記憶術のイメージコントロール③

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イメージコントロールとは、例えばリンゴのイメージを転がすなどの運動をさせたり、リンゴのイメージの形を変形させたりといったことを指します。
今回はイメージが一緒だとよりイメージしやすいのか?という点を色々な視点から考えていきます。

リンゴが転がりながら四角くなるというイメージを二つに分割してみようと考えました。
一つはリンゴが転がるイメージで、もう一つはリンゴが四角くなるイメージです。
これを一個一個イメージした場合はそれほどの心的負荷がかかりませんが、この転がすイメージと四角くするイメージを同時に行うといきなり心的負荷がかかるように思われます。

これをさらに厳密にすると、人のイメージがあります。
その人のイメージに歩行させます。
当然この場合の心的負荷を基準とします。
このとき2人の人に分けます。
一人は右足だけで歩こうとします。
もう一方は左足だけで歩こうとします。
これを別々のイメージとして同時にイメージします。
すると基準としていた心的負荷よりも高くイメージされます。

これを2人の人が肩を組んで、右足と左足で歩いて行くとします。
すると、心的負荷は少し高くでますが、歩行のイメージの心的負荷と近いイメージとしてなされます。

このように現在のボブの認識としては、歩行のイメージであれば“一緒”にした方がイメージしやすくなると思われます。
が、この認識はなかなか謎に満ちているように思われます。

まとめていないまとめ②(ノートより

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これは対文章式記憶術歴前のアイデアです。
つまり対文章式記憶術ができる前の模索中のアイデアをノートから書き写したものです。
ボブもよく意味がわからん部分があります。

ミスが表す物はどのような形でも構わない

極大はもてはやされるが極小はもてはやされない

全てが存在し、かつ全てが近くにある部屋など存在しない

体系がパッと出るならば、それを組み合わせの法を用いては

思い込みと思い込むのを使うのでは

連続的類似と思い込み(ここにあってもおかしくない次のものは?)

ソロモンの法があるはず
なぜなら全ての連想が大きいイメージ群を作っていたとしてもその大きさには限界がある。つまりつぎはぎのイメージである必要性があるから

記憶の過去の“不鮮明な記憶”を用いる
例えば昔書いた裸男の絵と神の御業+時代を重ねる~(物理学と神より)それに存在してもかしくないものを付加し、そうだったかを?思い込む

記憶が不鮮明なとき(見えない部分などを含む)は物体のイメージさえ連想的に付加できる(物が)

関連付けの遮断

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ボブとウサギが横並びに一定の距離をとって並んでいます。
このとき、間に敷居を立てて遮断します。
この二つのイメージを邪魔している意識を持つと、なぜか知りませんがこの敷居は、ボブとウサギの両方に関連付けが起きている気がします。

これは例えばボブとウサギが横並びに上述と同様に並んでいるとします。
このとき上から檻をボブとウサギが入るように降ろします。
するとこの檻をボブとウサギの両方に関連付けを起こしている気がします。

さらにボブとウサギがいます。
ここにボブとウサギの師匠が突然彼らの前に現れます。
このとき、師匠はボブとウサギの両方に関連付けを起こしている気がします。

ボブが何が言いたいかお分かりいただけたろうか?
そう!
つまり一つのイメージがほぼ同時に二つ以上のイメージを関連付けることがあるということです。

これを拡張して行けば、関連付けの時間短縮になる気がします。

記憶術のイメージコントロール②

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記憶術で想起を2重、3重としようと思った場合に、できる可能性があるのはイメージコントロールのみだとボブは思っています。
イメージコントロールとは、心の中でイメージしたモノを運動させたり、形を変形させたりすることです。
このイメージコントロールだけは、複数個所行うことができると思っています。
例えばリンゴをイメージの中で、転がしながら、四角くしていくなどがその例です。
この場合、イメージを転がすということと四角くするということの2つをしているのですが、あまり心的リソースを使っていない気がします。

