思い出されるようになります。
つまり、理解したイメージというのもこれと同じ現象が起きているとボブは考えました。

ただ、理解したイメージは自然と文章と関連付けされやすいというだけだと考えたのです。
つまり先に述べたことに戻りますが、自然と関連付けが起きるような特徴がイメージに存在していれば、理解したイメージと同じような現象が起きるのです。

でも、この方法を使ってみて思ったのは、理解したイメージだと曖昧にしか文章を覚えれない。
やっぱり対文章式記憶術の補助が必ずいるなーと思いました。

今回はこんな感じの研究成果でした!

特徴縮小という考え方

当ブログは当サイトのトップページの規則に基づく損害賠償請求対象情報です。
当サイトのトップページをご覧になっていない方は、当サイトのトップページの規則をご覧の上、当サイトのトップページの規則を遵守し、当ブログをご覧になってくださるようお願いいたします。
トップページの規則を破りますと、損害賠償請求することになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。。

関連付けに特徴という考えがある。
関連付けというのはイメージであれば、一対一の対応でしか実現できない。
もし仮に一対一対応を破っているような対応関係であれば、関連付けした情報は安定しないか、あるいは他の“特徴”と一対一の対応をしている場合がほとんどという仮説です。

ここで出てくる“特徴”という考えが今回のテーマです。
実際パーツでさえも、この特徴と関連付けを逃れることができません。
どういうことかというと、パーツとそれが表す意味は、パーツ全体の特徴から関連付けられ、存在しているのです。
例えばパーツのあの曲がり方という特徴が、それに伴う意味を連想的に出力しています。

パーツをイメージとして話を進めます。
すると、「馬」という単語を覚えなければならないとします。
このとき、馬という単語はウマというイメージによって覚えることができます。
この場合先ほどのイメージ全体の特徴から関連付けられて、馬という単語が引き出されたと考えます。

とするならば、実際はイメージ全体の特徴でなくてもいいのではないか?と考えられます。
馬という単語が出力できる限界の特徴さえ持っていればいい。
そう考えた方法が特徴縮小という考えです。

実はこの考えは昔やったことがあって、イメージの一部分を使ってパーツを作り、それを組み合わせるということをしました。
これは失敗でした。
全然イメージ全体に直せなかったのです。

このことと今回は何が違うか?というと、特徴を複数個残して部品化しようという話です。
しかもなるべくイメージ全体を表すような特徴を残そうと考えました。
例えば馬であれば、「鼻周り」と4本の「脚」を残そうと考えました。
その上でインパクトを強くするため、鼻に4本の脚が生えているイメージなどにするとよいでしょう。

こうして作った部品で顔を形作ることが今の狙いです。