それではどんなときこの心的リソースをあまり使わないのでしょうか?
それはイメージを厳密に描かなくて良いことです。
例えば幅がある輪っかの幅のある所に色を塗ります。
その色は白と黒が交互になるように塗ります。
そしてその輪っかを回します。
このとき輪っかの幅が見える方向であなたは見ています。
いわば、白と黒が交互に見えるスロットを見ている状態です。
このスロットをドンドン速くしていっても、イメージでは厳密に白のあと黒というのを意識しない限り、テキトウに出力して来ます。
この場合、脳みそは心的リソースをあまり使っていません。

これを例えば白の方を少し多めにしているとか、黒の方が少ないとかにしていて厳密にそれを反映しようとしているとイメージしにくくなります。
これは上述の例で出したリンゴを転がした場合も同様です。
リンゴの枝の部分がどう転がっていくかを厳密にイメージした場合、なかなか難しい状態になります。

さらに言えば、上述の例であるリンゴが転がるとリンゴが四角くなるというのを別々のイメージとして捉えると、一緒にしてイメージした場合よりイメージしにくくなります。
どうも関連性があった方が二重のイメージコントロールはしやすいようです。

関連付けのキャンセル

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関連付けを途中キャンセルしてみましょう。
例えば「ボブが花を切る」というイメージをしたとします。
このとき普通に関連付けるならば、ボブが花を切り切ったところをイメージすると思います。

では、これをキャンセルしましょうw。
つまり「ボブが花を切ろうとしたが、途中で止めた」というイメージです。
このとき止めると言ってもいくつかの場合に分けれると思います。
一つは花を少し切ってしまったイメージです。
この場合関連付けは起きるのでしょうか?
二つは花を切ろうとしているイメージです。
この場合関連付けは?
三つは花を切ろうと取り掛かったイメージです。
この場合の関連付けって?
四つは微動だにせずに、花を切ろうと意識したイメージです。
これはさすがに関連付けは起きないでしょう。。。

と、この四つがありますが、はてさて実際はどこで関連付けは起きるのでしょうか?というのが、今回の話です。
たぶんイメージの描き方次第でかなり結果が変わって来ると思います。
個人差ありきでボブの場合を述べようと思います。

例えば切るためにハサミを持つというイメージを三つ目のイメージだとした場合、花との関連付けは起きるでしょう。
それが例えば手刀で切るという場合は、手を振りかぶるイメージを三つ目のイメージだとした場合、これも関連付けは起きるのではないでしょうか?

ここでボブが考えるのは特徴に対して花という特徴が関連付けられるか?という問題です。
それに加えて今回の発見は、“影響を与えているという認識”です。
例えば「ボブが花を見つめた」というイメージでも関連付けは起きます。
このときボブの目という特徴と花全体の特徴が関連付けられているとボブは考えますが、この場合だとそれ以上に重要なのは、“影響を与えているという認識”です。

これは「ボブは地面を見つめた」というイメージに間に花があっても、花は関連付けられていません。
この場合は“影響を与えているという認識”が地面にあるからだとボブは解釈します。

そのためたとえ四つ目のイメージであっても、“影響を与えているという認識”があれば関連付けは成立するのだと思われます。

場所法って実は、、、

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対文章式記憶術のイメージ生成学を研究していて、ボブは思いました。
もしかして見出すって結構万能選手なんではないだろうか?と。
見立てるには無理だったことが、見出すにはできる可能性がある。
その代表例が場所法とイメージを見出すことで繋げることです。

はてさてそんなことは可能なのか?と思った人も多いでしょう。
例えば「バナナ」「ミカン」「リンゴ」を覚えたいときに、テキトウに「電車」を場所に覚えようと考えたとします。
このとき、西武鉄道なら電車は黄色なので、バナナの黄色を見出します。
そして電車正面の右ライトが丸いので、ミカンも丸いことを見出します。
またまた電車正面の左ライトが丸いので、リンゴも丸いから見出せます。

このように場所に置くのではなく、形や色などの類似点を見出すことでイメージを埋め込んでいきます。
この方法を使えば、場所のトリッキーな使い方なので、置く所がなくなっても、さらにその場所を再利用できるのではないでしょうか?

記憶術における壁の猛威、、、

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記憶術における壁とは、情報数の壁です。
大体イメージのアイテム数が30個ぐらいになったところで、最初に覚えた情報を忘れるという現象が起きます。
もし仮にそれなりに使える記憶術であれば、この30個の壁が訪れても健闘してくれるでしょう。

次に50個になると同じように最初に覚えた情報が消えていきます。
これももし使える記憶術であれば、何とかかいくぐってくれるでしょう。

しかし100個の壁を超えることはなかなか難しいでしょう。
100個を覚えれるようにするには想起スピードが重要になってきます。

さて対文章式記憶術でも30個の壁で足踏みしている状態です。
よかったです。
大々的に対文章式記憶術が使えると言わなくて。。。
それは見立てる場合もそうですが、どうも見出す場合もそうです。

そこで見立てることと見出すことのハイブリッド計画を立てました。
見出すだと、どうもイメージが単調になり、ずっと4足歩行の動物のイメージにボブの場合はなりがちでした。
そこである程度のイメージの概要を見立てるに頼って、パーツから組み合わせ、そして見立てました。
イメージの概要ができたら、そのイメージから見出して行きます。

と、このように見立てることと見出すことのハイブリッドで何とかしようとしている次第です。
理解のイメージも取り込もうとして、ピカソの絵みたいなイメージにしましたが、どうもこの方法では無理があったので、しばらく新しいアイデアが出ない限りはハイブリッドの度合いを調整して何とかしようと思います。

連想の心中性

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対文章式記憶術を使った場合に、見立てた場合と見出した場合では一斉忘却の有無が違うという性質が判明しました。
見立てた場合、どうも全体のイメージと複数のパーツが見立てることによって“連想”の関係になるため、一斉忘却が起きていたようです。
つまりパーツ一個一個が全体のイメージと連想で繋がってしまっていたので、全体が消えればパーツが消える。
パーツ一個が消えれば、全体のイメージも消えるという状態になっていたようです。

それに対して見出した場合は、全体のイメージとパーツのイメージは連想で繋がっていません。
連想で繋がっているのは、全体のイメージの一部分だけです。
そのためパーツ同士はほぼ独立状態のため、パーツが消えても、他のパーツ自体は消えません。
しかも全体のイメージも連想関係がないので、消えることはありません。

このように連想で繋げると繋げ方によってはイメージが反対に消えやすくなるようです。
どのような繋げ方がまずいかというと、未知の情報と未知の情報同士を繋げた場合、一斉忘却が起きるのではないでしょうか?
この部分はまだ少し裏をとる必要がありますが。。。

理解のまとまり(ノートより

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なぜ理解においてまとまりを作ることに主眼がおかれるのに、複数のまとまりを認知することの方が多いのか?

知覚では、個々の意味づけとそれらの全体における意味というのが存在している。
でも理解がまとまりを作ることからすれば、全体性に着目すれば事足りるのでは?
それが何であるかがなぜ必要なのか?

それは全て意味づけされたまとまりを持った表象にすることのために必要性があるのではないだろうか。

正直ボブ自身意味がわからんw
昔のボブは頭良かったんですねwww

類似性物語法も、例のあれで

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類似性物語法という最強の干渉を生み出す方法が存在している。
その方法とは例えば「リンゴがバナナを蹴っている」というイメージに「ミカンがパイナップルを殴っている」というイメージを“重ねる”ことをする方法です。

この方法を使うとたちどころにイメージが干渉し、さっき覚えたはずのこんな単純なイメージさえも想起が怪しくなります。

しかしこれって使えたら、最強だと思いませんか?
そこでイメージの関連付けを変えたらどうなるのだろうか?ということを思いつきました。

その方法とは「リンゴがバナナを蹴っている」というイメージに何か“形”を感じるのです。
そしてその形を全体となるような「何かのイメージ」から“見出す”ことによってそのイメージを定着させます。
次に「ミカンがパイナップルを殴っている」というイメージにも何らかの“形”を感じ、それを先ほどの見出したイメージからまたまた見出します。

そうすることで共存??できるのではないでしょうか?
ここまで書いて思ったのは、絵がないとイメージ湧きませんよね!